J. S. ミルの恋

                              

     人間科学専攻 3期生 井上植惠

   

 ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill, 1806-73)は、19世紀英国を代表する偉大な哲学・経済学・社会学・教育学者である。彼の主著には、『論理学体系』(A System of Logic, 1843)、『経済学原理』(Principles of Political Economy, 1848)、『自由論』(On Liberty, 1859)、『功利主義』(Utilitarianism, 1863)、『婦人の隷従』(The Subjection of Women, 1869)等があり、またそれらは日本でも明治初年以来紹介されてきた。そして、彼の思想は広く各方面に、大きな影響を与えたのである。この偉大な頭脳の持ち主の、思想・著作について述べることはまたの機会に譲るとして、ここでは彼が生涯愛し続けた、ハリエット・テイラー(Harriet Taylor, 1807-58)夫人との恋について特化してみたい。

 ジョンは、同じく学者であった父のジェイムズ・ミル(James Mill, 1737-1836)から、厳しい英才教育を受けて育った。その結果、素晴らしい成果を挙げたのではあるが、青春時代に一時ノイローゼにかかったこともある。この、言わば人工人間の彼の前に現れたのが、既に二人の子どもを持つ人妻のテイラー夫人であった。それは1830年、ジョンが24歳、夫人が23歳のときである。彼は、この素晴らしく知的で美貌の女性に、一目惚れであったらしい。正に人間宣言をした、J. S. ミルその人である。一方のテイラー夫人も、聡明な彼に強く惹かれていった。おそらく稀に見るほどに、二人の知的レベルや価値観といったものが、ぴったりと一致していたのではないだろうか。そうでなかったら、二人の交際後の素晴らしい作品の数々は、生まれてこなかったかもしれない。また、『自伝』(Autobiography, 1873)第六章には、彼が夫人から受けた思想的影響について述べられている。二人は、生涯尊敬し合い、互いを高め合っていった。1858年に夫人が先に亡くなってからも、彼女の思い出がジョンを励まし続け、彼は執筆活動に専念することが出来たという。

 1851年、夫人の先夫の死後二年目に、二人は晴れて結婚に至る。しかし、その影では1830年以来の、先夫や子ども達のさびしい生活があったのも事実である。夫人より11歳年上のビジネスマンであったテイラー氏は、大変な紳士であり、夫人や子ども達を愛して寛大に振舞ったという。詳しいことは、彼ら以外には分からないであろうが、純愛とはかくも残酷なものなのかと思ってしまう。或いは凡人にとって、このように類稀な頭脳の二人を理解することは所詮無理なのか。

1873年のジョンの死後、既に養女となっていた夫人の先夫の娘であるヘレン・テイラーによって、ジョンの遺稿集がいくつか出版されている。先に挙げた『自伝』は、その一つである。