国際情報専攻  寺井 融



  「テーマ選びがもっとも大切」
 

   

生意気なことをいうようだが、実際に「修士論文」の執筆にとりかかってからは、あまり苦労した覚えがない。400字詰めにして240枚の論文を、3ヶ月で仕上げた。朝4時や5時起きもあったけれど、ほとんどは7時起きで、ごく普通の生活を送っている。もちろん仕事に支障をきたしてはいない。好きな読書とビデオ鑑賞を控えたぐらいである。

 こう書くと、顰蹙を買うばかりなので、種明かしをする。実は、書き始めるまでは相当な苦労()をしているのである。

 入学当初は、「非営利団体広報論」をテーマにしようと思っていた。営利団体、たとえば「企業広報論」は見かけるけれど、非営利団体、たとえば政府や地方自治体、学校法人、宗教法人、政治団体、NPO法人などの「広報論」がないのではないか、と思ったからである。三分の一世紀にわたって、「政治広報」の現場に携わってきた経験もある、これで間違いない。――そう力んで、近藤ゼミの「新歓軽井沢合宿」にのぞんだ。

 近藤先生との面談で「なぜ、このテーマなのですか」と聞かれた。るる説明し、「論文を書いて、非営利団体向けの広報コンサルタントでもやってもいいかなと、思っております」と答えた。先生は、先行研究があることを指摘され、「本当にそれでよいのですか」とたたみかけてきた。本心が見透かされた気がした。「大変だな」との思いもあり、「仕事につなげたい」との邪心もあり‥。

 近藤先生にはまた、「新進党広報論」の執筆を勧められた。確かに、当方は新進党の広報企画委員会の事務局長であったわけだし、書くのはたやすい。しかし、「論文になりません。体験記になってしまいますので‥」と断った。

 さて、どうするか。

 「戦後大臣失言失職論はいかがですか」と、逆に提案した。

 「あぁ、それはいいですね」

 先生が賛同してくれた。

西村真悟防衛庁政務次官の「核武装研究も考えておくべき発言」が「核武装すべき発言」に歪められ、辞職を余儀なくされていった過程が、念頭にあったから思いついたテーマである。

 一年生の六月から「戦後大臣“失言失職者”表」を作り、研究・分析を進めた。結論からいえば、七十数名の“失言失職者”のうち、面白いのは池田勇人蔵相(後に首相)と藤尾正行文相だけだと、分かった。研究意欲が急速に衰えていった。

 その年の暮れに、愚妻と結婚三十年記念の「ペナン旅行」に出かけた。彼の地には、ロングステイ者がたくさん滞在している。「これだ!」とひらめいた。楽しそうだからである。ハウツウ本はあるけれど、本格的な研究本がないのでないかとも思った。年が明けて、先生にテーマ変更を申し出た。「やりたいものをやってください」と、二度目のテーマ変更も、あっさり認めてくださった。

 「アジア・ロングステイ論」を書くと決め、まず書店に走った。新書やガイドブックを買いあさり、研究書は主に国会図書館を利用した。ロングステイ財団に通って、基本資料を掌握した。さらに国会での議事録や政府の関連白書にも目を通した。

研究論文とあれば、オリジナルティも求められる。当方の提案で、産経新聞社主催の「ロングステイセミナー」も開催した。そこと、リタイア者のサークル、新現役ネットの二箇所で、「ロングステイ・アンケート」を実施した。両者の「アンケート表」は、当方が作った。また、ペナン(マレーシア)とチエンマイ(タイ)で、現地調査も行った。

 それらがそろった段階で、八割かた、完成したのも同然だったのである。書くのは、民社党本部で、「運動方針」」を約二十年にわたって書いてきた経験が、ものをいった。「修士論文」執筆は、「テーマ決定」がすべてであったといってよい。社会人の修士論文は、書く本人が楽しいと思うものに取り組むことに尽きるのである。