「東武練馬まるとし物語 第二部」  

 

    

                                                                    

                                 国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

                                                                                      

 

 

 

 

 その七 「強い心」

 

梅が香り、桜が咲く、春が訪れた。

 

この2年、三女の幼稚園の行事には、登園はもちろん、親子で遊ぼうデー、参観日、餅つき大会など、仕事の合間を見つけて、極力参加するようにした。

 

入園式や運動会、卒園式などの節目には多くのお父さん方にお会いする、それ以外の行事に来られるお父さんは少なかった。子供のことはほとんどお母さん任せ。行事にお父さんの姿がある子は誇らしげだった。

 

時が経つのは速いもので、今年、三女も小学校に入学、5年生、3年生、に進級した長女や次女と登校する。

 

妻が日頃3人に言って聞かせることがある。姉妹喧嘩の時は必ず話すのが、「3人は力を合わせて生きていくんだからね」。

 

ある時三女が「3人の中で、一番しっかりしているのはお姉ちゃん(長女)」というので、妻は「お姉ちゃん(長女)は物事を進めたり、決めたりする時にしっかり者、次女は新しいことにチャレンジする時、積極的に取り組むところがしっかりしている。あなたは見たことや、人が漠然と思っていたようなことを適確に、その場にぴったりした言葉でお話するのが上手。3人揃ったら最強だね。それぞれしっかりしているところが違うのだから」と話していた。

 

僕は子供たちに言葉で何か伝えるのではなく、自分の身体でそれを表現しようと心掛けている。

 

3月20日、「第8回東京・荒川市民マラソン」、30代のうちに挑戦してみたかったフルマラソンの完走を目標に、1年前から走り始めた。

 

この大会は、日本陸連公認コースによる、東京で唯一の市民参加型フルマラソンである。約2万人ほどのランナーが全国から集まる。制限時間が7時間、完走者数で日本一、全国ランニング大会100撰でも2年連続で1位に選ばれている。メイン会場は、僕が小学生だった頃、野球をよくしていた場所だ。

 

昨年3月に出場した「三浦国際市民マラソン」では10キロ、次いで、11月には「ねりま光が丘ロードレース」で20キロを走った。過去に陸上経験がない僕としては、1つの大会にエントリーしてから、時間制限内に走ることを目標に練習をする。

 

今回もこれまで同様、店を終えた深夜、自宅近くの光が丘公園の外周を走った。翌日の店の忙しさも予測、自分の体調とあわせて走る日を決め、練習量を調整する。無理をすると身体を壊すことになりかねないのは重々承知だ。慎重の上にも、慎重を重ねた。

 

大会当日は、やや肌寒い天候だった。戸田橋そばのスタート地点から、荒川河川敷を走り、江戸川区の荒川大橋を折り返し、ゴールを目指す。

 

 スタートしてからの調子はまずまず、「フルマラソンは前半飛ばすと後半息切れし、結局タイムは遅くなる。また、レース前にエネルギーをたっぷりと補給していても、25キロ過ぎにはすべて使い切ってしまう。」と経験者の方に聞いていたので、自分のいつもの練習ペースで10キロ、20キロを走った。

 

 中間地点を過ぎ、ペース配分を大事にしつつ、ゴールまでの15ヵ所の給水所では、ドリンク以外にもぶどう糖、バナナ、オレンジ、パンなどの補給食を摂っていった。

 

 30キロ手前までは快調なペース、走りながら、店に出ている妻に、そろそろ子供たちを連れてゴール地点に来てくれるよう携帯電話で連絡した。事前登録もしていたので、妻の携帯には10キロごとの僕のタイムと予想ゴールタイムがすでに記録速報(GTMails)となり届いている。

 

 30キロを過ぎて、ゴールに近づくと、だんだん足が重く動かなくなってくる。そこで、歩かないように、腕を大きく振り身体を前に押し出すようにした。

 

 35キロ地点、ここまで走らないと食べられないという、シャーベットステーションも無事通過、ゴールを目前に、子供たちの姿が目に入る。急に力が戻り、思いっきりラストスパート。皆が見守る中、ネットタイム5時間20分でゴールすることができた。

 

 この後、給水所の側で、初マラソン体験者インタビューを受けた。これがきっかけで、後日店の取材をしていただくことに。

 

「ランナーズ」2005年7月号、ランナーの店を紹介する「ランナー大好き」というコーナーで掲載された。

 

