エッセイ
人−新たな旅立ち−
My private friend Mr M Ogino’s life’s journey.
国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
(科目履修・研究生・博士後期を目指し在学中)
はじめに
私は「人生航路は光りて止まず」「人生は出逢いを大切に」というフレーズが大好きです。
11日に死去した20世紀を代表する知の巨人「経営学の父」ピーター・F・ドラッカーの
『効率的な企業は、問題解決中心主義でなく、むしろ機会中心主義である』と問題解決手法の模索よりも「どんな機会やチャンスがあるか」を問うべきと説き、『事業の目的とは顧客を創り出すこと』と一般的な「事業目的は利益の創出」の考え方を否定し、常に顧客という「外からの視点」に事業のあるべき姿を考える必要性を早くから指摘していた。
人生航路のことを英文では、course of human // journey of life // life’s journey // path of(one’s)life // voyage of life.などと表現しています。私はvoyage of lifeの響きが好きです。
日経の「交遊抄」程でもないですが、本誌発刊の頃、我が永年の友の実質的な世界企業の日本支社長としての采配を振るう新たな旅立ちに際し荻野雅史氏に贈りたい。
我が友の栄光と永続を願って!!!
1 ノースウェスト航空
NWAは、1926年に創業の米国で一番長い歴史を誇り、同一名称の下に現在も営業を続ける
航空会社で、米国からの初の国際線をカナダに1928年に初運航開始、47年に米国〜東京を初運行、同年に日本人従業員を初雇用、50年に日本人の客室乗務員の初採用、同年に初のオシボリサービス、51年には草創期のJALに技術、訓練、機材、財務で支援、60年には太平洋路線で他社に先駆けてジェット化、72年には機内通訳に日本人を最初に起用した米系航空会社と知られています。’05年9月15日の米国破産法11条申請ばかりが、報道の前面に出ています。
日本は破産和議方式、米国は破産防止方式で、その後も同社からは、丁重な平常運行はCSと安全第一との書簡が社長名で届き、依然として75年の歴史と我が国への乗り入れ航空会社としては、便数、座席数、乗客数のトップを占め、日本からの海外渡航者の約10人に1人はNWAを利用する運行実績の誇りは、米連邦運輸省の定時安全運行賞の裏付けある。
NWAの現ダグラス・・ステイーンランドCEOは、ワシントンDCの法曹界から91年に副社長として招聘され、それ以前は76年にジョージ・ワシントン大学のナショナル・ロー・センターにて最優等卒業学位を取得した秀逸。前CEOリチャード・アンダセンは、電マ17号に掲載の如く、在日米国商工会議所(ACCJ)の昼食会に私を招き、また 電マ14号で紹介の如くにミネソタへ訪ね、親交を重ね贔屓にしているエアラインのトッブの姿勢に先々代のダスバーグCEO氏との’90aの出遭い以降、常に鑑として学ばせて頂いています。
2 華麗なる転身
彼は、NWAの米ミネソタ本社で国際営業部長の要職をこなし、昨年末に惜しまれつつ航空業界から異業種の米系である製薬業界への転身、この時、NWAの目代日本支社長主催の「出発を祝う会」が催され、お誘いを頂戴し参加したが、雰囲気の善い宴でした。
彼は、慶応義塾大を卒業後に1979年にNW航空会社に入社日本地区の予約・旅客営業などの部長職を務めた後、米国の本社において日本人初の国際営業本部長を歴任。帰国後、2001年から3年半日本地区広報・業務推進・顧客サービス本部長を務めた。そして異業種への転身を果たし、2004年12月から米国メルク社の本法人の万有製薬の執行役員・広報室長の職にあって、2005年9月にQantas とAustlian両社の日本支社長に就任した。
85周年記念式典と社長披露宴の主催者で豪州から駆けつけた同社の業務・市場のトップのロブ ガーニーは「25年に亘り培ってきた航空・旅行業界の深い知識と経験を持つ荻野氏はカンタスの最重要マーケットの日本の支社長として適任と確信している。」と。
彼は「豪州は日本における無限の可能性のあるディステイネーション。日本でのカンタスグループの事業発展とオーストラリア観光開発を楽しみにしている。」と就任の抱負と決意を語り、万来の喝采を浴びた。日英両文の透かし入りの立派な招待状に違わず、会場は東京で最高のコンラッズ東京の波・渚の間、窓からは浜離宮を眼下に、遠くはベイブリッジを臨む品格の高いところでした。宴は創業からの歴史的業績や好況な現況をスクーリンに映し、コンラッズ自慢の5つ星シェフによる料理と世界の名酒を生演奏でアレンジしていた。
