紀行文   

    15日間にハワイ2往復の旅」
    −
I touched Hawiian Spirit

 

                  国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
                         
(科目履修・研究生として博士後期を目指し在学中)

   

1 二往復の理由と効用

 クローウバル化とネット時代への変革と普及の迅速性は、渡航の都度、再認識させられいます。それに加えて学び続けることへの評価と畏敬の念は地位の高い方々ほどその真価を豊富なご経験によって認識の度合いが凄いことを体験しました。

 前号の電マガにおいても指摘した如くに、名刺の日・英の両面印刷とPhone Fax  E-mail Addressは不可欠の要素との実体験も幾度か味わいました。

 また HPは世界で広く読まれていることや例え、日本語であっても翻訳ソフトなどの活用や地位の高い方々は、広範な見識と有能な秘書の活用と相俟って、遠来の顧客や親友との再会場面では、相手方の地位・立場・興味・関心事を事前の十分な調査と把握に則って実態に即応した話題から、ビジネスチャンスや友情の輪が拡大することへの術を身に付けていることに感動する場面にも遭遇しました。

 この度も何度か日・英の両面名刺を呈示しての自己紹介の場面がありました。

 その際に「日本大学 大学院を知っている。」とか「JACCSという会社を知っている。」という大変異国で聞くと嬉しい答えが返ってきたのです。歓談の中で機が熟した頃合を見計らって、やや失礼かもしれませんが、私は”How is that grasped ?”としばしば尋ねています。

 その回答は、「インターネット活用の大学院の嚆矢として、数年前にHPを見ているし、 貴男が学んでいるということで、HPに接近している。」とか「JACCSは数年前までは、 世界各地のDFSの入り口に、石碑に文字のJACCS社名表示が大変に印象的で、確か米国のDFSをフランスの某社と二社のカード会社等で独占していた。」などの具体的な反響があり、表面的でない外交辞令的でもない、真に実態把握に基ずいた対応をしてくれることが、今後の交友関係を継続する過程で胸襟を正して、一層の鑽仰の姿勢の堅持と社業推進への意欲を掻き立てられ、ご叱正とご指導に加えてご示唆をお願いする姿勢を貫く決意ですので、是非 宜しくお願いします。

(1) 親友の勇退祝賀式への招待

 それは、去る5月24日のOffice of Chief Honolulu Police DepartmentのSecretariat ChiefのEuniceからの国際郵便に端を発しました。

  Euniceからのホノルル警察本部の公式書簡の招待状には、手紙が添えられており、ボスのChief Donohueは61歳となり、近く勇退することとなったので、その勇退祝賀式と退役式が挙行される運びとなりました。是非 出席をとのボスからの伝言もあり、日程的には勇退祝賀の晩餐会は、ホノルル随一のシェラトンホテルのボール・ルームで6月24日(木)5:30からです。退役式はホノルル警察本部2FCourtyardで6月30日(水)9:30と記されていました。

 数回Faxや Mailも試みましたが、と記載もあり、私は、その時期にMailの不具合に見舞われていました。さらには、Eunice秘書長は、6月に私共夫妻との再会を期待し、私とボスへの従来の貴男の厚意に感謝し、また、私共の孫の写真をMailで送付していたことにも触れて、so cuteと結んでありました.。

 絶好の機会を寄せてくれたEunice ホノルル警察本部長秘書長(左)と我が秘書長裕美(右)平成16年(2004)6月22日(火)米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2階警察本部長室前 

 Chief Donohueとは、前々職の時代からの交友であり、彼が平成14年3月に来日した際、私は彼を警視庁・皇居見学等で接遇し、最近の交流は、平成15年(2003')3月のイラク開戦直後にホノルルへ彼を表敬訪問し、相互に友情を確かめ合っています。

 

以前にChief Donohueに贈った裕美制作の木目込み人形

平成16(2004)622()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2階警察本部長室

 更に平成148月には小松ゼミ同期生の阿佐見さんご夫妻が結婚20周年記念旅行にハワイへ行った際にも、彼の歓迎を享受し、彼のスタッフの巡査部長の先導と案内で終戦記念日当日の混雑の中にも拘わらずアリゾナ記念館に優先入場を果たし、アリゾナ博物館館長に紹介されるなどの厚遇も享受しています。その他にも数件の表敬訪問を非公式ルートで対応してくれている間柄です。

 現在 勤め先の管轄署の方の表敬訪問をEuniceのご理解とご支援を得て進めています。

Chief of Police Honolulu Police Department Lee D. Donohue

平成16(2004)622()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2階警察本部長室

 彼は既に61歳とは意外でした。まだ50歳半ばと思っておりました。昨年3月にご夫妻から、ホノルル随一の「京屋」での晩餐の際にも、かなりプライベートな出身地のことにも言及する打ち解けた会話でしたが、年齢には触れずじまいでしたので、些か突然の日程で慌ててしまいました。

