「言葉は力なり」
―香港より「異文化」理解を思う ―

人間科学専攻 7期生 野口壽美 


 「恭喜發財(コンヘイファッチョイ)!」と言って、新年の旧正月を祝う香港の人々。「恭喜發財」とは、財産が増えますように、お金が儲かりますように、というような意味である。香港人はお金が一番大切で、儲かることが、とにかくめでたい。そして、香港人自身がいうステレオタイプの香港人とは、勉強も人間関係もすべて自分の利益のため、お金のため。「時は金なり、拝金主義」である。
 香港が植民地であったとき「借りた場所、借りた時間」というキャッチフレーズがよく使われていた。タイムリミットがある、また、一寸先は闇ということから、彼らは一日でも早く、少しでも多く稼がなければならなかった。彼らは、とにかくよく働いた。現在でも、香港人はお金のためによく働き、少しでもいい条件があれば、すぐに転職、他人のことなどはかまってはいられない。自己中心的で目の前の利益にはすぐに飛びつき、非常に近視眼的だといえる。しかし、この近視眼的見地、そして、地の利、時の利を生かしたからこそ、急速な成長を遂げた国際都市香港の今の姿があるのであろう。
 今日、紹介させていただくのは、このようなステレオタイプではない香港人についてである。このように構築されたステレオタイプの観念を崩すことにより、筆者は一人一人の価値観を理解し、彼ら香港人(日本語学習者)と向き合えた。ステレオタイプの観念を持つ限り、異文化の理解は難しいと考える。
  日本語学校での中高生期末試験の様子

  彼ら、日本語学習者の声を聞いてみた。中高生は日本のゲーム、アニメ、ファッション、アイドルに純粋に夢中である。毎日どこかで、日本の流行文化に触れている。そんな彼らにとって、日本は非常に身近な存在且つ、憧れでもある。日本語話者になれることはカッコイイとのことだ。次に、日本語を学習したことがある、または、現在学習中の成人学生にも聞いてみた。彼らの学習の動機は、二つのタイプに分かれていた。一つのタイプは自分の趣味としてで、日本の流行文化への興味、日本人と友達になりたい、ひらがな、かたかなの文字が面白い、香港にない建築物への興味、歌舞伎、能、狂言、着物、日本の情報、旅行などの動機。もう一つのタイプは仕事で使うので必要に迫られてというものであった。しかし、後者は日本語の学習があまり長続きしていないという傾向にある。さらに、生涯学習として日本語を選び、五、六年間の勉強を続けている成人学生五十人に聞いてみた。(1)「どうして今も日本語を勉強しているのですか」、(2)「日本語を勉強して何か良かったことがありますか」。この問いに対して、質問(1)の答で興味深かったのは、日本の言葉の文化が面白いという答だ。例えば、日本人は断るときに「すみません、ちょっと……」また、時間が迫っているときに「もう、そろそろ……」という。このように、はっきりと言わない日本の曖昧な言葉の文化が面白いそうだ。一般的な外国人は日本の曖昧文化を「何を考えているのかわからない」という。しかし、日本語学習者はこの日本文化が面白いと思っている。これは、日本文化の良い悪いの問題ではない。また、自身が日本人のように振舞うわけではないが、日本人の曖昧さを理解して、接しているということが伺える。質問(2)の答からは、日本の友達との交友関係が深められたことなど。また、通訳や翻訳など、媒介語を使わずに、自分で日本語の理解ができること。媒介語を使うと、日本語のニュアンスや意味が正確に伝わらない場合があるからだという。確かに、どうしても翻訳しきれない日本の言葉がたくさんある。つまり、彼らは日本人の性質を理解したうえで、日本の物事を正確に捕らえようとする日本文化理解への気持ちを持っているのである。筆者にしても、日本語よりも広東語で話したほうが香港文化がよく理解できたり、体験できたりするものである。
 実は、この質問を彼らに投げかけた理由は、彼ら自身に、勉強している意味を言葉に表すことによって再認識してもらいたかったからである。日々、何となく思っていることを、言葉に置き換えていくことは簡単ではない。しかし、言葉として表現することによって、新たな認識や発見を見出すかもしれない。また、言葉は自分の気持ちを表現するための一つの方法なので、その表現能力を養ってもらいたかった。そして、日本に対する本当の声が聞きたかったからである。結果として、今回はネガティブな意見は聞けなかったのであるが。
  成人クラスで学生がスピーチをしているところ

  最近、日本や香港においても、個人が社会に関心を持たず、無気力で他人まかせの風潮がはびこる。このような社会であるからこそ、我々は言葉の表現力にもっと体力をつけて相手に自分の声をしっかり伝えるべきである。そして、ステレオタイプという観念を取り除いた上で、相手の言葉を聞くということの重要性に着目すべきであろう。さらに、文部科学省が「ゆとり」の教育から「言葉の力」へと約十年ぶりに次期学習指導要領を全面改訂することになった。原案は「言葉は、確かな学力を形成するための基盤。他者を理解し、自分を表現し、社会と対話するための手段で、知的活動や感性・情緒の基盤となる」と説明している。
 相互文化理解のうえにおいての摩擦や葛藤を乗り越え、真の交流の喜びを得るためには対話の表現能力の重要性は無視できない。互いの文化の良し悪しを問題にするのではなく、個人を理解しようという気持ち。そして、自分の思いを伝える表現方法としての言葉の力を持って、ありのままの香港人とありのままの日本人が、あるべき姿の異文化交流ができればと考える。
 ただし、外国人が日本文化について正しく理解できているかどうかという判断については、日本人が自国の文化を理解しておかねばならないということは、いうまでもない。