キャリア・カウンセラーのつぶやき(3)
「記憶からキャリアへ」
人間科学専攻 2期生・修了 笹沼 正典
現在、シニアSOHOメタキャリア・ラボ代表
積み重ねてきた過去の仕事の記憶には、奥深く分け入れば分け入るほど、感じや思いやイメージなどが喚起され、今も胸踊り心昂ぶるものがあります。ありふれた仕事の風景の過ぎ去った一つ一つの断片であっても、そのすべてに私がそこで生き、そしていま生き続けている私が染み込んでいます。このような仕事の記憶には、私が欲する暗黙裡のものを凝視し、内面を掘り下げる必然性が内在しています。さまざまな出来事の濃密な空気が漂う過去の仕事体験やその風景は、いつしか自分の記憶となり、時の絶対的な流れのうちに、自分の内的キャリアへと溶融しでいきました。私が行く先々で出会った鮮やかな邂逅は、現在でも目の前にあるかのように生き生きと胸のうちで息づいています。鳥羽さんが10年間余り分け入ったベトナムは、私が今もそこに生きる仕事の記憶であり、彼女が今もそこに生きるベトナムの風土と生活は、私にとって仕事の情景と体験にほかなりません。
2.“記憶は過去のものではない。それは、・・むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。・・じぶんのうちに確かにとどまって、じぶんの現在の土壌となってきたものは、記憶だ。記憶という土の中に種子を播いて、季節の中で手をかけてそだてることができなければ、言葉はなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだっていくものが、人生と呼ばれるものなのだと思う。・・(私が)思いをはせるのは、一人のわたしの時間と場所が、どのような記憶によって明るくされ、活かされてきたかということだ。”
これは、詩人長田弘の詩文集「記憶のつくり方」(1998、晶文社)の後書きです。さりげない日常の体験、光景や出来事は、仄暗い記憶のなかに堆積されています。しかし、長田によれば、記憶は常に現在化されて在り、また、記憶の庭をよく耕して言葉を生み育てることで初めて人生を創りあげていくと言う。私には、詩人を通じて、記憶を耕すことで言葉を生み出すことの、キャリアにとっての決定的な意味あいと、耕し言葉を生み出す作業の厳しさやつらさに耐えなければならないことを、示唆されたような思いがいたします。
3.“きれぎれの断片化した「記憶」が不意によみがえる時のなまなましい新鮮さを、言語化する際の格闘に、どう小説家として耐えるかという、体力と気力を持続させるための、自主トレーニング”が、『噂の娘』の続編を書きはじめるための準備です。“そもそも、視覚的なものでも触覚的なものでも大半は言語化されたうえで残されているに違いない「記憶」が、錯覚であるにせよ全身的な官能を揺さぶる出来事として、再び、紙の上に生きはじめる瞬間の到来を準備するためのトレーニング法など、実はないのです。”“小説は読者(作者もその一人なのです)によって生成される世界として存在します。” 金井美恵子(朝日新聞2004年10月12日「自作再訪」)が語る「きれぎれの記憶が不意によみがえるときの新鮮さ」とは、ユージン・ジェンドリンが体験過程を促進する様式の一つとした「過去の体験の直接性と現前性」にほかなりません。その特性は「過去の体験が現在としての知覚され、新鮮な細部の豊かさを示す」ことにあります。また、ここで金井の言う「小説」を、同じく言葉によって生成される世界としての「キャリア」と読み替えてみたらどうであろうか。日々刻々の仕事の体験過程のなかの新鮮で多様な「感じ、思い、イメージ、閃き」などに気づき、そこに含まれる「暗黙の意味、価値、信念、その他の認知」に気づき、さらに、未だ言葉にならないそれらの気づきを自分の言葉に変えていくことは、「小説」における言語化の格闘に似ているように思えます。私たちのキャリアは、そのような格闘により生成される内的世界が本質的なものだと言えましょう。但し、ここで、気づきの言語化と言った場合、「自分の言葉(パロール)への変換」と「その時代に、組織において体系化された言語(ラング)への変換」は区別されなければならないことに留意したいと思います。