連載「裏方物語」  7

 

       春日常任顧問                                                                    

                                          国際情報専攻 5期生  寺井 融

                                                                                      

 

 

 

 

 そのとき、九段会館大ホールの壇上にいた。民社党大会の書記をやっていた。舞台の袖から、春日一幸常任顧問の秘書のNさんが、手招きしている。

 

 「春日が呼んでいるので、ご足労、願えますか」

 

 Nさんについて、奥の小部屋に行く。春日、中村正雄の両常任顧問が座って待っていた。

 

 「やぁ申し訳ない。委員長はどんな挨拶している?」

 「たんたんと運動方針について答弁していますよ」

 「そうか。興奮していないか」

 

“瞬間湯沸し器”の異名を持つ佐々木委員長が、どんな反応を示しているか、気になったのであろう。その日の朝、春日、佐々木良作の両者は、小会議室で灰皿を持って睨みあっていたのだ。

 

30回党大会(昭和60年)は、荒れ模様だった。佐々木委員長の後継が、塚本三郎委員長、永末英一副委員長、大内啓伍書記長でスムーズに決定するはずだった。副委員長に擬せられた永末国対委員長が、第1日目の「国対報告」の最中、党運営に異議を唱えた。それに対し、春日常任顧問が演壇に立ち、「五臓六腑が煮え繰り返る」とやり返した。そして、“灰皿事件”となったのである。

 

 46年の党大会で春日・曾禰両氏による党首選があったが、47年総選挙の敗北で、派閥活動は急速に薄らぐ。佐々木委員長時代の話だが、春日常任顧問にある若手国会議員が「佐々木委員長は面倒見が悪い」などと言いつのり、「党内に、佐々木派なんてほとんどいませんよ。みんな春日派です」とゴマをすった。黙ってきいていた春日は、喜ぶかと思いきや、「そんなことはない。我輩が佐々木派だ。ああのこうのと言わずに、委員長を助けることだ」と一喝したそうだ。

 

 春日・佐々木の仲は、肌合いは合わないが、お互いが認めた永遠のライバルであり、同士であった。

 

55年の「大平内閣不信任案」では、春日が「提出すれば可決され、選挙となる」と反対し、佐々木は「野党である以上、不信任案を提出すべき」と対立。結果は春日のヨミ通りとなったが、党は選挙を乗り切った。

 

 塚本委員長が、リクルート問題で退陣要求が出たときも、二人は対立する。春日は徹底的に塚本擁護に走り、党大会の前に記者会見を行う。当方は広報の担当として立ち会うことにした。院内の民社党控室へ、春日はゆったり歩いてくる。当方を見とめると、右手を上げる独特のポーズで「やぁ、お主、元気か」と声をかけてきた。秘書のK君から「風邪をひいて、39度を越える熱を出しています」ときいていただけに驚いた。控室を埋めた数十人の記者たちを前に、1時間半に渡って熱弁をふるった。火を吹く男・春日の仁王立ちであった。その話をもれ伝えきいた自民党の浜田幸一は、総務会で「春日先生は男ですなぁ」と感にたえたという。浜田がラスベガス賭博問題や予算委員長辞任のとき、誰も仁王立ちしてくれなかった我が身と、比較していたのかもしれない。

 

 仁王立ちのかいもなく、塚本は退陣し、永末が委員長となった。春日は風邪をこじらせ、病床に伏せる。佐々木は名古屋の春日宅を訪れ、枕もとで盛りそばをたぐったという。春日は3ヶ月も持たずに他界した。

 

 名古屋の自宅には、取材で行ったことがある。お屋敷とはほど遠い普通の民家であった。政治家の家らしかったのは、小ぶりだが応接間があったこと。

 

 和服であらわれた常任顧問の最初の一言が「○○が世話になっているなぁ」であった。○○とは、当方の部下である。彼が春日の娘と結婚し、女婿となっていたのだ。

 

 「それで貴公、生国はどちらかな」

 「北海道です」

 「そうか、蝦夷の国か。あそこは、1区が空いているだろう、2区も3区も空いている。4区は小平君がいるからだめだ。5区も空いている。どうだ、立たないか。男なら、一国一城の主になるべきだ」

 

 これは、“春日の人たらし”と言って、人を見れば、という頻度で、声をかけているのを知っているので、当方は驚かない。丁重にお断りする。

 

 春日の秘書であったU君は、「お前が立て」と言われて、名古屋で最も弱い区で県議選に立った。準備期間も短く、予想通り、落選した。夏になった。突然、春日が借家に訪ねてきた。

 

 「Uよ、海老を持ってきた」

 

 生きた車海老の籠が、20籠あった。

 

 「これに、俺の名刺とお前の名刺をはって、支援者宅をまわれ」

 

 U君は涙が出そうになったという。

 

 「それにしても、あばら屋だな、俺が保証人になってやる。家を建てろ。城を持って戦え」

 

 春日の援助と保証で家を建てた。次の選挙でU君は当選した。

 

 春日も佐々木も雑誌の対談予定を組むと、相手の本を読み、事前に勉強する。ゲラもチェックし、1行削ったら1行加えることも同じであった。若手議員が対談会場にやってきて、「ところで今日の相手、どんな人?」と照れもなく編集者である当方に確認する。「よく知らないから、サポートをよろしく」と言われ、対談の予定が鼎談となり、当方の発言を議員の発言にして対談にととのえた、といった無様なことは決して生じなかった。        (敬称略・つづく)