国際情報専攻   伊藤 守
 

      「司会者の立場を忘れて

       

   


 「月刊総合雑誌は有用か無用か」このような議題で1時間近くの議論は、久しぶりに経験するもので、仕事を別にすれば、学生時代以来です。当時、議論は「勝ち/負け、正しい/間違っている」の枠をでることは無く、議論を交わす過程でものごと「知覚」し「認識」するというもう一つの面が忘れられがちでした。有用論、無用論の間にあって、自分にとって 月刊総合雑誌がどのような意味を持っているかについて見直す機会になりました。

月刊総合雑誌は、時代を反映し、時代を牽引していたところもある。私にとって月刊総合雑誌は経済、政治、文化に触れるインターフェースの一つであり、今起こっているさまざまな社会現象を理解するインターフェースになっています。そこで展開される論理にふれることで、自分の内側に、今をとらえる「視点」をもつことができるようになっています。ものごとを理解するためには、事前に内側で概念を構築しておかなければなりません。私にとって、 月刊総合雑誌はその情報源の一つです。議論の題材もまたそこからうることが多くあります。残念ながら、月刊総合雑誌の発行部数の低下は否めず、それに変わるメディアの台頭は、議論そのものも商品化してしまい、私の周りから「議論」を取り上げてしまった。総じて、議論する機会が失われてゆくことには、危機感を覚えます。日本は老化したのでしょうか?