「行政研究会・歴史研究会 川越イベント」の報告

国際情報専攻 2期生・修了   情野 瑞穂 (せいの みずほ)  


 その日、川越は空青く、風のない温かな散策日和でした。前の晩に川越へ乗込み酒宴を楽しんだ“つわものたち”も、定刻の朝10時に市立博物館に参集し、歴史研究会(以下、歴研)メンバーによるミニ発表会がまず行われました。
☆★ 歴史研究会 発表 ★☆
 発表は、今回の幹事を務めさせていただいたわたくし情野(歴研会長)、そして福島から参加の三品勝幸氏(国際情報専攻4期生・修了)、歴研の看板星亮一氏(国際情報専攻2期生・修了)の順で3名が行いました。今回のテーマは「60年経った今、それぞれの視点で戦争を考える」です。
 情野は今年の夏、母の出身である鹿児島に17年ぶりに旅行しました。その際、長年の念願であった知覧を訪れ、心を大きく揺り動かされました。知覧はご存知のように、陸軍特攻基地のあったところです。一般的に、なかなか訪れる機会をもてなさそうな場所ですので、この機に知覧報告をすることにしました。3部構成で、まず、海軍と陸軍に特攻が初めて導入された経緯をレイテ海戦突入前後の緊迫した状況を中心にお話し、次に知覧平和会館の展示について、そして最後に平和への願いを込めながら、特攻と自爆テロというものについて私見を述べさせていただきました。
 三品氏は、既に修士論文として発表された「閔妃殺害事件」について話されました。彼女の生立ちから人物像までを掘り下げ、事件の概要をその時代背景とともにお伝えいただき、その殺害は結局誰が主謀者だったのか、諸説をとりあげながらご自身のお考えを発表されました。閔妃は李氏朝鮮第26代国王高宗の王妃で、大きく情勢の変動するさなか、1895年に日本人に殺害されました。相手は朝鮮王室という大事件であったにも関わらず、日本ではつい十数年前まであまり知られてはいませんでした。
 星氏はご存知のように、会津研究の第一人者です。今回は突然ご参加いただけることとなり、まったくご準備のない中をたくさんの引き出しの中からテーマを選んでいただき、お話いただきました。応変的に人前で話ができるということは凄いことです。太平洋戦争と会津をどうつなげていかれるのか、興味をもって聴講し始めました。
 
☆★ 小江戸・川越 見学 ★☆
 市立博物館の展示ブースは、原始・古代からありますが、やはり、江戸以降がメインとなっています。皆で館内を見学したあと、川越城の遺構、本丸御殿へと向かいました。城は太田道眞・道灌父子の築。酒井重忠が1万石をもらい初代城主として基礎を築き上げました。川越藩は荒川へと注ぐ新河岸川の舟運で栄え、最盛期には17万石あって、江戸の北の守りとして幕府の要職を代々務めたところです。
 現在の川越の町の原型は、寛永15年(1638年)の大火で城下をほとんど焼失した翌年、城主松平伊豆守野信綱によって造られました。七曲り、鍵の手、袋小路などをそこここに採り入れ、城は代々守られて続きましたが、江戸直下の立場上、廃藩置県のときにさっさと城の大半を壊してしまいました。現在は、唐破風の大玄関や襖絵などが素晴らしい本丸御殿などほんの一部が遺されていますが、その天井に明治以降に旧制中学校の教室として使用されたときにつけられたボールの跡が見えたのが、何とも残念であり、またなんだか微笑ましくもあり……。
 わらべ唄「通りゃんせ」の舞台になった三芳野神社、富士見櫓跡などを通りながら昼食に向かいます。この神社は城の歴史よりも古く、結果的に城内に取り込まれた場所にあります。そのため、町民の参拝はままならず、「御用のない者通しゃせぬ」となったのでしょう。川越城はいわゆる居城ではなかったため天守閣や高所からの見張りはなく、せいぜい高さ10数メートルしかない丘の上にある、富士見櫓が城内で最も高い場所でした。その跡まで登ると県立川越高校の校庭の裏手に出ました。格好いいウォーターボーイズはいないかとプールを探してみましたが、この気温では練習しているはずはありませんね。車がやっとすれ違うことができるくらいの細い道をくねくねと何度も曲がりながら、鰻の老舗「東屋」に到着しました。
 川越は芋料理だけではなく、鰻も有名です。東屋には以前中庭に小さな池があり、そこまで清水が流れこんでいて、鰻を泳がせていたとのことです。明治初期の創業で、歴史的な佇まいが落ち着ける2階広間へ通され、少し辛めのたれでさっぱりといただくうな重とめずらしい肝煮を堪能しました。2階への急な階段は手をつきながらでなければ上れませんし、ぴかぴかに黒光りした床を歩けば平衡感覚を失いそうになる店でしたが、そのような風情ある古くからの建物が川越には今でも旅館や料亭として点在しています。
 おなかが膨れた後は少し歩きます。まず訪れたのは川越歴史探訪の目玉、喜多院です。天長7年(830年)の創建で、しばらくは南院、中院、北(喜多)院のうち中院の勢力が強い時代が続きました。しかし、天海僧正の時代(1599年住職に就任)に喜多院と改称してからは中院を凌ぐ勢力に拡大し、そして関東天台宗総本山にまでなった名刹です。かの大火により山門を残して焼失しましたが、その後家光公により復興します。江戸城紅葉山の別殿から移築されたため、家光誕生の間や春日局の化粧の間がここにあり、多くの観光客を集めています。江戸書院造りの建築は、喜多院を含め関東に2箇所しか遺されていないそうです。この日もかなり多くの人が参観していました。人手が少なかったなら、やわらかな日差しに照らされた奥庭の紅葉を、静寂の中でゆっくりと愛でることができたでしょう。
 すべての像の表情が違うというめずらしい五百羅漢、柳沢吉保改鋳の銅鐘や天海僧正を祀った堂宇のある前方後円墳などを通り、東照宮へ向かいます。家康公の遺骸が久能山から日光に移される途中、4日間ここに置かれて、天海僧正が大法要を営んだという因縁により1633年に創建されました。日光と比べたら、まったく小さく絢爛さはないものの、上品な彫刻と塗りが目を引きます。
 
