大学とグローバル社会

                              

     国際情報専攻  5期生 真藤正俊

   

 大学の使命は何か?大学院は何をする場所か?グローバル化が進む中で、知識と情報の価値が瞬く間に半減していく今日では、大学教育や大学院教育が実社会で大きな意味がないように思えるが、やはり大学や大学院は必要である。

 たしかにいままで多くの法則や原理が発見されたのに、いまさら大学で、基礎的なことを研究するなど経済的にみれば、採算がとれないことかもしれない。

 ヨーロッパでは青年教育のために、EUによる第2次ソクラテス計画や第2次レオナルド・ダ・ビンチが存在する。ヨーロッパ全土における大学や学生、スタッフに対する総合的なプログラムである。

 一言で言えば、EUでは青年たちのための教育と職業訓練のプログラムを新ヨーロッパは確立しようとしている。しかしながら、国際間における「人の移動」はまだまだ未発達であり、実験段階である。とはいえ、ケインズ政策などの一国の財政金融政策が国家の繁栄にならないグローバル社会では「人材開発競争」に参加することが繁栄する道の一つである。

 だが、優れた人材を輩出しても、その業績が経済的に報われるとは限らない。ニュートンやダーウィンを思い出せばわかるだろうが、革命的な業績を生み出しても、莫大な財産が手に入る保障はない。例えば、ニュートンは物理学で重要な発見を三つほどした。一つ目は万有引力の発見、二つ目は分光分析、三つ目が微分積分の発明である。恐らくニュートンほど物理学で見事な発見をした者はいないだろう。その一つとして微分法の発見であるが、当時は流率法としてニュートンが独自に編み出したものだった。しかし、流率法の発明が経済的に成功を収めたとはいえなかった。

 ダーウィンの進化論も同じである。多くの人々に認められるかと思いきや、想像絶する迫害にさらされ、中傷ビラまでまかれている。さらに教会から手厳しい攻撃を受けたことは誰もが知っている。このように革命的な基礎研究は必ずしも、社会から認められる保障はない。

 今日では、実際に富や名声をもたらすのは基礎研究ではなく、応用研究である。マイクロソフトを思い出せばわかるだろうが、理論を実践することが社会的に認められることになる。しかしながら、基礎研究の実績を他人からうまいこと流用しようとするのが、これから国際間で起きた場合はどうするか。もちろん対策が必要になるのは言うまでもない。

 21世紀は今まで以上に頭脳の価値が大きくなる時代である。ピーター・ドラッカーによれば、高い能力を持つ人材の所得が爆発的に伸びていると指摘する。

 基本的な生産要素となるブレイン・パワー、つまり頭脳のコストが急速に上昇している。きわめて高額になっている。アメリカでは能力のある独創的な人たちの人件費が信じられないほど高くなった。

 優秀な人材の多くは大学で教育を受けている。が、しかし大学というところは教育よりも研究を重視しがちな面がある。つまりスペシャリストを生み出すための場所になりつつある。これに対して、教育を重視する考えこそは、リベラルアート(一般教養)である。藪下史郎は大学が研究よりも、教育を重視することがこれから先の社会で必要になると論じる。

 日本においては、10数年前までは大学教育としてたしかに専門教育がなされるべきかが議論されてきたが、近年ではリベラルアート(一般教養)教育の重要性が特に指摘されている。すなわち、あまりに狭い視野しか持たず専門に偏った研究からは、ノーベル賞をとるような、画期的な研究成果が生まれてこないと主張されているのである。

 大学に入って、また大学院に入って研究を始めたとしても、卒業をするころになると、最新の研究テーマが時代遅れになっていることが少なくない。情報の半減期が短いと言われるグローバル社会では、大学では基本的な価値認識を学ぶことが重要視されるのではないだろうか。

 特に専門家を必要とする現代社会では、大学時代に学んだことが役に立たないともう一度大学に編入するか、修士課程に入って専門教育を受ける必要が生じてしまう。だが、そこで最新の知識を習得しても卒業してから2、3年程度役に立てばいい方である。だからこそ、大学では基礎的な教育を習得することが大事だ。

 しかしながら、大学や大学院の学位はこれから先の社会ではそれほど役に立たない。ロバート・ライシュは名門大学の学位がかつて程の価値がないと語る。

 名門大学の学位は役に立つが、多くの教育ママや教育パパが期待するほどではない。(中略)新興経済において高い報酬が得られるのは、独創的で、他の人が欲しがるものが何であるかについての洞察力を持っているような、才能ある変人と精神分析家である。

 これからの大学や大学院は独創的な人材を育てる教育をしていくことになるだろう。

 

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ピーター・ドラッカー『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』上田敦生訳、ダイヤモンド社、2002年、128頁。

藪下史郎『非対称情報の経済学――スティグリッツと新しい経済学』光文社、2002年、54頁。

ロバート・ライシュ『勝者の代償』清家篤訳、東洋経済新報社、2002年、213頁。