『可能世界の心理』 ジェローム・ブルーナー著(田中一彦訳)

 みすず書房 (
19982月)¥4,620(税込)ISBN4622030845

  原書名:ACTUAL MINDSPOSSIBLE WORLDS <BrunerJerome S

 

     
       

    

     人間科学専攻 3期生 河村 俊之

   

  J・ブルーナー(米国、1915年生)は、心理学と教育学を中心に多彩な業績を産んだ研究者ですから、人間科学専攻で研究をされている方にとっては、一度は名前をきいたことがあるかもしれません。認知心理学者、教育学者、教育心理学者、発達心理学者など様々な顔をもった研究者です。また、教育政策家としての業績でも知られています。

 ブルーナーの前半の業績は、主には認知心理学者としてのそれであり、教育学における貢献も、主には認知心理学の成果の延長と言えます。認知心理学は、行動主義心理学と並ぶ心理学の潮流で、ブルーナーは、主著『思考の研究』(1956)によって、認知科学誕生にあたっての「認知革命」(Cognitive Revolution)の中心人物とされています。また、『教育の過程』(1960)によって、「動機づけ」を重視した科学的なカリキュラム導入を提唱しました。このように、ブルーナーといえば、「科学者」としての印象が強いと思われます。

 そのブルーナーが、60歳代の後半から、それまでの認知心理学が重視してこなかった「心」(mind)の探求、さらには、心理学と人文学の架橋を試みるようになるのです。

 関連する著作を時系列順に並べると、『心を探して ブルーナー自伝』(1983)、本書(1986)、『意味の復権 フォークサイコロジーに向けて』(1990)、『教育という文化』(1996)という流れになります。『自伝』において、実証的研究から「心」の探求へと舵を切ったあと、本書では、新たな探求における基礎付けが試みられ、あとの2書では、新たな学問領域である文化心理学の提唱、また、文化心理学の見地からの教育の再生が提起されています。

 そのスタンスを一言でいえば、心理学の中心となる概念は「意味」であり、「意味構築」の過程の解明にあるのであって、この過程を「情報処理」のみに還元してはならないということになります。

 さらには、これらの4書では、ポスト構造主義思想への言及があるなど、構造主義以降の現代思想との関連付け、人文学との架橋が試みられていることです。

ブルーナーにとっては、科学と人文学はそれぞれ別の知の様式(mode)であり、それぞれに固有に立っており、相補的に並存しているものとされます。つまり、scienceからartへ乗り換えたのではなく、その相補性を強調しているわけです。

 本書では、そのことを「2つの思考様式」として区分しました。「論理-科学モード」(paradigmatic mode)と「物語モード」(narrative mode)です。

論理-科学モードは、自然科学に代表される思考様式であり、実証による真理の検証、「一般化」を目指します。一方、物語モードは、重層的かつ多元的な人間の「意味」を扱いながら、最適解をめざすわけではなく、意味の複数性を許容します。

 そして、人間の生は、通常、論理-科学モードとして生きられているのではなく、物語的な認知及び思考の中で生きられ、「意味」を構築し続けるものとされます。

 以上のことから、ブルーナーの言説は、現代における物語論(narratology)の有力な言説となっています。

 物語論で扱う領域は多岐にわたりますが、生のありようという視点から言うと、私たちは、構造主義人類学で言うところの「構造」や支配的な物語(ドミナント・ストーリー)、大きな物語(メタ・ストーリー)を通じて、社会から一端はフォーマットされているという認識を扱う一方で、個別の生においては、フォーマットされた自己の再構築や「物語的な変容」の可能性を提起します。

 ただし、単に主観的に再構築できるとするならば、妄想をも許容してしまいかねませんし、また、意味を自ら生成・構築していかない限り、相変わらず、時流の言説にとらわれ続けるわけで、それでは豊かな生を構築するという可能性を弱めてしまうことになりかねません。  

ブルーナーの基礎がためは周到であり、現代の新たな論理学である様相論理学(modal logic)や言語論、構築主義(constructivism)などを用いて積み上げていきます。

 「生のモードを、学問的に裏付けることは可能なのか?」、「それにはどういう基礎がためが必要なのか?」そんな想いを抱いている方々にお薦めしたい本です。