言うまでもなく、自分にとっての「暗黙の意味、価値、信念、その他の認知」を表現できる言葉は、「自分の言葉(パロール)」であるほかありません。私には、言語学者エウジェニオ・コセリウが説いたという「現実の言語は絶え間なく変わっている。いな、変わるのではなく、話す人間が、体系としてのことばを修復し、目的に合わせて創造しているのだ。」(注1)にその訳があるように思えます。また、金井にとって、実は言語化の格闘に備えるトレーニング法などないのだとしたら、私たちにとって、気づきの言語化というキャリア・コンピテンシーの習得などは決して容易ではないことが示唆されます。 さらに、金井がもうひとつ示唆するところは、私は自分のキャリアの作者であると同時に読者でもあるということです。言い換えれば、私は私のキャリア開発の主体であるとともに、自らのキャリア開発を観察し、修正し、評価することができる客体でもあると言えます。 (注1)朝日新聞2004年9月17日(夕)田中克彦「私の心に生きる言語学者B」
4.“ふたたび私はそのかおりのなかにいた。・・それは、ニセアカシヤの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨上がりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。・・私を押し包んでいたのは、この、かすかな予感とただよう余韻とりんとした現前との、息づまるような交錯であった。アカシヤは現在であった。桜は過去であり、金銀花はいまだ到来していないものである。それぞれに喚起的価値があり、それぞれは相互浸透している。”“遠い過去の個人的記憶をたどる行為は、・・徴候と索引とがほとんどひとつのごとくにないまぜとなって、・・「メタ世界」にかぎりなく近づいているもの(注2)への接近のカギとなっているところに成立する行為である。” “予感と徴候とに生きる時、ひとは、現在よりも少し前に生きている。・・余韻と索引に生きる時、ひとは、現在よりも少し遅れて生きている。・・(予感と徴候、余韻と索引は)まったく別個のものではない。「予感」が「余韻」に変容することは、経験的事実である。・・登山の前後を比較すればよい。「索引」が歴史家にとっては「徴候」である。” “生きるということは常に現在と過去の緊張関係にあり、さらに未来の先取りによって「現在は過去を担い、未来をはらむ」(ライプニッツ)という構造を持っとぃる。” “私は、早くから、生きるということは、予感と徴候から余韻に流れ去り索引に収まる、ある流れに身を浸すことだと考えてきた。”
人は、過去と未来と現前を“息づまるように交錯”させながら、自分史連続体として生きていきます。その生きざまは、過去からの余韻と索引が豊かで、未来に向かう予感と徴候に満ちているならば、実り豊かなものになるでしょう。そのためには、手がかりとしての索引と徴候を感じ、思い、イメージし、閃くこと、言い換えれば、生き生きとして豊かな気づきが日々生み出さなければなりません。次に、若者のキャリアは、より多く豊かな予感と徴候に生き、他方、中高年者のキャリアは、より多く豊かな余韻と索引に生きることができるのかもしれません。しかし、現実の個人は両者のあいだを往ったり来たりしながらキャリアを育んで行くように思えます。
また、キャリアは、節目ならびに普通に日々における外的キャリアと内的キャリアとの、現在を中心軸とするカイロス的(同心円的)な統合と、過去記憶から未来展望に向かうクロノス的(通時的)な統合との、二重構造を内包していることが分かります。さらに、私は、引用した最終の文章をキャリアの視点から敢えて逆読みする誘惑に駆られます。「私のキャリアとは、余韻と索引から予感に流れ去り徴候に収まる、ある流れに身を浸すことだと考えている。」と。いずれにせよ、中井のこの本は、キャリアを考えるうえで、目も眩むような、余りにも刺激的な示唆に富む言葉に満ちています。 (未完) |
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