電子マガジン第16号より、この「僕が宝塚を愛でる理由(わけ)」と題する連載を始めた。この動機は開始にあたり第16号に述べたが“宝塚歌劇を「商品」ないしはビジネス・モデルとして分析してみようか、という気持ちが突然に起きた”ことにある。
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漢方薬に「独参湯(どくじんとう)」という煎じ薬がある。高麗人参(朝鮮人参)だけを煎じたもので、いかなる病にも効く薬湯(やくとう)として、江戸時代に特に珍重された薬であるが、当時は高価な薬であり、そのため、滅多に使用されるものではなかった。
例えば、新井白石(1657〜1725・儒学者・政治家)の自伝『折りたく柴の記』の序文には「父にておはせし人のその年七十五なり給(たま)ひし時に、傷寒(しやうかん) をうれへて、こときれ給ひなんとするに、医の来たりて、『独参湯(どくじんたう)をなむすすむべし』と言ふなり。……(中略)……生薑汁(しゃうがじる)にあはせてすすめしに、それより生き出(い)で給ひて、つひにその病癒(い)え給ひたりけり」(大意要約:父が75歳の時に傷寒病に罹り、死にそうになった際、生姜汁と独参湯を併せて服用したところ、その病気は癒えた)との記述があるように、この薬はとっておきの薬、あるいは最後の手段として用いられた薬である。
この薬の話と宝塚歌劇との間に、どんな関係があるのか? と、読者は思われるであろうが、さてこれからが、今回の本題である。
歌舞伎界で上演される色々な作品の中に、「歌舞伎の独参湯」あるいは「芝居の独参湯」と言われる作品がある。 それは「仮名手本忠臣蔵」である。
なぜ「仮名手本忠臣蔵」が「独参湯」と呼ばれるのか? それは、すなわち、「独参湯」という起死回生の特効薬にも似て、「仮名手本忠臣蔵」を歌舞伎界や劇場が不況に陥ったときに上演すると、間違いなく客が入り、大入り満員になるので、歌舞伎界あるいは劇場にとっては起死回生の妙薬ということから来ている。
宝塚歌劇にも「宝塚の独参湯」と言いうる作品がある。それは「ベルサイユのばら」である。
東京宝塚劇場の動員状況は、相変わらずに、2001年1月の開場以来、稼働率100%であるが、宝塚大劇場の稼働率は、阪神大震災をきっかけに低下を始め、昨年後半には土日で65ないし70%、平日で55から70%弱といったところと推定するが、それはようやく東京宝塚劇場の開場をきっかけに成功した黒字体質への転換が瓦解し始める兆しを見せ始めたと言えるかも知れない事態である。
当然、劇団としては色々な動員対策を考えたと思うが、結論としてそのメインの対策として打ち出したのが、「宝塚の独参湯」、すなわち「ベルサイユのばら」の再演だった。
1974年8月初演の「ベルサイユのばら」(池田理代子原作)は、初演後2年間で140万人の観客を動員し、その後も1989年〜1991年に再演、2001年に再々演、そして現在2006年の第4次上演で、実に延べ動員観客数500万人を超えた。
また、稼働率の低下が著しかった宝塚大劇場も、先月(2006年1月)の宝塚大劇場・星組公演の「ベルサイユのばら」で、一気に稼働率100%を超え、平日であっても立ち見が出る盛況であったし、今月の雪組公演も同様な状況が続いている。
この宝塚大劇場の「満員御礼」の主役は、団体観客であり、総動員数のうち30%強を団体観劇が占めているようである。見方を変えれば、「ベルサイユのばら」ゆえに団体観客が確保されたから満員になったのであり、このところの宝塚大劇場の稼働率の低下は、「ベルサイユのばら」でないがゆえに、団体観客の確保が難しかったということを示していると断じてよいであろう。すなわち、「ベルサイユのばら」は、まさしく、「宝塚の独参湯」なのである。
さて、本連載の目的である、ビジネス・モデルとしての宝塚歌劇の分析だが、この「ベルサイユのばら」上演の成功が、今日の宝塚歌劇の礎えを築き、また、数次に亘る今日までの、おりおりの再演が「独参湯」として効き目を発揮したのが、現在の宝塚歌劇の繁栄の基礎であり、この事実を一般の企業ビジネスに照らしてみると、いかに他社を圧倒する独自の主要製品を開発し維持することが企業の永続性を担保する基礎となるか、というある意味当然の分析結果が生じることが理解出来る。
「独参湯」を持った歌舞伎、宝塚歌劇、そして企業のみが、それぞれに永続性を維持出来るということであろう。
以上
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