 しかしながら、どうしても先任者のChief of Police Michael S. Nakamuraの勇退祝賀式には、出席している経緯をChief Donohueは知っていることや彼との友情の絆を一層強固にすることと、日大大学院に入った際には、丁寧に励ましの言葉を贈ってくれた彼であり、その励ましに支えられて修士の学位を修得したこともあて、総合的に考慮し双方の行事に出席と即答しました。

 前回の前任者の退役諸行事日程は2月で、今回は6月であり、航空便の座席確保は、最近の航空需要の回復兆しから困難性が過った。

 (2) 二往復の不可欠性とその相乗効用

 次のような効果性と話題性からの相乗効果もあり、二往復を決断しました。現在の勤務先の株式会社JACCSの株主総会は629()と先に決定しており、所掌事務で、開催地は東京でなく商法の定めにより商法上の本社所在地の函館です。

 既に511日・12日には、北海道警警察本部長を訪ねて、警戒要請と社長名の警戒要請書を道警函館方面本部と管轄警察署の函館西警察署長に提出済みで、事務は順調に進行の渦中にあり、後は総会直前の情勢判断と各社で実施されているように直前打合やリハーサルについては、株主招集通知後に株主からのご意見の確認等を残すのみの情勢下にあり、今期は創立50周年の記念すべき年の総会で、収益もほぼ計画の範疇にあり、社の業務に関しては問題点となるような事項も把握されていなかった。

 本番の総会は大変に盛会裏に昨年並みの時間で、無事に提案議案の審議も議了となって臨場警察官の出番はここ十数年全く無いとの地元警察の説明でした。勇退祝賀の晩餐会は、ホノルルのワイキキで624()の夕方、退役式はホノルルの警察本部で630()午前となっており、日本と米国の西端のハワイを二往復は不可避となった。

 しかしながら、簡単に2往復といってもその距離は、片道3,335Km(東京〜名古屋366Kmでその約十倍が片道の距離)であり、航空会社に問い合わせると意外や意外で、今年の夏は既に航空需要は上向きに転じており、特に行き先のハワイについて、米国の学校は既に夏休みの初頭であり、学生グループの国内(ハワイは彼らの国内)旅行の日本への出発点で、日本への六月中の飛行便は9割方は埋まっているとの回答で、日程的に不可能との回答を数社からあり、そこで日本から最大数の国際便を飛ばしているそして自分のマイルエージを登録している贔屓のNWAの国際業務部へ直接交渉した結果は、どうにか次の旅程となった。超繁忙期にキメ細かい対応に感謝します。

  お陰様で短期間の二往復が実現しました。

◎ 21()成田から出国の前倒しなる。

◎ 24() 勇退祝賀晩餐会への出席。

   ハワイの24()の行事後に、翌25()にハワイから出国し、26()関空経由で帰国して、27()自宅で株主総会への準備、28()総会前に函館入りして関係官署に直前情報の確認・挨拶後に最終リハーサルに臨む。

◎ 29() 株主総会への出席。

 株主総会終了後は、関係官署に御礼・挨拶後に函館空港から羽田へ。自宅に戻らず。夜成田から再出国し、ホノルルへ29()朝再入国(日付変更線通過で同日着)

◎ 30() 退役式への参列。

   翌日帰国希望なれど、予約不可能で帰国は後倒しとなる。

◎ 74()ホノルルから出国し5()成田に帰国6()出社

 先ず、身体的にも時間的にもまた経済的にも相当の強行軍となり、緊張感の持続や永年の友情の絆を一層強固にすることや勤務先での自己の職責への自覚心等を多角的にメリット・デメリットを念頭に詳細な検討後に、夫婦での参列なので、家内は単独で四日間ホノルルに残留させて、自分のみが二往復し、ビジネス・クラスをNWAにお願いしたが、一旦関空への帰国はエコノミー1席のみ空席の実態、超繁忙期のトンボ帰りとなった。

 計画決定の最終段階には、平素ご指導を戴いているここ数年前に開業し、評判の高い近所の高橋クリニックの高橋医師からは、

 「意識が先行しないように、身体内の時差時計を狂わせないこと。」

 と貴重なアドヴァィスを頂戴し、健康診断を済ませての出発とした。

 当然 勤め先には詳細な日程と有事の際の緊急連絡用のFAX用紙に必要事項を事前に記載して残置し、有事に備え途中に前半・後半にそれぞれ国際電話で中間連絡をとり、連携を緊密にしていましたが、何事なかった。

 勤め先には、直属上司の首都圏エリア本部長の川崎常務に事情を詳しく報告し、ご理解を戴き、株主総会前の重要時期の休暇は、それまでの休日出勤した分の振り替えの代休処理としていただいた。このことが重要行事直前の欠勤を精神的にも自己納得と自信が保たれて大変に癒し効果があり、本期間を通じての最大の癒し効果であった。

