大志を抱く、北海道で

 

                                人間科学専攻  4期生・修了 片岡公博

   

  

  2004年8月26〜27日、北海道・札幌において日本教育学会第64回大会が開催されました。大胆不敵にも、初めて学会発表(自由研究発表)に挑戦してみました。今回、電子マガジンで、その報告をさせていただきます。

 日本列島が猛暑続きであった2004年の夏。さすがに北海道は予想以上に涼しく、海の幸、山の幸も美味。たとえば、「蟹を食べよう」、「それとも、うに丼、スープカレー?」、「じゃがいも、生タコ、イカソーメンもおいしいよ」、「札幌到着後、並んで食べた味噌ラーメンも最高」っていう感じでした。

 いや、そんなことでなく、肝心の自由研究発表について、報告をしておきましょう。

 大学院修了時に、指導教官の北野先生から、「一度、学会で発表してみないかい?」とお誘いを受けたのが、ことの始まりでした。毎年精力的に学会発表をされている指導教官の姿に魅惑を感じていたのも確かです。早速日本教育学会への入会手続きをとり、思い切って発表概要と発表要旨を大会事務局に送付し、修士論文の内容を踏まえて「教育思想・哲学」分野で学会発表にチャレンジしてみることにしました。

 やがて、8月に入って、大会プログラムが手元に届きました。開けてみると、何と私の出番は大会第1日目午前中で2番目の発表。それを見るや否や、急に焦りを感じ出しました。実は、口頭発表は、口下手な私にはもっとも苦手な分野なのです。
 
 そこで、昨年の大学院中間発表の反省点をも踏まえて、「なぜ、口頭発表が不得意なのか?」を自問自答しながら、その苦手意識を克服すべく、まずは、発表の読み上げ原稿と発表レジュメを充実することにしました。その際、今まで、ことあるごとに指導教官から投げかけられてきた質問を思い返し、あらためてその内容を咀嚼し直し、論点を絞り込む作業に終始しました。まさに、修了した今頃になって、ようやくその投げかけの意図や意味が理解できた場面もありました。

 発表時間は20分、質疑応答は10分間です。20分内の発表時間を厳守するべく、読み上げ原稿が話しことばとしてスムーズに流れるように何度も練り直し、そして、何度も発表原稿の読み上げ練習を積み重ねました。発表当日の朝、ホテルを出る間際までストップウォッチと、にらめっこする状態は続きました。その結果、無事、20分で発表を終えることはできました。貴重な体験になりました。

 「でも、私は、一見役にたちそうもない理論や概念をなぜ学ぼうとするのだろうか?ましてや、わざわざ身銭を切って、時間を割いて、今北海道にいるわけは?」発表後、このように、自分自身で反芻してみました。たとえば、その答えは、大学院卒の名誉や権威に対して、一種の憧憬を抱いているからだけなのでしょうか?

 そんなことをとりとめもなく考えていると、以前、指導教官が言われていたつぎの言葉が、ふと脳裏をよぎりました。


 「研究の方向も、これまでの社会・職業経験に立脚しながら、自己の内面の充実を図る生涯学習への意欲を。しかし、いかに豊富な経験を蓄えていても、それだけなら単なるベテラン。その固有の経験則を理論化・体系化して地域、社会に向かって情報として発信した とき、きっと価値は生まれます。」

そうです。

 翻って考えてみると、年齢も職業も経歴も様々な社会人大学院、我が日本大学大学院総合社会情報研究科で学ぶことができて本当によかったと、あらためて、しみじみ感じるのです。確かに、専門的な知識の豊富さや学習到達度のレベル、論文作成や口頭発表の目的・課題・方法の設定等、その巧妙さにおいては、日々研究活動に専念されているベテランの先生方には、基本的にかなわないのは事実かもしれません。けれども、とりわけ今回発表したような「思想・哲学」分野に私が興味をもつことができたのは、我が大学院で学んだからなのです。今回、大会に参加してみて、そのことがはっきりわかりました。

 また、問題意識を抱いて「固有の経験則を理論化・体系化」する意味合いを深めることは、きっと、我が大学院の「強み」にもつながると考えます。まさしく、その「強み」は、机上だけでは決して得られない「生涯学習」の醍醐味そのものではないでしょうか。そういう意味では、発表すること自体も意味のあることでしょうが、長い目でみれば、今までの人生のなかで何らかの形で蓄積したことを、その一角でも足跡として残しておくことは大切なことです。

 今後、学会が自分にとってどういう意味をもつのかは、まだわかりません。今回、大会に参加し発表したことで、今後の自分の進むべき道を模索する新たな悩みが始まったことも、確かです。

 研究手法や経験則はさまざまな形で存在していて、視点が異なれば、全く世界観が異なってきます。裏返して言えば、見つめるまなざしや手法、体験の違いがあるからこそ、「思想・哲学」分野もますます面白くなるのかもしれません。

 日々の営みのなかで、研究に取り組むのは、常に「学び」の喜びばかりが得られるというものではなく、むしろ、苦しい作業がともない、いっそ投げ出したくなることのほうが多いかもしれません。けれども、日々、「歴史を作るのは、まさに名もなき一人一人の民衆の具体的な生活史」そのもの、したがって、名も無き在野の研究者として、「大志を抱いて、苦闘しながらも今後も研究を継続していこう」、そんなふうに北海道で誓ったひと夏でした。

 以上、雑駁ながら報告にかえさせていただきます。