3 カンタス航空
Quantas航空は1920年英国陸軍航空隊所属のオーストラリア人元大尉、ハドソン・フイッシュとポール・マクキネスが牧場主ファーガス・マクマスターの支援で創設されたもので、英語圏で最古の歴史ある。そして黒字運営を続ける航空会社でもある。
Quantas とはQueensland and Northern Territory Aerial Servicesの頭文字で、当初の
定期運行に当たっては、機体整備から組み立て、パイロット養成学校をも運営する世界唯一の航空会社として、世界初のフライングドクター・サビースに機材とパイロットを提供し、1928年には225名の患者輸送の実績が歴史的に語られている。
1947年12月18日にはカンタス航空の日本初就航でシドニーからマニラ経由で27時間21分をかけて、山口県防府に着陸している。(オストラリアの在日空軍基地)
1948年に羽田に初就航以降、97年にはJALと共同運航を開始し、現在はカンタス・オーストラリア併せて、週62便が成田、名古屋、大阪、九州の各地と昨年からは札幌からの2便が加わった。これはオーストラリア人に富良野等の北海道のスキー場の雪質が好まれたのが、発端であることを知る方も多いでしょう。
財務状況は世界の航空業界は、豪州黒字増大、欧州黒字、東南アジア・中東均衡、米州赤字、日本赤字と言う見方が大雑把な把握で、その中で今期は税引き後の利益は28%増、売り上げは11%増(約5,433億6,000万円)で国内の好調と為替益や燃料ヘッジと資金や人材・機材の適時適切な投入をしてしての決算発表をしている。
4 おわりに
冒頭で指摘した「顧客」「機会」についての彼のスタンス。
一昨年電マ14「再会」で紹介した如くに、米国のミズーリィ、NY,ボストン、ミネソタと旅をした時に、新宿の格安航空券販売でJTBも商法を真似て拠点を進出させたと言う有名なH社のマネジャー鈴木さんに航空券などの手配を頼んだ時に、「ミネソタへニューヨークからですか、私がNY支店から帰国する時わざわざ送別会にミネソタから来てくれた方がNWの荻野さんでした。」と初対面の客に多忙な接客の合間に彼の「顧客第一」の姿勢を学ばされたと語ってくれた程に、業界の彼への信頼性が忘れられない。
さらに 先月25.26日と開催された日大大学院グローバル・ビジネス研究科主催の国際学会に参加のオーストラリの方と知り合ったので、彼に伝えたところ。共同運航のJALのVIP室の接遇とケアを引き受けてくれ、メルボルンに帰着したAntonio G.Dottore教授からMail で謝意が寄せられ、将に「機会やチャンス」もドラッガー指摘のスタンスの方と感服し、真価を発揮しての活躍と一層の御好誼を深めたいと祈念しています。
会場では駐日オーストラリアMurray McLean大使は主賓の挨拶をした。私は以前東京サミットの際に三田の同大使館警戒警護責任者でしたので、大使館の晴らしい庭園での慰労会の開催の御礼を申上げたところ、名刺にAustralian Embassy Ambassador OAMとの記載があり、庭園での同国独特のBBQの話などを楽しんだ。後刻このOAMを私の地元で英会話自主講座に同国から派遣のVanessa Corey先生他、その後も数人の大学院の先生方に尋ねたが意味不明のところを、先の「Open大学院in名古屋」の懇親会で竹野先生から出典を示し、Medal of the Order of Australiaと丁寧なご指導を頂戴したことを申し添えます。
カルロス、ゴーンの提唱する「異文化に飛び込め」「常に結果をだすことがリーダーの責任」
をも実践した結果が今日の彼の姿と確信し、人−新たな旅立ち−Bon voyage!
上右「新しい出発を祝う会」で賛辞を贈る目代NWA支社長(17.11.22キヤピトル東京)
中央 中 業務・市場統括Rob Gurneyと新・現支社長
下 秘書藤川さんとQantas85周年記念式典・新社長披露宴(17.10.25コンラッズ東京)
下左 中央 左 荻野社長 右 駐日豪大使Ambassador Murray McLean OAM
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