紀行文 「翼よ! あれがパリの灯だ!」
−The traveling companion !!! We reached the Eiffel tower at last. Then we went to the
Seine river levee cruise, to the Museum D’Orsy, to the Palace of Versailles,
to Le Mont-St Michel and then to see the Lido show !!!
国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
(科目履修・研究生・博士後期を目指し在学中)
はじめに
個人旅行は目的地の事前把握は必須事項です。従って フランスの正式国名はフランス共和国Republique Francaise、国旗は紺白赤の通称「トリコロール」国歌はLa Marseillaise、約6,100万人(本邦の48%)、国土は54.7Ku(本邦の16%)、国民構成はケルト人を主にとゲルマン民族の混血、最近 南欧やアフリカ系も占め、特に総人口の7%431万人の移住国籍取得者と2 ・3世を含め1,348万人、総人口の1/4は移民同化の限界で暴動の誘因視とされたが、パリの綺麗さは深夜移民労働者の手が必要との声もあった。
時差は-8時間、公用語はフランス語でも一般的には殆んどは英語で事足りた。
1 旅の概要
仏は米シカゴ発空路発シヤルル・ドゴール空港着入国、パリは4泊5日。その間パリ北駅〜英ウオータロー駅間の英仏海峡をユーロスターで往復、モンパルナス駅発TGVでレンヌ経由モンサンミッシェルへ往復、リヨン駅発TGVでスイスのローザンヌ経由、ヴィスパで登山電車を乗継ぎツェルマット、リッヘルベルグの山岳ホテル、翌日、氷河特急・国際特急でチュリッヒ着、翌日にドゴール空港乗換で仏再入国、NY1泊後に17日間の旅を終えた。
フランスの首都パリは、誰もが知る如く、街並みは初めて訪れる旅人にも歴史的建造物群が将に世界的文化遺産として素晴らしい雰囲気で迫り、再訪を期する不思議な力がある。
2 華のパリ雑感等
(1) エッフェル塔Tour Eiffel
早朝にシカゴからパリ入り、宿に荷を解き、時差ボケも無くエッフェル塔へ登り、展望台からパリを見渡そうと1889年パリ万博を機に建設された320mに向かった。
シカゴではwind cityの如くに風と寒さは覚悟していたが、然程の寒さを感じなかった。
塔の57mの1階から276mの3階へかけてのエレベータを待つ間、その吹曝しの鉄塔は身の凍る思いをし、家内のマフラーや手袋を借りても未だ寒かった。寒くて素晴らしい眺望どころではなく、死にそうに寒かった。
その苦労の甲斐が報われて最上階は、暖房が効きリラックスしてパリを眼下に眺め、花の都パリの変遷に思いは馳せた。凱旋門・パリ美術館群・セーヌ・クルーズの遊覧船・三つの博物館と建物を彩る装飾美で著名なシャイヨ−宮と対照的に陸軍士官学校の威容やロダンの住居跡のロダン美術館等、風が強いぶん眺望がよく効き、寒さの苦痛も吹っ飛んだ。
(2) Paris Police -Brigade Fluviale-パリ警察はドゴール帽にマントでなかった
仏警察 就中 パリ警察は少々荒っぽい取扱いをしても市民は容認する歴史的伝統がある。
と説く方が居ました。その由来は、歴史的には最近は隣国のナチスドイツを始めとして、第二次大戦以前も数回に亘り、首都パリは外国軍隊に蹂躙されている。軍隊や政府は戦線の後退によって撤退や他国に亡命政権を樹立しても警察は、踏み止まったことによると。
シヤンゼリーゼ大通りでAのマークが示す米国人と思しき若い男性のドライバーを四・五人のパリ警察の職質場面に遭遇した。嫌疑が晴れ、任意提出の所持品を返す動作は、慰労はなく、ポイと運転席へ放り込む。通行人は関心すら示さず個人主義の国情かとも考えた。
