国際情報専攻  堀  淳士


 「少子高齢化社会にゆとりを持ちたい」

   


*    ピタリと当った日大大学院総合社会情報研究科

大学院に入りたいと思った契機は、平成15年1月21日の産経新聞の全面広告をみた時であった。いろいろな背景から3紙目として産経新聞の購読を始めたばかりのことである。これもひょんなことから当時、私は一介の大手電機メーカーのサラリーマンから、高い理想を掲げて設立された地域のシンクタンク会社の経営の一端を担って悩んでいた頃でもあった。

 高い理想と現実のギャップは、如何ともしがたい状況になっているといってもよく、抜本的な戦略を考えていた時である。その内容といっても確固たるものではなく本質は、我が方に主導権のとれる事業にしないと浮上は困難との考えであり、いくつかの構想が浮かんでいた。とはいうもののブレークスルーするには現状では不可能である、大学院でこの解決策を見つけ出せるのではないか、そんな直感が閃いたからである。

 とにかく、夢を求めて創業し、環境変化によって一般的には信じられないようなデッドロックに乗り上げている状態だから、構想を温めてきたテーマを大学院で取組んでみようと決意をした次第である。

 

*    テーマは「中高年が元気になるビジネスモデル」

 修論のテーマは、「中高年が元気になるビジネスモデル」である。会社が発展できるビジネスモデルとして有望なアイテムと考え たからである。

 その背景は、バブルの崩壊以降わが国の殆どの人は将来に不安を感じている。私は、その先頭集団にいるような気がする。といって手を拱いているわけではない。不安の背景は、少子高齢化社会への突入が主な要因である。この課題に私が直接的に拘われる分野は、高齢化対応である。

 2025年高齢化率は、約30%と推計されている。仮にこれが現状と同じ約18%になるとしたらどうでしょう。将来に対する不安が一度に払拭できますね。名目や物理的な高齢化率は、変わることはまずないが実質的なアウトプットとしての高齢化率は意識改革と新しい施策の実施により不可能ではないと見ているからである。

 

*    修士論文の取組み

 この課題は4、5年前から構想を温めていたが、内容が内容だけに簡単に行くわけがない。ごく一部ならば、いくつでもその構想はあり、やる気になって取組めば実現するかもしれない。

今考えているのは、もしかして大きく社会構造を変えられないかというドンキホーテのようと言われかねない課題だ。入学試験の研究計画書に具体的に書き、本研究科での成果をどのように活用できるか、その期待や希望を述べた。筆記試験後の口述試問では五十嵐雅郎教授から、「テーマと取組む意欲は評価するが、中味が抽象的であり何をしようと考えているのかよく見えない」という厳しいお言葉であった。これは事実であり、自分自身でも落とし所は見えているが、そこに辿り着くまでの道程については解っていないからである。2年の間に朧ながらもその道が見えてくれば、目的は達成という気持ちであったから迷いはない、それでもお願いしますと初志貫徹をした。

 4月5日の開講式では、諸先生方からの説明を聞いて遊び感覚では到底無理と痛感。しかし、これまで積み上げてきた延長線上にあるのだから手応えを充分に感じた。4月19日の第1回目のゼミ、指導教授の五十嵐雅郎先生からは、最初から修論の話であった。「修士論文は先行逃切り型でいかなければ駄目である、最終追込み型は苦労して出来がよくない」と。ウーン、今までの仕事のパターンで改善しなければいけないと身にしみている指摘で、改めて気持ちを奮い立たせる。そんな気持ちがさめた頃、ドーンとテキストが届く。5科目で前期、後期に各2本のリポートとなると計20本である。このリポートを書くだけでも大変だ。1年次は、修論の構想を練る程度でリポートに精力を傾けざるを得ない状況であった。1〜2ヶ月に1回の割合で開かれる五十嵐ゼミは、ゼミ生の相互発表と先輩の修論作成の体験談や各自の修論の説明であった。先行逃切りを標榜しながらも実体は、リポート作成にかまけて修論の骨格として論文構成や要旨的な内容を発表する程度が精一杯の状況であった。

 ただ、この間のゼミで私の修論の構想をゼミ生間で何回かディスカッションをし、五十嵐教授からその都度適切な指導を受けているうちに何となく骨格の重要なエッセンスが醸成していくことに、何ともいえない手応えを感じた。また、五十嵐教授と同期生の指摘は、真剣で鋭かった。私の修論に自覚症状が厭という程あるだけに、ポイントをついた指摘は凄いヒントになった。

 

2年目の取組み

 1年目は、何とか5教科20レポートをこなしたので修論は骨格の構築と参考資料の収集で「これで行けるかな」と一安心したのが不覚だった。10月23日の中間発表会に何とか出させて頂こう追い込んだが準備不足は如何ともし難く、あえなく辞退をせざるを得なかった。原因は、参考資料を頑張って収集して安心していたことにある。解っていたことだが、修論の取り組みは、この方法は拙い。必要最小限度の資料をもとにほぼ仕上げ、これを叩き台に、もっと必要な参考文献・資料を収集して磨き上げていくのがより満足できる成果を感ずることができる。解っていても、出来ないのが辛い。

結果的には、11月頃から慌てて枚数を稼ぐ頑張りに突入。仕事との両立の条件があるので、思うように進まない。足りない分は、年末年始の休みで何とかなるかという追い込み型に陥って、とにかくひたすらパソコンに向かって仕上げたという何ともいえない形で終了を迎えた。

 

*    成果はこれからだ

 修論を書き終えてほっとしている今、何か満足 感がこみ上げてくる。確かに、修論は時間に追われて書いたために、手直しをしたい箇所が山ほどある。しかし、中高年になってしたいと考えていたことの集大成を曲がりなりにも成し遂げた。これは大きい。大学院に入らなければ、これは出来なかった。

私の論文のテーマは、「中高年が元気になるビジネスモデル」である。修論の仕上がりは、スタートの合図である。自分がこのようにあってほしいと願っている「中高年が元気になるビジネスモデル」を実現できないか、ドンキホーテのようであるかもしれないが、大学院で大きな後押しをいただいたので地味ではあるが根気よく取組んでいきたい。幸いにして、大学院には今まで研究したことをさらに深めることのできる受け皿として、経営研究会や国際情報学会などが整備されているので引続きお世話になりたいと考えている。

最後に指導教授の五十嵐雅郎先生には本当に心のこもった指導をいただきました。指導の後に参考資料が送られてくるのも、数多くありました。誠にありがとうございました。また、ゼミ同期生とは、お互いに切磋琢磨と友情を育む仲間として共に学べて忘れられない2年間でした。これからは、この輪をさらに広げたいと願っています。