戦勝国の終戦記念日、敗戦国の終戦記念日

 

   文化情報専攻 6期生 外村佳代子

   

 明るいエッセイを書こうと思っていた。だがこの機運、終戦60周年という避けて通れないこの節目を戦勝国イギリスで迎えた敗戦国の私。

テレビを始めとするマスメディアはこぞって第2次世界大戦を取り上げている。特に日本の特集番組が多く作られ、そのモノクロームのフィルムから今の日本は想像できない。イギリスでは今でも毎年この時期になると、戦勝記念祝賀会を催している。年々、参加する往年の元兵士たちの数は減少しているが、そのお祭りムードの盛り上がりに衰退の様相は見えない。体型の変化のせいか軍服姿での参加者はいなくなったが、それぞれが授与された色とりどりの勲章をスーツの胸に誇らしげにパレードをするのだ。

何人かの友人は母国日本へ避難している。彼らは10年以上前からイギリスに住み、10年前の「対日戦勝50周年記念キャンペーン」時に、半年にわたりうけ続けた日本バッシングの再来を危惧している。その時の様相は、マークス寿子さんが書かれた『戦勝国イギリスへ、日本の言い分』(中公文庫)にも詳しく記されている。25年もイギリスに住みイギリス貴族と結婚歴もあるマークス寿子さんでさえ、味わったことのない不快感であったと書かれているが、友人たちのような小市民が受けたバッシングはそんな物ではなかったそうである。卵をぶつけられたり、玄関ドアに「くそったれ日本人」と書かれたり、中華レストランで入店を拒否された者もいるという。現地校に通う子供たちが受けたいじめは通常の比ではなかったという。マークス寿子さんのこの著書が発行された2000年、私はすでにイギリスでこの本を読んでいる。その時、5年後に又その節目が来るのなら、その時は子供をつれて日本に帰り動向を見守ろうと思っていた。実際は春から神経を多少尖らせてはいたものの、その心配は無用だった。イギリス人の殆どがその節目の年であることすら覚えていなかった。数週間前にドイツ人の友人と昼食を共にした時、その取り越し苦労を苦笑しながら話したら、彼女は「来るよ」と言った。

何が来るのかわからないが、見てやろうと思った。

7月に入って、ドイツにまつわる放映が多くなった。昨年とタイトルこそ変えてあるがその映像はすでに何度も見たものばかりだった。そして、8月にはいると彼女が言っていたとおり「来た」のである。映像はすべて日本に切りかわった。日本兵による中国人の殺戮の映像や、アジア諸国で日本の捕虜となっていた元兵士のインタビュー。第一次世界大戦時にすでにあった、市民は攻撃しないという戦争のルールを最初に破った国、日本。やむなく開戦に至った経緯から、原爆投下で終戦を迎えるまで、それぞれが特集番組として組まれているのだ。イギリスは戦争番組は好まれるのであろう、節目や終戦日がどうのとは関係なく年間を通じてどこかの局では必ずと言っていいほど、毎日何らかの戦争ドキュメンタリーが放映されている。 ドイツのヒトラーと昭和天皇が同じスタンスで紹介されることは多い。ただ今年の私の目は今までと違う視点で番組をとらえていた。天皇とヒトラーが同じような位置づけにされているかと思えば、イギリス人の日本への批判の対象が、天皇であり、国であり、政治であり、軍隊であり、国民に対しても同一線上におかれているのに対し、ドイツに対してはドイツ自体への批判ではなくあくまでもヒトラー、ナチスに対してである。ドイツ敗戦後の世論はともかく、あの当時のドイツ国民はヒトラーやナチスに傾倒していたことは明らかで、戦後になってヒトラーをスケープゴートにしたてなければならなかったことは、その時代背景や大陸という環境を考えると、戦後の世界を生きるための処世術だったのだろう。ドイツ国民を気遣うことは隣人への配慮なのかもしれない。番組を見ていると、ヒトラーに対して激しい憤りを感ずるように、執拗に立ち上がり歯向かう日本人に対しても同じような感情がわいてくる。攻撃的な姿勢ばかりがクローズアップされ、被害状況や市民の犠牲の映像などは殆ど放映されていないのだ。特に原爆投下後のあの悲惨きわまる光景は、全くない。日本人がよく見る焼け爛れ、膨れ上がった死体など一度も見たことがない。(アメリカでも全く見せない)

 60年後のプロパガンダである。

 昨日からいったい何度同じ映像やコメントを見聞きしたことだろう。小泉首相が「謝った。」というものである。ヨーロッパの他国のチャンネルにつないでも「謝った」の嵐である。  

日本が戦後処理の方向転換を遅ればせながら始めたのである。すでに罪を認めた後は弁解をしない、という日本的信念が戦後処理を遅らせた。反日感情を愛国精神と摩り替えたプロパガンダ教育が真実を風化させ、日本と近隣諸国の溝を深めている。「沈黙は金」の日本が、もしその都度行き過ぎたプロパガンダの是正を訴えていたらもう少し違った今日があっただろう。拉致問題や東シナ海油田問題、竹島問題などやっとここに来て自己主張を始めた日本。水面下での戦略的取引や対話にもう少し長けていたら、ドイツのように早い時点で戦後処理が終っていたはずである。首相の「謝った」が最良の方法だったかどうかは疑問であるが、言わなくてもわかってくれる。という暗黙のルールが通用しないことだけは私も肝に銘じておこうと思う。

 過去の戦争の話より、パレスチナ問題やテロ事件の多発でテレビのニュースは埋め尽くされている。ロンドンでの同時テロやその事件の犯人誤認射殺、落ち着かないうちにガザでの同時自爆テロ。私の住んでいる町はイギリスでも一番安心といわれているが、職務質問をしている警察官の光景が目に付くようになった。質問を受けているのは、有色人種かひげを蓄えたアラブ系の男性と決まっている。モスリムをイギリスから追放しようという気運が高まっており、借家を探しても不動産屋が斡旋しないという事態も起こっている。ここでも一番の被害者は「一般市民」なのである。