国際情報専攻  関口 一

 「反省と感謝の記」

   


 修士論文奮戦記なるものを書けるところまで、よくぞ漕ぎ着けたというのが現在の偽らざる思いである。

私の修士論文作成の過程はほとんど反省の連続であった。なにしろ、昨年の9月末の時点では論文はほとんど書けてはいなかったといってよい。“序章”がなかなか仕上げられずまさに悪戦苦闘していた。今にして思えば、つまらないことをしていたものである。とりあえず問題意識のさわりとアプローチの仕方程度で済ませておいて、論文の体裁がそこそこ整ってきた段階で手を加えていけばいいのである。できあがった論文の内容に最も相応しい“序章”とするための修正作業は必然である。“序章”とはいうものの、つまりは一番最後に仕上がるものといってもよいのである。そのことに思い至らなかった原因は、いい論文に仕上げたいという“気負い”にあった。それゆえ、書き上げた“序章”は15~6頁にも及び、結局は“はじめに”と“第1章”とに分割するはめになるのである。

このような過度の“気負い”は、私が自らの30有余年に及ぶ実務経験の中から、まさしく自分が現に直面し、取り組んでいる問題を論文のテーマとして選定したが故に、その到達すべき結論とそこに至る論文構成・論理構成はすでに見えているという自分自身の思い込みによるものであった。“気負い”は、また、論文のテーマをより大きなものとして、研究の対象を広げさせ、ついには論文作成のための許容時間と自らの能力の限界とに気づくゆとりをも奪った。あまりにも膨大な資料を集めすぎた。それだけの資料を集めるための時間とそれを読み込み、整理するための十分な時間とに対する配慮に欠けていた。その結果、夏期休暇を過ぎても集めた論文・判例等の資料の読み込み、あるいは、整理に没頭することになってしまった。あせりを感じて書き始めたのが9月中旬過ぎ、おまけに冒頭に紹介した苦戦である。

このような呪縛から私を解放してくれたのが10月初旬に開かれた五十嵐ゼミであった。総花的に手を広げすぎることの愚を自覚させられることとなった。修士論文は決して学問の完成をめざすものなどではなくて、学問のスタートに過ぎない。修士論文を仕上げた後にこそ、本来の学問的な研究が待っている。そのことに気づかせていただいた。私の“気負い”はいとも簡単に吹っ切れた。論文の全体構想はその半分につづまり、判例研究も欲張らず、資料の読み込みも重要なものに絞込み、文字通り身軽になって再スタートを切ることができた。感謝である。五十嵐雅郎先生、五十嵐ゼミの皆さんに感謝である。

私はずいぶんとひどい文章を書き連ねてきた。私の文章は、自分と共通の社会的・文化的背景をもつ人々の間でのみ通ずるものであった。主語が欠落しているのである。いわば“村落共同体”でしか通用しないしろものであった。近藤大博先生には修士論文発表の段階に至るまで、ご指摘・お叱りを頂戴した。感謝である。

最後に、ヘルプデスクの八代先生にはパソコンのトラブルシューターとして何度お世話になったことか、パソコンのトラブル解決なくしては到底、期限までに修士論文を仕上げることはできなかった。感謝である。