 折から社内の人事異動の時期で、内示は出発前にあり、直属上司はご栄転され、替わっての首都圏エリア本部長の林上席執行役員の歓迎会には日程的に出席不可能であったが、帰国後の出勤日には大変に暖かく迎えられホットしました。

 相乗効果としては、厳しい強行軍的日程の達成には、身体的にも精神的にも、自己責任の計画で自信と素晴らしい達成感を享受することが出来たことです。

 短期間に日本とハワイ二往復は、勇退祝賀の晩餐会ではワイキキ随一のシェラトン・ホテルのボール・ルームの1,000人近いゲストにIntroduction of Special Guestsにおいて、二度も私共夫妻が、二往復することを紹介される栄誉に浴すことが出来たことです。

 当然、行動は慎重に「安全と健康第一」に「1,000里の道も999里を以って半ば」の心掛が大事と再認識しました。

 Suddenly a great cheer arose.の表現がピッタリな期せずして大歓声が、大ホールに沸き揚がりの1,000人近いゲストにIntroduction of Special Guestsの状景は、生涯私共も忘れ得ぬ出来事としてChief Donohueとの友情を大切にして行こうと決意したことです。出張の東京函館間は、社用ですから、旅費規程により航空運賃は当然に社の負担です。

 私は、高橋医師の忠告を尊重して、身体的負担の軽減策として自己負担で、Super Seatを奮発して、万が一にも身体的肉体的にも、再々就職先に迷惑を掛けてはとの配慮と自分への勲章としました。

 そこでは、思わぬ情景に遭遇し、素晴らしい我がCEOの姿勢を拝見しました。

 搭乗後、暫くすると羽田発の函館便はほぼ満席になり、離陸間際に乗り込んできた紳士は当社木島光彦代表取締役CEOでしたので、目立たぬように挨拶しました。

 何と木島光彦のお席の最前列から二列目左斜後方が自席でした。

 離陸直前に客室乗務員は、新聞を薦めたり、週刊誌を薦めに来る都度、社長は大変丁寧に客室乗務員に「結構です。どうもありがとう。」と対応していた。

 また、おしぼりの回収に来た客室乗務員にも同様に「どうもありがとう。」と対応する姿勢を拝見した。その後は、推察するに秘書からのメモのようなものを二・三枚読んで、後は新書版を静かに読書している、将に紳士体現の姿勢であり、株主総会のリハーサルを数時間後に控えても、予習等は無く、余裕と自信の雰囲気と体勢には、明日の株主総会は、大丈夫との感触を得ました。Super Seatを奮発してとても勉強になりました。

 しばしば、「俺はお客だ」という態度で、周囲には見苦しい客の暴虐武人振りを散見しますが、「実るほど頭の下がる稲穂かな。」を想起しました。

 当然、当日の株主総会のリハーサルでは、模擬株主からの辛辣な質問にも全く動ぜず、役職員含めて明日の総会は大丈夫との自信を社長は皆に与えました。

 勿論本番の総会では、業務報告などの説明責任は自信と実績に裏付けられた、実質業界一の収益に独立系の強さと本業専心の50周年記念配当12円の発表から、総てを文字通り陣頭指揮しての、更なる100年へ向けての決意表明と直前に地元函館市への1,000万円の寄付金等を含めた社会貢献をする高い倫理性のある企業で、OB社員への配慮から現役社員への配慮や株主還元を徹底し、CSを第一に収益を目指す「信を万事の本となす」の創業精神の一端を垣間見る絶好の機会なったことです。

 最近の報道によりますと四社に一社は社是や社訓の改革を迫られているとのことです。

 1年少々の在社経験からですが、社会との共生、顧客第一、挑戦、従業員の尊重、株主に対する還元等の現在、問題視されていることは、ことごとくクリァーされており、かつ、社内の不祥事は皆無で社内融和の徹底したCS第一の経営理念とお見受けしています。等々の相乗効果がありました。

(3) 準戦時下の米国への短期間での再入国

 現在、米国は大統領選挙の年であり、イラク開戦後の準戦時下です。

 従って、相当厳しい入国審査や航空機搭乗前の携帯品の検査と身体検査は十分に予期していました。S-11以降の空港の検問体制は、教訓が活かされて連邦レベルの体制に格上げされてからも、二回渡米しています。

 1991年以降の渡航の際には、必ず私は警戒レベルチェックとして、機内持ち込み携行品にフルーツナイフとカンオープナーにホワイトハウス見学記念限定版のロゴ入ナイフ付き爪切りを忍ばせることにしている。

