ソフト・パワーの源泉

 

                        国際情報専攻 5期生 真藤正俊

 

   


 「囚人よ、いったい誰がおまえを縛ったのか。」

 「私のご主人だった」と囚人は言った。「私は富と権力で世界中の誰にも負けないつもりだった。そして私の王のところへ行くべき金銭を自分の宝庫にためて置いた。眠くてたまらない時に私はご主人の床に寝た。そして目を醒ましてみると、私は自分の宝庫の囚人になっていた。」

 「囚人よ、この頑丈な鎖をいったい誰がこしらえたのか。」

 「私がこしらえた」と囚人は言った。「この鎖を念入りにこしらえた。誰にも負けない私の力で世界を奴隷にし、自分だけが勝手気儘でいられるつもりだった。そこで夜も昼もどんどん火をおこし、遠慮会釈なく鎖を鍛えた。ついに仕事が済んで鎖の環がぜんぶ頑丈に仕上がったとき、気がついてみると縛られたのは私だった。」

――ラビンドラナート・タゴール『タゴール詩集』

 世界平和を実現するのは軍事力であるハード・パワーではない。軍事力という「主人」に忠誠を誓った「使者」であるアメリカの一極支配と止めるのは何か。それはソフト・パワーである。外交での「対話」が世界平和を建設する。

 ジョセフ・ナイによれば、ソフト・パワーの定義は次のとおりである。

 ソフト・パワーとは、「命令や強制によってではなく、自分の持つ魅力によって、そのような状況を生み出す力」のことである。

 ブッシュ政権は2期目に突入した。2期目では1期目とは違い世界経済でも覇権を握ろうとしている政策が盛り込まれている。当然ながら、「テロリスト」や「ならず者国家」の存在は「悪」と決めつけているのは言うまでもない。ブッシュ大統領の発言である「われわれにつくか、それともテロリストの味方につくか」という二項対立軸は世界中の人々の心を捉えやすい。

 当然ながら、戦争は反対すべきではないのか、と誰しも心に思う。社会科学最高の哲人であるピーター・ドラッカーもまた人類に不幸をもたらす軍事力による全面戦争を舌鋒鋭く批判する。

 ミサイル、人工衛星、核兵器が出現したいまとなっては、民間人を巻き込まないことを条件とする19世紀の考え方に戻ることはもはや不可能かもしれない。近代戦においては,もはや純粋の民間人は存在しないとされる。

 しかし敵国の経済を破壊するならば、戦争には勝利するかもしれないが、平和に勝利する可能性は損なわれる。

 日本はアメリカと協調関係にある。常にアメリカの方針に追随してきた。さらにいかなる時でも日本の立場を明確にしなかった。たとえそれが「戦争が悪である」と知っていても、である。

 マハトマ・ガンジーは「わたしはいかなる戦争も正当だとは思わない」 と喝破した。この哲人の言葉にわれわれは耳を傾けるべきである。よって、アメリカの軍事力による単独主義を肯定すべきではない。しかし、日本は島国で国際社会の中では弱い立場であるから、生き延びたいがゆえにアメリカのわがままな言い分に逆らえないでいる。

 では、今度はヨーロッパをみてみよう。ハード・パワーを政治の中心にしているかといえば、そうではない。逆にソフト・パワーを前提に国際社会で活躍しようと試みる。日本は現在のヨーロッパをこう捉えている。

 EUの存在はさらにEUの国際政治のおける発言権を大きくさせている。米国がグローバリズムを掲げながらも、内実はグロテスクというべくもユニラテラリズム(単独主義)に傾斜しているが、これに対して、EUは、多数の民族が共存し、「域内における均衡のとれた発展」をめざし、米国とは違う単独の基準を提示して進んでおり、民主主義に立つ経済大国としてアジアにおける独自の使命を持つ我が国としても、大いに学ぶ価値を持つ組織である。

 軍事力による平和の確立は短期的には効果があるが、長期的には持続はできない。対話をせずに単独主義を他国に押しつければ、国際関係は悪化する一方である。とりわけ、いまのアメリカとヨーロッパの協調関係は今のところいいとは言えない。

 2001年1月にブッシュ政権が誕生し、それとともに1990年代共和党の現実主義ナショナリズムが政権の主流になると、アメリカの外交政策で「欧米」という概念は意味をもたなくなった。

 いまでは、アメリカはテロとの戦争を国際社会に重要なものと認識している。
アメリカ合衆国第43代大統領ジョージ・W・ブッシュは次のように「テロとの戦争」を喧伝する。

 「アメリカの敵は姿をはっきりと見せない。冷酷非情で、さまざまな計略をめぐらす。そうした者たちの活動を追跡し、阻止するために、われわれは持てる道具と利点のすべてを駆使しなければならない」

 テロリストの攻撃は許されるべきではない。しかし、軍事力だけで平和を建設しようとするアメリカも正しくない。だからこそ、「対話」というソフト・パワーの存在が期待されるのである。世界中の人々は、いま「対話」の重要性を認識し、終わりなき実践をする時にきている

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ラビンドラナート・タゴール『タゴール詩集――ギーターンジャリ』渡辺照宏訳、岩波書店、1977年、255256頁。

竹中平蔵・袖川芳之・フジタ未来経営研究所『ポストIT革命「ソフトパワー」日本復権への道』実業之日本社、2001年、45頁。

ピーター・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』上田敦生訳、ダイヤモンド社、2002年、246頁。

寺島俊穂『市民的不服従』風行社、2004年、92頁。

辰巳浅嗣『EU――欧州統合の現在』創元社、2004年、247頁。

ロバート・ケーガン『ネオコンの論理――アメリカ新保守主義の世界戦略』山岡洋一訳、光文社、2003年、113頁。

ボブ・ウッドワード『攻撃計画――ブッシュのイラク戦争』伏見威蕃訳、日本経済新聞社、2004年、574575頁。