オックスフォードの窓辺から

爆笑!ここがヘンかも?外国人(エジプト編)

 

文化情報専攻 6期生 外村佳代子

   

 少々無謀におもわれがちだが、私はどこの国に行ってもレンタカーで行動をする。大体が、女性がすることではないといわれる。私は関西弁で言うところのイラチなのかもしれない。長い列に並んでバスを待つのも嫌いだし、満員電車で押しつぶされそうになりながら駅を数えるのも好きではない。それなら、空港や駅の近くでレンタカーを借りて地図で目的地を探しながら自分で運転した方がいい。少し進んだ国ならば、ナビゲーションシステムが付いているレンタカーも多い。かとおもえば、ドアの鍵がロックできなかったり、給油口をガムテープで止めていたりする車もあった。とある国では、借用書類を書き終えたところで応対をしてくれた男性スタッフに「俺を家まで送っていってくれ」といわれたこともある。彼の個人所有の車だったのだ。事前に電話で料金を確認したところ、だいたい○○くらいと言われて、くらいって何?と聞き返したが、的を得た答えが返ってこないので不思議に思っていた。「あさって車を返す時に、又俺をpickしてからここへ戻してくれ」というのである。まあこれもお国柄、と割り切ってそのようにしたが、トランクいっぱいの荷物と、借りる時には気がつかなかった、後部座席の足元のボストンバックが最後まで気になって仕方がなかった。

 どこに行っても車の扱い方に大差はないが、国ごとに交通法規も違うし、ハンドル位置も車線も左右違う。そして何より、交通法規を守る人の数が国ごとに違う。そういうと、交通法規は守るものだろう、といわれてしまいそうだが、そうでないのが諸外国なのである。たとえば、歩行者信号が赤のときでも、「渡りたければ渡ってもいいですよ。でもはねられたらあなたの責任ね」というのが西洋的な個人責任という考え方である。日本では信号機が担う責任は大きいのだが、信号機として機能を果たしていない国も少なくない。

 交通はその国の特徴をよくあらわしていると思う。私の住むイギリスは、日本が交通法規を参考としたところであり、交通システムもほとんど同じで私の知る限り一番走りやすい国であると思う。運転も穏やかな方である。中国は自転車の数と人の数に圧倒され、どこを走っていいのかわからず戸惑った記憶がある。アメリカは道も車も何でもがサイズにこだわるお国である。ガレージもスーパーの駐車場もマクドナルドのドライブスルーでもとにかくデカイ。フランスの道はベルジャン路(石畳)と歴史ある街並みが文化の高さを思わせる。ドイツのアウトバーンは、厳格なドイツ人気質を思わせる「正当な道」と私の友人は表現していた。ウイーンの道は私が好きな道のひとつである。よく整備されている。看板もわかりやすい。ゴミもない。人々も交通法規を尊守している。そして何よりどこの道を走っていても有名なコンポーザーの石造が道しるべとなり、私たちのような異国人を暖かく迎えてくれる。
  トルコもスペインもポルトガルもその他の国々も、それぞれのお国らしい特徴があり毎回驚きと新しい発見を見せてくれる。電車の車窓から見る光景もそれはそれで感激をするものだが、車ならどこにでも停車させればその光景に溶け込むことができる。だから私は車を選ぶ。

 修士論文作成の為の調査と観光をかねてエジプトに行った。唯一運転は命がけであると感じた国である。貧富の差が激しいこの国では、リムジンと窓ガラスのない車がならんで信号待ちをする。信号はあるのだが、先ほど言ったように、交通法規を尊守する人の数が少なめである。交差点で、頭を先に入れたもの勝ちという国は、他にも結構ある。イタリアなんて、運転は根性のある人か、命知らずのどちらかしかできないだろう。道幅いっぱい使っていきなりフェラーリが出てきたりなんかする。思わず広い通りまでバックして道を譲ってしまう。そんな時、私はやはり小市民だなあ、と思わずにはいられない。エジプトにも信号機はあるのだが、なぜか信号機の前に台に乗ったおまわりさんがいて、手信号で車を誘導している。背中にライフルをしょっているところが、これまた絵になる。  

 エジプトはみんなが思っているほど危険なところではない。確かに数年前の観光客が数十人殺害されたルクソールでの無差別乱射事件など恐ろしい事件もあるし、最近でも自爆テロ事件が起きている。だがエジプト人のほとんどは敬虔なイスラム教徒で、お茶と女性をこよなく愛す茶目っ気のあるまじめな人たちが多いと私は思う。ここでもレンタカーを借りたいと思っていたのだが、現地の通訳ガイドさんに止めたほうがいいと止められた。その国に行ったら郷に従えで、彼にすべて任せることにした。運転手、ガイド、さらにツーリストポリスが同行することになった。彼は常に腰に拳銃を携帯し、K-1選手を思わせるその体格と顔つきは何より怪しげだが、笑うと目がなくなる優しいおまわりさんである。