 今回の旅行では、日本では国内線3(函館往復と関空〜羽田)、国際線2(成田発ホノルル21日と29日の2)と米国では国内線2(ホノルル−コナ往復)、国際線(ホノルル発関空へ25日、ホノルル発成田8/4)2回の計9回の検問を受けたが、携帯品検査のXRayでの再検査は、米国内での国際線への2回の搭乗時に限られており、奇しくも同一係員で、一度はホノルルから関空への時とホノルルからの成田への時であった。従来は米国からの出国時は、極めて簡単な検査であったが、厳しくチェックするXRayの読み込み技術が進歩したことと監視体制に成果主義を導入していることで、見習うべき体制確立と認識し、再発見した係員のボスにその間の事情を告げて、このチェック体制のお陰で楽しく安全な旅行が可能だと伝えて、NWAVIPラウンジンの隣の土産店で$10の花を贈ったら、仕事を理解してくれてと逆に丁重お礼を言われて、空港検問の実態のエピソードを伺いつつ、専攻の危機管理を肌で感じつつ暫しの歓談を楽しみました。

 入国審査では、29日には、短期間に再入国は観光かと、ホノルルの入国審査官に厳しく問い質される一幕があり、「何故に短期間の再入国か」とそこで理由はこれですとChief of Police HPDの招待状を示すと「I know him .Enjoy Aloha !」と笑顔で、納得して通過できた。大切に肌身離さずに携行していた良かった。

 Secretariat ChiefEunice Shigeko Tanakaからの国際郵便

平成16(2004)524日配達のOffice pf Chief Honolulu Police Departmnt公用書簡

 危ふく昨年のイラク開戦翌日の220日にオアフ島からの帰途に厳しい検問に日本語で文句を付け、有無を言わさずに4人の警戒の州兵に連れ去られて搭乗不可能に陥ったセキュリティに無防備で無理解な日本人の姿を思わず想起する一幕でした。

 矢張り準戦時体制下の米国を実感出来て、貴重な体験となった。特にS-11後は、凶器は勿論のこと爆発物や麻薬そして炭素菌対応の検査機構が厳しいので、常備薬でも、主治医の英文による処方箋を持参することで、単なる胃薬等でも薬事法体系が異なるので、完全に説明不可能な方々は、連絡可能な医師で英語での対応可能な方の電話番号を記載したものと当該医師や薬剤師のサインのある書類を持参することが、旅で不要なトラブルに巻き込まれないコツでもある。最近の夏休み海外旅行の第一に新聞で取りあげられていたので、お出かけの方々は是非お試し下さい。

(4) NWAの客室乗務員の対応の繊細性と卓越性

 今回の渡航も、2往復共にNWAのお世話になった。

 4フライトの内ホノルルから関空への帰国便以外は、前記のハードなスケジーュルからビジネスとして貰った。

 関空への帰国便では、NWAの客室乗務員は2歳未満の料金不要で座席無しの乳幼児に対する対応については、専用の機内壁掛け式の乳母車スタイル様の赤ん坊専用機器を活用しての母親の負担軽減を図り、他の乗客よりも丁寧に対処している姿は、女性の繊細性とベテランらしく周囲の乗客との調和を図りつつも、とても卓越した所作が周辺の乗客にも、安堵感と赤ん坊への安心感を与え、泣き声は殆んど聞かれず、降機の際には、「この次も宜しく。」とその搭乗客がお礼を客室乗務員に述べているシーンがあった。

 機内は満席で、機内を数回散歩して、エコノミー症候群防止に努めたが、機内中程の非常用出口前の客室乗務員のジャンプ・シートの前が一席空いているのみの満席でした。

 そのような混雑を極める繁忙期にもキメ細かな対処がリピーイターを生み、サビースをする側と享受する側のコミュニケイトが図られ、別れ際に謝意になって現れ、達成感となって、長い7時間近くを休憩無しでの機内客室乗務員の疲労緩和にも寄与すると信じたいもので、実態に即応した対応力を培う教育訓練の資質の高さが窺えた。

 その他の三回のビジネス・クラスでのホノルル便二回と成田便一回では、例えば、機内持ち込みの手荷物をクローゼットに収納する際は、必ず置く位置を確認し、必要な機内用のカーディガなどの出し入れの際には、さりげなく手元を明るくしてくれる気配りがあり、私は機内で肌身から離す時は、鞄は必ず小型の番号式錠前を使用し、管理の自己責任と他への迷惑波及を防ぎ、心理的安堵感が気持ちを休めて、フライトを楽しむことを生活化していますので、大変に助かりました。勿論食事と椅子は美味で快適でした。

 今回の渡航は、孫が生まれてから初めてで、過去に時々「孫に飛行記念を」と客室乗務員にお願いしている搭乗客に遭遇したことがあり、今回試してみたところ従来よりは、原油高や航空需要低迷等で、経費切迫の煽りで、バブルの時期程は沢山搭載してませんが、と申し訳なさそうな説明の後に、でもとても可愛い航空機模型等を頂戴した。

