連載     「川物語(多摩川編その5)

 

                                                                           

                                       国際情報専攻 2期生 ・修了  村上恒夫

                                                                                      

 

 

 

 

 

 今から約30年前、1974年9月1日(防災の日)にその事件は始まった。勢力を増した台風は多摩川の上流に豪雨をもたらした。狛江市の横を流れる多摩川の水位は上昇し、事件現場の堰は怒涛のような多摩川の爆流にさらされていた。堅固な堰に遮られた爆流は左岸に力を解放できる抜け道を作り始めた。先掘りの開始である。

 

       
      多摩川狛江水道橋付近.
    
       
        事件発生場所付近.
 

 

 その後左岸堤防は完全に侵食され、民家を濁流に呑み込んだ。この光景はTVで生中継され、強烈な印象を視聴者に投げ与えた。後日、この事件を題材に「岸辺のアルバム」と言うTVドラマが作成された。

 

      
     多摩川決壊の碑
      
       多摩川決壊の碑と多摩川
 

 

 この日は防災の日ということもあって、防災の日の訓練を予定していた市が狛江消防署、消防団,市職員によって朝からそれを本物の水防活動に切り替えた。この災害に動員した人員は15,000人以上に上った(消防隊  2,792人 建設省  3,060人 自衛隊   938人 警視庁隊 9,784人)。

 

 狛江市は世田谷区に隣接し、近くには小田急線とJR線が交差する登戸駅がある。まさに大都会東京の一角に位置している。いくら30年前とは言え、このような災害が起こるとは夢にも思わなかったであろう。

 

 先日、洪水のために新潟や福島で多くの被害が出た。米作地帯は古くから洪水には寛容な地域であった。田圃は洪水を受け止める大きな調整池であり。洪水は多くの養分を上流から運ぶありがたい自然現象であった。

 

 人間の社会活動の広がりにより、多くの人間がこのような洪水の緩衝地帯に住み始めた。洪水の危険を承知で住む者、知らずに住む者。多くの人間が住み着き後生の住民は洪水の危険を忘れ去ってしまう。

 

 米国の災害危険地域には、個人の責任において住むこと。何かあっても政府に期待しないこと。これらを注意勧告していると言う。

 

 「自己責任?」。。。。。。。つい先日TVや新聞を騒がせた言葉だ。洪水が起こる危険性が高いですよ、住むのは「自己責任」ですよ。「自己責任」、はたしてこのような言葉を自然災害の罹災者に向けられるだろうか。

 

 河原でキャンプをして取り残され事故に遭う人、おまけに助けにきた救助隊に悪態をつく人など。思いをめぐらせると今日も眠れない、熱帯夜のせいばかりではない。

 

参考資料
(1)新多摩川誌編集委員会『新多摩川誌/本編 [上]』(河川環境管理財団、2001年)
(2)新多摩川誌編集委員会『新多摩川誌/本編 [中]』(河川環境管理財団、2001年)
(3)新多摩川誌編集委員会『新多摩川誌/本編 [下]』(河川環境管理財団、2001年)

(4)大熊隆『洪水と治水の河川史−水害の制圧から受容へ』(平凡社、1988年)