 「ランナーズ」は、ランナーにとって貴重な情報を、毎号きめ細かく紹介している雑誌である。

 

 料理や店の7枚の写真。記事には、僕のコメント「『トンカツ=カロリーが高くて、運動する人向けのメニューではない』と思っている方も多いでしょう。それは違うと、私がフルマラソンを完走することで証明したかったんです」。

 

 マラソン後、妻や子供たちと合流した。「顔中に、粉がふいたようになっているけど、それ何?」と妻に言われ、触ってみると、乾いた汗が塩となってざらざらしていた。

 

大会広場では、しばらくぶりに子供たちとバトミントンをしたり、自分が子供の頃に、可愛がっていた犬を川で泳がせた想い出の場所に行ってみたりした。

 

 今回フルマラソンを完走することで、「何事も諦めない気持ち、1つのことを継続すること、強い心を持つこと」を伝えられればと思っていたけれど、子供たちにとっては、僕と一緒に遊ぶ事の方がうれしかったようだ。でも何かしら心に残っただろう。

 

走り終わって時間が経つにつれ、だんだん足が動かなくなってきた。そんな姿を見て、次女や三女が率先して、肩につかまってと杖代わりに小さな肩を貸してくれる。そのやさしい気持ちはうれしかった。

 

この春、僕が挑戦したことをもう1つ。それは、4月24日、練馬の二大祭りの一つ、「第18回照姫まつり」に初参加したことである。参加のキッカケは、昨年店が好調であり、何かしら地域貢献をしたいと思っていたからだ。

 

昨年5月から参加した練馬区主催「若手後継者商人カレッジ」は石神井公園区民センターで行われた。講師の勧めで、その後、東京都中小企業振興公社主催「若手商人研究会」の「販売促進研究会」に引き続き参加。それは石神井公園商店街の事務所で行われた。たまたま石神井公園地域にご縁があったことから、「照姫まつり」への一般協賛を決めた。

 

一般協賛をすると、HPの協賛団体の欄に店名が掲載され、そこから店のHPにリンクできる。また、パンフレットにも協賛団体として、店名が掲載される。

 

照姫伝説とは、室町時代の文明9年(1477)、石神井城が太田道灌の攻撃によって落城した際、城主豊島泰経とともに三宝寺池に入水した泰経の娘「照姫」の伝説である。その伝説にちなんで「照姫まつり」がうまれた。

 

当日は、オーディションで選ばれた華やかな衣装の照姫を中心に、勇ましい鎧姿の武士団など選抜された総勢109名で構成される行列が石神井公園の野外ステージを出発する。公園周辺の約2.5キロを練り歩き、「野外ステージ」と「石神井公園駅前」では、照姫伝説の紹介とともに、照姫行列の華麗な舞やパフォーマンスが披露される。

 

地域貢献として「照姫まつり」に協賛するだけではなく、重臣役に応募してみることにした。鎧姿が立派な重臣役は人気らしく、無理だろうと思うも、抽選の結果その役に選ばれた。今回同じ役に決まった人の中には、過去4回違う役をやってからようやく当選した方もいた。

 

10日ほど前にまつり全体の流れを把握するための説明会と、3日前のリハーサルがある。

 

説明会では、役柄ごとに席の位置が決まっていて、ご一緒する方々と顔合わせをした。まつり当日のタイムスケジュールは、朝7時45分に石神井公園の野外ステージに集合してから、1525分の列退場まで、細かく進行が決められていた。

 

いくつかの注意点の中で印象に残ったことの1つに、当日は極力水分を取らないという点。衣装に着替えた時から終わるまで、トイレに行けないので、これはかなりプレッシャーだった。

 

時間が経つにつれて痛くなりそうな肩などや、鎧などの重さで紐があたる部分には予めタオルを乗せて着付けしてもらう。他にも、草履は実際の足のサイズよりも小さめになるため、予め親指・ひとさし指にバンドエイド等でテーピングをする。

 

行列の間隔は2メートルほどで、道路のガードレールなどを目安に距離感を保つといった細かい指示もあった。

 

説明を聞いていて、何だか、えらいことになったと不安になった。当日は役柄ごとにスタッフの方がつくと聞き、次のリハーサルの日を迎えた。

 