 キット秘蔵の品を探し出しての頒布であろう、ありがとう。

 CSは当該顧客とその周辺の客にまでの波及効果が癒しとなった場面であり、超繁忙期でも手を抜かずに実態に即応した接客態度は清清しいものがあった。

2 我が国に存在しない文化

  私は、都と国の治安関連の部署に36年程勤務させていただき、行政と地域社会の連携の大切さは身をもって体験したし、国の機関に出向した際には、警察大学の教授職として、多方面に亘り、内外の諸制度も研究することが可能であり、私の知る限りでは、我が国には、行政機関の、特に法執行機関のトップが勇退する際に、地域社会の首長までが、駆けつけ、大勢の地域市民が有料で集う退役式は前代未聞である。

 何も、ここに取り上げた退役式がベストとは言わないが、異文化に学び教訓を得るという姿勢は人類の発展に必要なことだとの認識はある。またグロウバル化する日本で、企業の海外生産拠点での現地との交流や観光旅行の参考となれば望外の幸せです。

 その地域には、地政学的で歴史学的な伝統的な地域特性と居住地域住民が永年に亘って、培ってきた文化乃至は道徳倫理的な諸行事が時代の進展と共に推移するものであることをも否定するものではない。

 しかしながら、自分が永年心血を注いで、自己の選択した道で相当の成果を揚げて、周囲や社会一般からも、計数的にも認められ、誰もが避けて通れない加齢により、後進に道を譲る時に、その素晴らし功績を、本人の努力とその家族の支援として、可能な限り賛辞を惜しまない社会の仕組みは、後に続くものへ向上心と社会組織の永続性を相互に認める素晴らしいコミュニティの文化と受止めたので、その一端を紹介するものである。

 (1) 地元紙の論調

 Chief Donohueについて退役祝賀晩餐会と退役式の中間の627日付けの地元紙Honolulu Star –Bulletin Hawaiiはそのトップと16頁に「Final Chapter」と題して、東京オリンピックの年の1964,7,1の採用時からの氏の業績を具体的数字や創造性に富んだ各種施策を挙げて、誰もが納得する論調で業績面で他の米国の都市との犯罪抑止力や警察官の待遇改善などや彼が平素から考えていることとしての、地域社会との融合とパトロールの大事さを 「ただ警察官になりたかっただけ。」と謙虚な姿勢も紹介し、就任の当初の400名の欠員問題や初任給の引上げを矛盾するコスト削減の効率化と取り組んで実現したことなどを財政基盤と体感治安水準向上の業績を示して、地域住民に解り易く伝えていた。

 警察事務の特殊性は危険性を内包しているので、殉職事案は彼の在任中にも発生し、その機会に氏は全米に先駆けての新たな武器の携行に改革するなどの今後の犯罪抑止を発揮する新聞論調であった。

 また624日の同紙は、ホノルルは近年3年に8,500の居住人口増で全米45大都市の仲間入りを伝えており、この数値は観光客や基地の軍人は除くとのことであり、人口増は当然に警察運営にも多大な影響があったものと思われ。その渦中での彼の業績は、誰もが十分に評価することに納得するデーターを示したものであった。地元紙は公器として地域社会の要望を的確に捉え、地元紙として機能していた。

 

(2) 勇退祝賀晩餐会と退役式

  −法執行機関と地域社会との連携−

   勇退祝賀晩餐会はワイキキのシェラトンホテルのボール・ルームで624日午後530分から開催され、午後1120分までした。

 会場は10人掛けのテーブル100卓の他にDonohue家族用の白布を覆われた20人掛けが特別に会場中央に設えてあり、会場正面の一段高い演壇の両側には天井からの大スクーリンには、氏の誕生から現在までの人生模様をVTRとパワーポイントで、ハワイアンバンドの演奏を交えての映像が映し出されていた。

 私共は、やや早めに同じ止宿先のワイキキのホテルから徒歩、5分程で午後5時過ぎに到着したら22日にChief Donohueを訪ねた際に、警察博物館や警察本部の危機管理部署を案内してくれた、広報課のClayton Kau 警部補の出迎えを受けた。

 説明では間もなく秘書長のEuniceが到着し、続いてChiefが会場に着き、お客様を入り口で出迎えるレシーィビング・ラインを整え、知事・司法長官や招待者を迎える手筈です。との説明があり、程なくしてChiefの家族一行20名程が到着して、奥様と長男以外は初対面でしたので、私共夫婦はChiefの紹介で、顔合わせとなり、歓迎のレイを二本も頂くこととなった。受付には既に列が階段下まで続き、招待者全員が色紙様のものに一人一枚一言記念の言葉を記載する習慣のようで、家内が代表でHappy Retirementなどと記載していた。入口にはHPDの氷柱のオブジェが常夏の国に彩りを添えていた。