また ジョルジュ・サンク通りでは、偶然にも大統領の通過に遭遇した時は、通過5分程前の交通規制で通過路線をクリァにする警護体制を敷いていた。当然にタクシードライバーは不平のクラックションを鳴らすと、配置の警察官はバンパーをポンと蹴り、その前に白バイを置き、結果的にそのタクシーは大統領車列通過後の規制解除後は、一番最後に発進する羽目となった。運転手は両手を広げて肩を竦めて仕方ない仕草をした。
交差点交通規制で横断を止められていた歩行者は全く関心を示さず、この種の出来事は平常の執行務の範疇との認識に驚きを覚え、法執行のスタイルはその地域に根ざした行政と住民の合意により形成されるものがベターであろうことを学んだ二幕でした。
(3) セーヌ河畔豪華船旅The Seine river levee cruise
エッフェル塔の真下のバドー・ビュス(Bato bus)乗船場から乗込んだのは、お昼過ぎだった。切符売場では河畔を楽しむ遊覧船は総て満員、幸運にもランチ・クルーズの豪華船のみ数席空きとのこと。一人170E(\22,950.-)は少し高いけれども決断、結果All rightでした。船内は360゜眺望可能なガラス張り超豪華船で暖房も効き、ジヤケットは不要、見渡すと日本人は私共のみ、服装、言葉から南米、北米、北欧等の観光客で大変にフォーマルな佇まいで、ピアノの生演奏とシャンソン、スタッフはタキシードに蝶タイ「ワインはセレクト自由、料理は魚か肉を選んで下さい。」と2時間コースでワインは何種類でも何本でも自由とのことだった。
しかし ワインは詳しくないので「Fruitiness」とだけ注文し、肉と魚を別々に所望しシェアすることにした。程なく届いたワインは1998年代のものでアルコール11%とあった。スタッフ曰く「フランスの水は美味しくないがワインは旨いのでお替りを」と親切なアドヴァイスを頂戴したが、大瓶の一本で十分楽しめた。冷えた予備のワインをクラーに入れてテーブルに置いてあったが、空けず、料理は柔らかいジュシーなステーキと鱸のムニエルのフランス料理を堪能、隣席のスェーデン人夫妻と撮影交換や会話に時差ぼけは無かった。
中世からの香りが漂うセーヌ河畔でパリの趣のある絶景と料理を楽しみリフレッシュした。
出帆後、左岸側を東へ遡り、黄金色に絢爛豪華な装飾を施したアレクサンドル三世橋をくぐると右手には外務省や国民議会のブルボン宮、オルセー美術館、左手はルーブル美術館が見え、河辺からの眺めは、運ばれてくる料理と生演奏と相俟って中世からの歴史的宮殿群等の建造物は、見る者を圧倒する建築美と威厳に誇りを兼備している。
眺める角度によって千差万別と言われているサン・ミッシェル・ノートルダム寺院やパリ警視庁のあるシティ島、高級住宅街サン・ルイ島を左手に眺めて,船はUターン、再び橋ボン・ヌフ(Pont Neut)と言う”新しい橋”と言う名のパリ最古の橋をくぐり、右手にルーブルを真近にして河を下りフランス放送会館の威容に圧倒されるかのように船は再びUターン、白鳥の小径の名の中洲に建つ「自由の女神」のレプリカを左手に眺めて、エッフェルを目指した。川面を駆け抜ける風が優雅な船旅の旅情を一層盛り上げ、クルザーはデザートとフランスコーヒーと同時に着岸、下船の催促もないユッタリした短い素敵な船旅だった。
(上 参加各国の学者と鎌倉観光平成17,10,27 ・Prof John E.Prescottと日大会館2階10.25)
(下 平成16,6,30ホノルル市郡警察本部長退役式典で地元紙を示し、賛辞に肯く連邦検事)
2 電マ17号紹介の「勇退祝賀・退役式典」を企画したホノルル警察Clayton G.KAU警部補へ同電マと今年8月に警察大学校機関誌に同行事等の概要の執筆依頼で掲載されたものを送付したところ、返礼にMr. Masaaki Hasegawa M.A.I.P.S.E.(Nihon University)と私宛にCDと写真が17,10,25届いた一部です。
|
|