山本武利『日本兵捕虜は何をしゃべったか』

   文春新書  価格: ¥714 (税込)

  
出版社: 文芸春秋 ; ISBN: 4166602144 ; (2001/12)


 

 

               

                                    

                                                       国際情報専攻 6期生    増子 保志

   
 

太平洋戦争中、アメリカ軍の捕虜になった日本兵は、重要機密でも何でもスラスラと尋問に答えた。アメリカ軍は日本兵捕虜の供述や捕獲文書を通じ、占領後の日本ならびに日本人への対応のノウハウを学んだ。象徴天皇による天皇制の存続や日本のアメリカ化などは、アメリカによる捕虜尋問の積み重ねや分析結果の反映であった。捕虜になった日本兵は、概してアメリカ軍の尋問に協力的だったが、重要機密は漏らしても天皇への畏敬の念は失わなかった。この日本人独自の心証への理解は、マッカ−サ−の対天皇政策の原型となった。

 本書では、アメリカ軍の対日諜報システムを中心に日本人捕虜と軍事機密の漏洩のプロセスについて分析している。真珠湾で苦杯をなめたアメリカ軍は翌年後半から巻き返しに転じ、日本軍と対峙するや、捕虜や遺棄文書から日本軍の貴重な作戦情報が得られることに気がついた。そこで日系2世を中心とした諜報部隊を編成し、各地の戦線で日本兵捕虜の尋問調書を多数作成し、陸海軍ばかりでなく、国務省や宣伝・諜報機関にその情報を流通させ、情報の共有をはかった。さらにイギリス軍、オーストラリア軍や中国軍との相互間の情報交換にも力を入れている。また日本軍の作戦命令書や地図などを捕虜あるいは死体のポケット、背嚢から捕獲し、重要な事柄を翻訳する作業を行った。

 兵士の母や恋人への手紙までいちいち検閲を行うなど自国兵士への防諜には細心の注意を払っていた日本軍当局であったが、前線から重要な情報が垂れ流し状態になっているとは殆ど気付いていなかった。これらの事は、日本軍の情報に対する危機管理のあいまいさが指摘されよう。本書によると日本兵捕虜には下記の様な特徴がみられた。

@    捕虜になる前に自決せよという命令から、万一、捕虜になった場合のことを想定した教育がなされていない。

A    日記や命令書等を身に付けて出撃するという情報管理意識の欠如。

B    捕虜になったら、家族や部隊の仲間に知られるのが恥だとし、日本には帰れないという体面を気にする精神。

C    アメリカ軍から厚遇が与えられると、たちまち軍事機密を喋り出す捕虜。

勿論、すべての兵士がこの様な有様だというわけではないが、日本軍における「情報軽視」の姿勢を如実に示していると言えるであろう。

太平洋戦争の帰趨は、アメリカの経済力や資源量の日本との大幅な格差が勝敗を決定的なものにしたと言われている。しかし、こうしたハード面のみならず、諜報戦・情報戦というソフト面を軽視したことは、日本軍の敗北の一因として挙げられる。

戦後の日本人はアメリカ占領軍に積極的に情報を提供し、その活動に協力した。さらに日本軍指導者の戦争責任の追及に協力し、隠匿物資のありかを教え、大本営の元高級参謀がマッカーサーの諜報機関に協力もしている。その行動は戦争中の捕虜たちの行動とさして変わらない。日本人が集団で捕虜になれば、新しい権力者の言うがままになり、軍事や国家の重要機密情報を簡単に流すことをアメリカ軍は太平洋戦争から学んでいたのである。