 私共の卓は、100卓の中でTable No18の最上席でした。

 私共の卓には、在ホノルル日本国総領事館の武藤正敬総領事やThe Queen Health SystemsGary A.Okamot,M.D 社長兼CEOやカポレアゴルフ場中村延雄社長兼CEO、ホノルルの有名な歌手等の著名な方々と夫々名刺交換となり、開会となった。この祝賀晩餐会は、会費 は$50で贈り物は$10以内、その20%はChiefからチャリティーと して公的機関に寄付と言うルールで広く、ホノルル警察が公募の形での開催、平素はホノルルでは会費は$30が相場で 、日本の相場に置き替えるとホテルニューオータニで78万円程のパーティですと隣の席の中村社長の現地実態と日本の相場を交えて解説をして頂いた。その解説通りに晩餐は、洋食のフルコースで、ステーィキから海の幸を交えた豪華なものであった。ホノルル市民と共に堪能しました。

 式は、ホノルル警察本部広報課のLuna巡査部長の歓迎の挨拶から始まり、先日の選挙で当選した、Lindaハワイ州知事の式辞はChiefの業績とホノルル警察の全米一の業績に支えられている地域社会の安全性へのChiefとスタッフの貢献度を女性知事らしくキメ細かく、指摘してのものでした。引き続き司法長官の祝辞は、Chiefの犯罪抑止力行使の創意工夫で警察が地域住民の負託に応えている実態を指摘してのものでした。

 その後は、特別来賓としての前記二人の要人の紹介や連邦・ホノルル市行政関係高官の紹介があり、ここで図らずも警視庁の退役警視で、JACCS会社の長谷川顧問夫妻がこの式典に列席していると紹介されて、ビックリしてると周囲から、席から立ちなさいと勧められる一幕もあり、破格の処遇に二往復の苦労もフッ飛びました。

 異邦で警視庁に身を置いたことやJACCSに勤めていることへの誇りを感じました。この辺から食事が次々に運ばれて、とても食べきれるものではなかった。その後キリスト教国らしく、ホノルル警察のO’Neil牧師による神への祈願があった。

 その後は、Chiefと関連の方々の祝辞があり、Acting Chief Kajiyama次期本部長予定

  者の大変にセンスの善い送別の辞等を延々と二時間程入れ替わり立ち代り、時間の経過を忘れさせる演出は国民性に加えて、Alohaな精神と思いました。

 プレゼンティションでは、Chiefとの親交のあった方々や勤務を共にした方々からのものが続き、御子息のDonohue Jrの「父と上司たる本部長を語る30分のSpeechは、将に 我が国では思いも及ばぬ、親子の情と組織愛への直向なそして家族への思いを込めて当夜の最大の送る言葉を贈っていたのには、感激させられ、また文化の違いを思い知らされることとなった。Marvelous !のひとことであった。

 矢張り最後はChiefFarwell Remarksでした。

 ここで氏は私との友情と私の社への忠誠心から、この短期間に二度も日本との間を往復する長谷川夫妻と紹介され、万来の拍手に包まれる生涯忘れ得ぬ面映い場面を与えられる光栄にも浴することとなりました。

 そして氏は、40年間を振り返り、家族やホノルル市民の協力を謝する事と殉職者や思い半ばで病に倒れた方々への言葉もあって、素晴らしい謝辞で、終了間際には、会場の全員が総立ちになっての拍手で、惜しまれつつ演壇を降りていった。

 晩餐会の酣の中で、前任者のMaichel S Nakmura氏や司法長官のMr Ronald T. Y. Moonとの歓談を楽しんだ。

 最初の1993年の夏休みに当時、都の災害担当をしていた私は、夏休みにあるハリケーンから不死鳥のように蘇ったハワイの基となった、各種バックアップシステムの研究に夏休みを利用して訪ねた時以来親交を重ねているEdward J. Lingoとも再会し、お互いに年末のカレンダーの交換などと再就職先の話題に花が咲いた。隣の席は、日本人のカポレアゴルフ場中村社長でしたので、同席の家内も交えての料理と歓談を楽しみました。カポレアゴルフ場は、アオフ島で日本人が一番にプレイしたいゴルフ場で、私共は出発前に家内はインターネットで調べたら日程が合わずに、

 別のハワイアン・カイとワイコロアでプレーすることになったなどと話の輪が弾み、パールハーバーを臨む風光明媚なリゾートエリアだそうです。参加に世界のビジネスマンらしく26日に一旦帰国したら、自宅にMailが入っており、折り返し返信にはAloha Spiritを紹介した、我が大学院の電マガ2003,311号を紹介した。

 流石にQuick responseの重要性を中村社長に教えられ、ありがとうございました。ChiefFarwell Remarksは、格調の高い、行政のトップに相応しいものでした。政財官民各界の名士のみならず、大勢の市民が一堂に会した送別の宴は、勿論、HPDの彼のかっての上司・同僚、スタッフとボランティアが退役を惜しみ延々と続いた。

ChiefFarwell Remarks

Annual Report 2003の巻頭言 ”Message from the Chief of Police.”