 空港から車で30分ほど走ると白亜のホテルに到着した。贅沢に思われるかもしれないが、西欧や日本と比べるとビジネスホテル並みの金額で外資系の豪華ホテルに泊まることができる。もちろん安いホテルもあるのだが、シャワーの水が出なかったり、ドアの鍵が壊れていたりと結構面倒なのである。道中、街角に羊の群れがいる。それも5頭や10頭といった数ではない。30頭は超えているだろう。ガイドさんにあの羊は何かと聞いたら、放牧しているとのこと。「放牧? 放牧ったって、こんな車の往来の激しいこの道で?」思わず窓から身を乗り出してしまった。片側3斜線ずつある幹線道路わきなのである。見てはいけない!とでも言いたげに羊はみな、顔を上げることなく1箇所に向かって半円形の中心に顔を向けている。車からは大きなお尻しか見えない。その羊の群れがホテルに着くまでにいくつもいくつもできているのだ。

 翌日、修士論文に必要なインタビューとリサーチをするために、カイロから少し外れた小さな村へと向かう。エジプトは世界有数の産油国。富める者とそうでない者の差が激しい。街角で山盛りに積み上げたオレンジを売る親子。ゴミの山で何かを探している子ども。パブリックや店の中にあるトイレの前でトイレットペパーをちぎって渡し、50ピアストル(エジプト通貨。日本円で約100円)を受け取る女性。驚くほど警官が街にいるのだが、ちょっと人目につかないところにいくと彼らさえ、親指と人差し指を上に向けながらこすり合わせる(チップの要求)。同行してくれたツーリストポリスは、流暢な英語とフランス語を話し、高い教育を受けていることが一目瞭然である。

 カイロの中心街に塀で囲まれた一画がある。なぜこの一画の住宅街だけが壁で囲まれているのかと聞いたら、ここは実は墓地(死者の町)なのだと言う。エジプトは身分や財産で墓の大きさや形が違う。少し裕福な庶民(と言う言い方はしないが、墓を持てずに共同墓地に眠る庶民も多い)の墓は縦3m×横2m×高さ2m位の完全な部屋タイプで、男女は上下別々に地下に埋葬される。お金持ちや身分の高い人はドーム型の墓なので一目でわかる。ところが、家を持たない人たちにとって、この場所は格好の住居になるのだ。それぞれの墓にその本来の持ち主とは縁もゆかりもない人たちが勝手に住み着いてしまう。洗濯物は綺麗に干され、どこからか電気まで引っ張ってくる。それだけではない。テレビのアンテナも立っていれば、なんと住所まで勝手につけてしまい郵便物が届くというのだ。「それでいいわけ?」と思わずガイドさんに聞き返したが、「死者も寂しいのだからいいんじゃない」と彼は笑って言った。いやはや、世界は広い。日本のように法事がたびたびあるのでは、そういうわけにもいかないだろうが……。

 用事を終えたら、ホテルでまじめに論文に取り組めばいいものを、観光に行ってしまった。ツタンカーメン博物館に行き、カフラー王のピラミッドに入った、その真夜中のことである。ひどい上げ下しで、トイレの便器にもたれかかって動けなくなった。体が震えだし、微熱もある。やっとの思いでマネージャーデスクに電話をかけ、医師の往診を受けることになった。50歳前後だろうか、やって来たエジプト人の医師は、丁寧な英語を話し、注射を打ち4種類の薬の説明をしてくれた。初めての地で、その人の優しい言葉に救われる思いがした。優しさに国境はない〜。
  翌朝のことである。何の気なしにゴミ箱の中を覗いたら、夕べ使用した注射器と針、アンプルが入っているではないか。えっ?ここに捨てたの?ええっっ??????? 驚きと怖さが入り混じり完全に動転してしまった。こういうものは産業廃棄物として処理が義務付けられているのは、えっ?日本だけ?そんなことはないだろう。イギリスでも注射をされると使用済みのものは特別な処理が施されるはずである。 もし、このまま部屋を出たら、勘違いをされたらどうしよう……。そうだ。もって出よう。家についてからわからないように処理しよう。それがいい! だが、まてよ。もし税関でつかまったらもっとややこしい話になる。Xレイを通過する時絶対バレる。どうしよう……。人間とは妙な物である。別段私が何か悪いことをしたわけではないが、疑われるかもしれないとなっただけでなぜこんなにうろたえるのだろう。 その時点で、あったはずの熱も平熱以下に下がってしまったような気がする。冷や汗ものである。とにかく落ち着いて、朝飲むようにと言われた薬を飲むことにした。 えっ?アラビア語?薬箱に書かれていた説明が読めない。どの薬だ?何の薬だ? さらに動転。

 とにかく飛行機に飛び乗ってしまった。まあ今から思えば、死んでもテレビのあるお墓だったらたいくつしないか。世界はいろんな意味で広いと思う。