 次に「大正浪漫夢通り」、「蔵の街」、「菓子屋横丁」と町並みを散策しました。この日は、小宮山泰子氏(近藤ゼミ修了生で行政研究会会員。現衆議院議員)のご協力により、川越市役所ご勤務でNPO法人「蔵の会」のメンバーでいらっしゃる荒牧澄多氏に喜多院から合流いただき、各所をご説明いただきました。川越での景観保存運動は、商店経営者や住民、建築家や町づくりの専門家、行政などが協働して行われていて、荒牧氏は建築の専門家、全国を講演のために飛び回っておられます。
 大正浪漫夢通りに入る少し手前で、旧川越織物市場を訪れました。その裏手には高層マンションが建ち、周囲はどこにでもあるような住宅地なのですが、一歩路地を入るとそこはまさしく異空間でした。市場は大正8年に閉鎖されましたが、その後住居として4年前まで使用されていたそうです。全国的にも唯一の残存例といわれる貴重な木造織物市場建築で、昭和38年には三国連太郎主演の映画「無法松の一生」のロケ地として利用されました。
 整地してマンションを建設する予定でしたが、保存を求める市民運動団体が発足され、そして今年3月には、織物市場と手前の栄養食配給所が川越市指定文化財となりました。通常は立ち入ることができない場所ですが、この日はちょうど、今年最後の公開日に当たっていて、私たちは非常な幸運に恵まれたのです。
 
 「大正浪漫夢通り」は、「蔵の街」よりずっと後れて景観保存に着手されました。300mほどでしょうか、短い通りの両側にはレトロモダンな建物が並んでいますが、その中味は地元の人相手の商店だったりします。観光客目当てではない、住民のための景観保存がそこにありました。それは何とも不思議な風景に映りました。
 日本橋高島屋を設計した前田健二郎のデザイン、旧武州銀行川越支店(現川越商工会議所)の美しい石造りの建物の角を曲がると、そこが蔵の街、観光のメイン・ストリートです。大沢家住宅に代表されるような蔵造りの建物が続く中、旧八十五銀行本店(現埼玉りそな銀行川越支店)のようなクラシック・モダンな洋館が美しい佇まいを見せています。明治26年の川越大火の際、焼け野原の中に多くの蔵が焼失を免れて残りました。その光景から、耐火を考慮した再建には、レンガ造りではなく蔵造りの建物が選ばれました。しかしそこには、ほとんどのレンガが東京で使われ、埼玉まで運ばれる余裕がなかったのだという消極的な話もあったようです。
 散策に少し疲れました。コーヒーで一休みをします。私たちが入った喫茶スペースは土蔵の中にありました。明治26年に建てられた見事な店蔵からトロッコ線路が引かれた奥にある、その名も陶路子という喫茶店。江戸の町屋形式を彷彿とさせます。
 コーヒーのよい香りに癒されたあとは、もうひと歩き、菓子屋横丁へと入って行きます。ここはかつては駄菓子の生産地として全国的に名の知られたところでした。関東大震災のときは東京の問屋がどっと押し寄せたということですが、現在は小売が中心となり、店舗数も減っています。とはいえ、オールドファンを魅了する100mほどしかない横丁は、毎日活気に溢れています。
 大正・昭和期の面影を残す細い裏通りを抜けて市役所へ出、そこで荒牧氏と別れました。私たちはタクシーに分乗し、小江戸ブルワリーへ行きます。そこが川越ツアーの最終地点です。ここには季節限定のビール(発泡酒)のほか、ここのブルワリーでつくった様々なビールや発泡酒を楽しむことができます。95年に大手メーカーにさきがけて大麦から開発した発泡酒、ホップの代わりに茶葉を使用した発泡酒(狭山茶が有名ですが、川越から伝わったものです)、さつまいもラガー、等々。ブラウ・マイスターを呼び寄せて作り上げたクリアなビールは、ドイツ大使館でのパーティーでも度々飲まれるそうです。個人的には、季節限定の梨の発泡酒がとてもおいしく感じられました。是非、あと数回は訪れようと“決意”を固くしています。