 

退役式はホノルル警察本部二階中庭の特設会場で630日午前930分からでした。

 式典は前記ホノルル警察本部広報課のLuna巡査部長の進行司会で挙行されました。

 式典は厳かな中にも南国のハワイらしく、ハワイアンバンドの演奏で、多くの新鮮な緑に包まれたホノルル警察本部の二階中庭でした。

 私どもは、遠来の本部長の賓客として市長の隣の最前の席を指定されました。

 米連邦政府高官、連邦検事、州知事、同副知事、友人篤志家の方々は、勇退記念品の贈呈と功績に対する感謝とエピソ−ドなどを披露し、その都度Chefは、笑顔で頷き、会場は賛同のチェアイングや拍手とフラッシュが焚かれ、会場は祝賀ム−ド一杯でした。

 最初はSpecial Guest に続き、ホノルル市長Jeremy Harris, Mayerの祝辞、そしてプレゼンテーションの三番目に「スピ−チをお願い !」と言って同秘書は本部長が是非と希望されていると言うし、Donohueを見るとウインクしてこちらを見ておられました。プロク゛ラムにも記載されており、そうしているうちに司会のアナウスが、

 「次はチ−フの日本からの友人で、警視庁の退役警視の現JACCS顧問で、日本大学、大学院研究生ののミスタ−ハセガワ」と司会のホノルル警察広報課Luna巡査部長は、私の名刺を見ながら紹介され、私は意を決し演壇に立ちました。前回は突然でしたが、今回はEuniceから事前の話があり、事前準備はしたもの、英語でネイテイブを前にしてのことは、相当なプレッシャーがありました。しかし、今回は近藤先生のミシガン大学でのご講演の原稿の資料を教材で頂いたものをベースに切り抜けました。

 私はSpeechでは、招待への謝意表明に続き、世界から何故大勢の人々がホノルルを訪れるのでしょうか?それはホノルルの気候温暖・風光明媚で、人々が親切で素晴らしいからです。しかし、私の見解はそれ以上の理由は、安全な都市だからです。それはチ−フとそのスタッフとその家族そしてボランティアの努力の賜物だと確信します。私は、退役警視庁警視で、現在はJACCS顧問です。以前、現職中にはマイスタッフがホノルル警察から多くを学び、帰国後、彼らは仕事で成果を挙げました。これは偏にChiefのお陰です。感謝しています。ホノルル警察から多くを学んで大変感謝しています。

 更に彼は私事休暇で日本に21日もの期間、100人近い子供を引率して、空手修行を通じての少年健全育成対策のために参りました。その姿には、日本の警察も学んだことでしょうし、これは彼と家族、そして、彼のスタッフとの信頼関係と尊敬と敬愛のアロハな精神です。警察のトップのボランテイテア活動は日本では信じられません。学ぶべきことの多い素晴らしいことです。下手なSpeechを傾注して頂きありがとうございます。チ−フの幸せな勇退に敬意を表します。」

 その他には、彼の公式日本訪問時のエピソードなど下準備はしていましたが、そこまでは触れられのませんでした。その後のパティ−では、ハワイの方々はアロハな精神で、米連邦検事州氏他数名の方々から、わざわざ名刺を示して
「ボランティアに触れたのは大変良いスピ−チだ。」「ホノルル市民と警察を理解してくれてありがとう。」などと外交辞令半分としても、ホットすると同時に、拙い英会話が理解され、日米親善に寄与出来たことが嬉しかったので、当時の名刺は、一生の私の宝物です。

 それらの方々には現在写真とお手紙を書いている最中です。

 ★★★★は、四ッ星将軍として唯一の本部長の階級表示ホノルル警察本部(HPD)は、全米でNYPDをトップに17番目の規模の警察機構である。

 そのトップはChief Donohueであり、居住人口100万人に近く、これには軍関係者と年間数百万の世界からの観光客の滞留人口は含まれていない、また、近年3年で人口は2,3%激増し、全米45大都市の仲間入りをした。この大都市圏を約4,000の警察官と700名のボランテイアが護っており、人口増にも拘わらす、全米1の体感治安の善さを誇ってる。

 全米1の安全性はLee D.Donohue本部長とそのスタッフに加えてボランティアの家族をも含めての献身的な努力のお陰と市民は信じての協力する友好関係が育まれている。

 ホノルル警察は、Lee D.Donohue本部長の統率の下に、「高潔」「誠実」「公正」の信条の下に「仕事は市民のために」から「仕事は市民とともに」への指針を示して、「ストップザバイオレンス」に4,000の警察官と元職員数百名がボランティアで登録され、毎日数十人が24時間フルカバ−で、一生懸命に暑く青い空と海の「常夏の楽園」を護っていた。

 なお国際間での行政機関の長への公式表敬訪問は、通常表敬先国派遣の総領事等を通じ、意向を打診後に同等の立場にあるもの(counter partner)が、外交辞令的に主管事務には言及しない国際礼譲の下の儀礼的色彩の国際交流である。(総監表敬は米大から警察庁経由)

 非公式表敬は枠を超えた永年培った個人的な交流等に端を発し、真に主管事項を極めるる高度情報に接する機会も多い、堅き紐帯の国際間の私的交流は、外交・行政上で稀有なケースで情報変化の激しい今、貴重な交流が国際紛争防止の端緒であったこともある。

