「あの時の、おばさん学生は今 2006年」
人間科学専攻 1期生・修了・研究生 島田洋子
時は確実に過ぎ、卒業写真に写る先生と私の顔が今より若く見える。卒業後に立ち上げた「西田哲学研究会」で小坂国継先生とは月一回の読書会でお会いする機会を得ている。また研究会々誌『場所』5号を4月に発行予定である。
「島田さん、まだまだですね」と小坂先生の顔は言っているような気がする。
学問は深く、私の理解は浅く、なかなか先に進めずに悩むことも多い。
悩みは在学中からだったけれど、もし次の方々に相談したとするならば……
五十嵐雅郎先生なら、広い視野から社会の動きを絡めて学問することの説明をしてくれそう。
近藤大博先生なら、「悩んでいる時間があったら、本をどんどん読みましょう」と言いそう。
佐々木健先生なら、色文字を使った長いメールで助言をしてくれそう。
先生方と過ごした時が懐かしく思い出される。
大学院卒業式の日、武道館前の人の混み具合はアイドルコンサート以上のものだった。
家を出る前、台所でごそごそしている私に夫が声をかけた。
「何しているんだあ」
「菜箸と輪ゴム……タオルは持ったし……いや雨だから黄色のスーパーの袋かな」
武道館の最寄りの駅はとても混んでいて、なかなか先に進めない。約束の時刻より10分が過ぎていた。
武道館の入り口が見える生垣の隅でお約束の物を作り始めたら、保護者として同伴した夫が言った。
「何しているんだあ」
「旗をつくるのよ」
「本当にそんなことするのか!」
「そう!」
菜箸で作った黄色の旗を、私は生垣の上に立って掲げた。
暫くすると、見覚えがある他ゼミの方や馴染みの顔が集まってきた。
「入り口から引き返してきたのよ」
「僕達、学生というより保護者だよなあ」
「よかったー、会えて、心細くて」
「胸張って、行こうよ」
「人生最後の卒業式かなあ」
その頃、総合社会情報研究科は博士課程後期がまだ無かった。
予想通り、受付では保護者のリボンを渡されそうになった。
「卒業生です」
そして黄色の旗組はアリーナ中央に横一列に並んで卒業式は始まった。
その後の学位授与式……あんな事、こんな事……あったなあ……
涙が出そうになった。いっそのこと、小坂国継先生の胸に顔を埋めて泣いてしまおうかと本気半分、遊び心半分で思った。でも、そんなことしたら、いつもより厚化粧なので先生の服が大変なことになってしまう、それより自分の顔がもっと大変なことになってしまう。だから、やめた。
日大会館の廊下の隅に、省エネのためなのか、薄暗い所に胸像がズラーと並んでいた。
……怖かった……
「誰の胸像ですか?」と、事務の方に聞いたら
「歴代の学長です」
「皆さん、健在なのですか?」
「もう……(略)……まだ……(略)……」
と、応えてくれた。
時の流れとともに、家族は成長したり老化したりしている。子供は若者になり、孫のオムツを替えていた父はリハビリパンツを履いている。
息子が高校生の真夏、友人の家へ一週間外泊したいと言い出した。アイスホッケー部所属で、家業が電気店のS君である。アイスホッケー部というより、ラグビー部あるいは相撲部と言ってもいいような体格のS君である。
1週間後、帰って来た息子は汗もだらけになっていた。
「おじいちゃんがクーラーは体に良くないと、家にクーラーは付けないんだって。おじさんの仕事手伝って、1000円貰ったよ。」
「何したの?」
「クーラーの取り付け。」
家業と家の信条は異なるようである。
後日、道でばったり会ったS君のママが
「息子の部屋を掃除していたら、アダルトビデオが出てきたんです。Y君も見ちゃったかもしれません。ごめんなさいね」
……今さら、そう言われても……
その話を息子にしたら、
「俺、見てねえーぞ!」
と、雄叫びをあげた。
……見たかったのね……
娘が生まれた時、夫は
「こんな可愛い子、世界中どこを探してもいないぞ!」
「そうねえ。あなたにそっくりだから」
「いや、日本中にしておくか」
「そうねえ。あなたにそっくりだから」
「でも、こんなに俺に似ていたら思春期で悩むかなあ」
「そうねえ。あなたにそっくりだから」
その娘が高校生の時、
「ねえ……お母さん……私、顔がブス?」
「そんなことないわよ。今は一番きれいな時だと思うよ」
女の顔は口元と鼻筋で決まるという。我が家の娘は、我が家の綺麗な娘である。
台所にいる私に、息子が高校卒業後の進路の話を始めた。
「俺、頭悪いから専門学校も考えておくかなあ」
「そうねえ、専門学校なら卒業するのが早いから、早くに社会人になるわね。お前に用意しておいた大学の学費の余った分で、お父さんを大学院に入れるから、お父さんの足りない分の学費を卒業後に稼ぎなさい」
と、胡瓜をトントンと切りながら、キッと視線を息子にむけた。
「はあ? そ、そんなあ、俺、大学にいくよ」
と、意外な返事に驚いている息子の顔が見えた。
それより、私の息子への視線の途中で、湯のみを持ち、口を半分明け、目が宙に泳いでいる夫が見えた。明らかに
……俺が?……
という顔をしていた。
……あなた、しっかりして! 冗談ですよ。もうっ……
姑がいて、実父がやってきて、そして姑が亡くなり、実父は介護保険で要介護4となった。生前の姑は家事を一切やってくれていた。以前の実父は町内の老人クラブで書道を楽しんでいた。
仏壇に姑の位牌がある。子供達は試験、運動会など事ある日には、線香に火を点けて家を出る。仏壇に手を合わせ
「よしっ!」
と気合いを入れる。
実父は学校帰りの子供達から菓子のお裾分けを貰うのを楽しみにしている。
時は静かに流れている。
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