ミハイル・ゴルバチョフ日本大学名誉博士講演会に参加して

 

   人間科学専攻 6期生 柏田三千代

   

 2005年5月12日(東京)、13日(大阪)の両日、ペレストロイカ20周年記念・日本大学大学院総合科学研究科開設記念として、ゴルバチョフ氏の講演会『世界の平和と維持』が開催されました。

 私は大阪全日空ホテルで行なわれた13日の講演会に参加しました。会場は老若男女を問わず、たくさんの人で埋め尽くされ、満員状態でした。

 ゴルバチョフ氏は、1931年3月2日旧ソビエト連邦ロシア連邦共和国のスタヴロポリ地方プリヴォリノエ村にコルホーズの農民の子として生まれました。1952年にソ連共産党に入党し、1955年にモスクワ大学法学部を卒業。大学卒業後は故郷のスタヴロポリに戻り、地元でコムソモール活動に従事し、党官僚として階梯を登り始めます。そして1979年政治局入りし、1985年3月ソ連共産党書記長に就任。国内でペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進め、外交面では冷戦を終結させ軍縮を進めるなど、世界平和に多大な貢献をされています。1990年ソ連の最初で最後となる大統領に就任し、同年にはノーベル平和賞を受賞しています。1991年のクーデターによりソ連が崩壊して後、ゴルバチョフ氏は2004年5月22日社会民主党の党首を辞職するまで政治活動を続けました。現在は、1991年12月に設立した国際社会経済・政治研究基金(ゴルバチョフ財団)、グリーンクロスインターナショナルの会長として国際環境保護運動等を積極的に推進されています。

 ゴルバチョフ氏は講演会でも、自分の生い立ちやペレストロイカ・冷戦・環境保護について語られました。また話は日本文字にも及び、ロシアでは日本文学が数多くの読者を獲得していることに触れられました。

 しかし、私はこの講演会に参加するまで、ゴルバチョフ氏のすごい経歴を恥ずかしながらあまり知らず、ただ単純に「生ゴルビーが見たい」と思って参加しました。そんな私ですが、なんと大学院側からゴルバチョフ氏への花束贈呈の依頼を受けました。

 ゴルバチョフ氏は日本語の「ありがとう。こんにちは。」は、わかると話されていたので、私は演壇に上がり花束を渡す時に「素晴らしい講演を有難うございました」と日本語で話すと、ゴルバチョフ氏は私の両頬を指差してロシア語で何か話されました。ロシア語がわからない私はこの意味は挨拶?と考えて、ゴルバチョフ氏と両頬をくっつけて挨拶すると、ゴルバチョフ氏は微笑んで下さいました。世界中にはたくさんの言語があります。しかし、ジェスチャーは世界共通なのでしょうか。

今回、このような光栄な機会を与えて下さった日本大学に深く感謝致します。