ステージ内容は、第1部が、春の華やぎと香りと彩り、平和な時のお祝いの舞を踊り。そして、第2部が、 突然、豊島家の領土を襲う太田道灌の槍先と軍勢、一瞬の絶望、戦場の悲惨さを表現するというもの。それぞれ、10分、10分で、トータル20分。

 

日が近づいてくるにつれて、行列はともかく、このステージ演技がどんなものか、心配になってきた。重臣役は最後の方で泰経公と共にステージに登場し、扇で攻め落とされる前の最後の舞を披露する内容だった。

 

自分たちの演技を順番に指示され、それぞれの役柄のコンビネーションをとりながらの通しのリハーサルに入る。2回、3回、細かい調整と、音楽と動き、そして演技を合わせていく。この日は、4回ほどこれを繰り返した。

 

そして、晴天に恵まれ、「照姫まつり」当日を迎えた。

 

改めて、「水と緑と歴史のふるさと」といわれる石神井公園を実感する。練馬区民として、こんなに綺麗な公園があるのだと胸を張るような気持ちになった。

 

ステージ演技の前に撮影した集合写真は、自分が履いた草履とともに、店に飾ってある。

 

いよいよ野外ステージでの行列出陣式。

 

短期的に集中して、何度もリハーサルを繰り返したことで、演技の方での緊張は、全くなかった。ただ、鎧や草履をつけての動きはこの時がぶっつけ本番だった。泰経役の阿部六郎さんが役者である以外は、皆一般の方々、よく考えると「照姫まつり」は、区民のための区民による温かい気持ちにあふれたイベントである。

 

大行列の109人、重臣役の6人は、ただ歩いているだけではつまらないと、時に刀を抜いてポーズをとる、ときの声(「エイエイ」「オー」)をあげる。

 

沿道では沢山の方々からカメラ。この日の観客は、105000人ほどだったという。

 

行列の途中、和田堀公園で休憩時、妻や子供たちがシャッターチャンスとばかり、応援に来て、写真を撮った。話を聞くと、野外ステージも観てもらえたようだ。子供たちにとってもいい思い出になったのではないか。

 

時が経つにつれて晴天により気温も上がる。鎧の重さがずっしり身体に、また草履も履きなれないので痛くなる。それでも、駅前パフォーマンスや公園に戻り帰還式に参加、無事にその役割を終えた。疲れはしたけれど、とても楽しい経験だった。

 

最後に店についての話をしよう。昨年10月に「一生懸命働いて下さる方」と特記して店の壁に求人を出し、2人のアルバイトが店に入った。1人は中学校の後輩で大学生、そしてもう1人は、若いお姉さん。半年経ち仕事にも慣れ、店はより活気にあふれた。

 

お客様へのサービスとして、例えばテーブルの上にゆかり(ビタミンAをはじめカルシウムなどを含む赤しそ)や黒ゴマなど置くこと、新しいメニュー開発も続けている。店近くの電柱に広告を出すことで、お客様を迎え入れる道案内、新しいチャレンジも続けている。

 

また、昨年知り合えた同世代の商店主仲間とは、お互いの店を行き来している。大泉学園町/和菓子店「あわ家惣兵衛」・洋菓子店「ナカタヤ」・呉服店「かたやま」、東大泉/和菓子店「竹紫堂」、桜台/文具店「千草屋」、武蔵関/和菓子店「武州庵いぐち」、石神井町/茶店「赤井茶店」。僕の行動は、店近くのことから、練馬区内へと広がりをみせている。

 

他にも、「練馬区観光ポイント巡り」を実施していた際、偶然に立ち寄られたことで、知り合えた、東大泉/もんじゃ焼きお好み焼き店「わらべ」の若旦那とは、練馬区の商業活性化のため、練馬区内で商売を営む人たちの情報交換の場である「練馬区商店主ML」で連携を取っている。

 

「商人にとって必要なのは、自立性と状況を判断する想像力。強い心を持って、一つ一つやるべきことを積み上げていきたい」それが今の気持ちである。

 

僕は、この4月から、東京都産業労働局ならびに東京都中小企業振興公社主催、経営意欲あふれる若手商店主を対象とした、平成17年度「商人大学校」で経営に実践的に役立つ講義を受ける機会を持った。

 

なお、この連載文は今回が最後となります。長々とお読みいただきました、読者の皆様、そして、編集にお力をいただいた電子マガジンの実務担当者様方、本当にありがとうございました。

 

まるとしは、今日も元気に営業している。

 

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