国際情報専攻 野田 一成

 

   「社会人はトラブルと隣り合わせ」

   

1,修士論文のスタート

私が、当大学院に入学するころは、世間ではデフレ、デフレと叫ばれている最中であったような気がする。その頃の私の勤務する会社の主力事業ははっきりいって全然ダメであったが、社内ベンチャー的に立ち上げた新規事業が非常にうまくいっているときでもあったので、最初の修士論文のテーマは「中小企業の多角化経営について」というテーマで書くことにしていた。しかし、「資料があつまりにくいのでは?」などと、五十嵐教授にアドバイスいただいたので、1年生の5月の段階で環境関連のテーマに変更した。6月には、目次がほとんどできており、非常に順調な滑り出しであった。(このままでは奮戦記にならないのでは?)

2,予想外の展開 (1)

しかし、社会人の現実はきびしかった。7月末に新規事業の工場が爆発事故を起こし、死傷者が発生、工場は再開不能な程に大破した。この商品の営業責任者であった私はこれから三ヶ月ほど、後処理のため走り回った。レポートを出すのが精一杯の状態であった。

3,予想外の展開 (2)

  1年生の10月頃になると爆発事故の影響も落ち着いた。「さあ書くぞ。」と決意も新たにしたころから、世の中では新しい状況が展開し始めていた。中国の影響である。最大顧客である製鉄メーカーがフル操業を初め、当社も予備生産ラインまで稼動して対応したが、生産が間に合わず、一部顧客に納入できない状況も。またもバタバタ。バブル期を越える生産量を記録。

4,地方のハンディ

 とくかく仕事は忙しくなったが、資料収集だけは実施しようと思った。しかし、地方にはよい図書館がない。そこで私が頻繁にお世話になったのは、アマゾンドットコムのユーズド商品の購入であった。この方法で市価の数分の一で大量の資料を入手した。

5,ストーリーの構成

 2年生の5月くらいにストーリーの構成をしようと考え、パワーポイントで25枚程度のスライドを作成した。このころ、スキャナーを購入し、入手した資料の図表をスキャナーで取り込み、パワーポイントに追加で貼りこんだので、50枚程度まで膨れ上がった。遅れていたペースが若干回復した。

6,実力のなさを実感→スランプに突入

 2年生も8月に入ると、いよいよ本文を書く決意をした。パワーポイントでストーリーもだいたい作ってあるのに、いざ本文となるとなかなか文章がかけない。スランプに突入した。

7,開き直った。

 11月はいると、いい意味で開き直った。そのせいか、とにかく量は書けるようになった。

ちょっと遅すぎたが。

8,最後の追い込み

 とにかく、最後の最後まで書き続けた。大晦日も正月も何もなしだった。本当にあぶなかった。提出も締め切りぎりぎりだった。五十嵐教授の指導と支援がなければ絶対に書き上げることはできなかっただろう。

 社会人は危険がいっぱいなので、修士論文は先攻逃げ切りがよいと思う。