 内外の民間では、非公式表敬に高い意義と価値を認め、人脈構築による情報網展開を目指し、政官行財高位者との写真をCEO室に飾り、人脈の豊富さを示している例もある。真の価値を解る例として、当時知り合って間が無い小松ゼミ同期生から、一昨年夏に『長谷川さんこの度は、私たち結婚20周年のハワイ旅行に名誉あるLeeD.Donohueに表敬訪問をさせていただき妻共々大変感謝しております。当日はご指定されたアポイント時間に訪問し、ご多忙中にもかかわらず約一時間にわたり快く歓談していただき、さらに部下の方に命じ、真珠湾のアリゾナ記念館までお連れしていただくなど本当に心温まる対応に驚くばかりでした。これも一重に長谷川さんの人柄や経歴、さらには幅広い人脈に改めて敬服させていただくと同時にハワイ警察の博物館には長谷川さんから寄贈された警察帽が所狭しと説明書き付で飾ってあり、説明員の方が誇らしげに説明くださいました。多くの警察官の方にお世話になり、本当にありがとうございました。まずは帰国ご挨拶まで』を抜粋として、紹介させていただき、今後もこのような機会のあるときは、是非とも犬馬の労をとらせていただきたいものです。喜びは分かち合うものです。

 彼の情報で私は前々職時代の自分の制帽にホノルル警察博物館で再会を果たした。

退役祝賀晩餐会

上 Jrの「我が父そして我が本部長」への謝辞。全家族が登壇して。

中 司法長官Mr Ronald T. Y. Moon Chief Justice Supreme Court The Judiciary State of Hawai’i

下 左 カポレアゴルフ場中村 延雄 社長兼CEO 下 右 Edward J.Lingo
(
ホノルル警察退役次長)

平成16630日退役祝賀晩餐会 ワイキキのシェラトンホテルのボールルームで

ホノルル警察における退役式

  

退役式でホノルル市長の次にPersonal FriendとしてSpeech

右 ホノルル警察本部広報課のLuna巡査部長

平成16730()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2

 

退役式のフィナーレは令夫人にる警察本部長徽章の取外

報道が殺到する山場で中腰でのカメラを構える女性は氏の令嬢

平成16730()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2

 

Happy  Retirement Chief Donohueの飾り文字入の特大ケーキ(1m×1,5M)

平成16630()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2

 

 

1,000名の祝賀客のテーブル90卓中の17卓で最前列から2列中央

平成16624()ホノルル市ワイキキ・シェラトンのボールルーム2

 

Speech終了後に「ケンジ」と名乗り、Speechに賛辞を贈ってくれた連邦検事と

平成16630()米国ハワイ州ホノルル市・郡警察本部2

 (3) Hawiian Spiritに触れて

 Alohaは親切な思いやり、調和と協同の心、快適さ、謙虚で慎ましい、そして根気があって忍耐強く辛抱する精神だそうです。(By Pilahi Paki)これはハワイ観光局の野崎さんが出典を示し、丁寧に私の質問に答えてくれたものです。

 今回の旅で多くのHawaiian Spiritに触れました。

 近藤教授は、Happy houreには笑顔を持参して下さい。と仰りますが、将にこの精神とも共通するものがあります。

 私共が止宿しアウトリーガ系は、一回泊まると必ず、先に挨拶をくれます。異邦の地での挨拶と笑顔は何にも替え難いものです。

 私共が10年来同ホテルを贔屓にしているのは、この快適さとリピーターを決して忘れない調和と協同の心で接してしれます。

 冒頭の秘書長のEuniceは、下手な私の英語にも善く対応してくれる謙虚で慎ましい、そして根気があって忍耐強く辛抱する精神の方で笑顔の綺麗な聡明な方です。

 前記のNWA29日のホノルル便の客室乗務員とは偶然に、ホノルルの大通りのカラカイ通りで遭遇した時も、先に覚えていて挨拶を交わすこととなり、多数の乗客から、降機後も顧客として接遇する奉仕の精神は快適さと謙虚で慎ましい、NWAの本社のあるミネソタのMinnesota niceとも共通性がある。

下左 執務室にて       下右 ホノルル警察旗の前にて

平成16622() Chief Donohueを訪ねてホノルル市郡警察本部

中段 左 ホノルル市長Jeremy Harris, Mayerの祝辞

中段  謝辞・退役の辞 Chief of Police Honolulu Police Department

                         Chief Lee D, Donohue

中段  友人の祝辞 Mr Masaaki Hasegawa(Retired Police Superintendent)

    Research Student of Nihon Univ GSSC. Ethics & Compliance Adviser to JACCS Co.

下段 左 ホノルル市長と   下段 右 Chief Donohue  & his Family.
平成16630() ホノルル警察本部二階中庭退役式典会場

 

3 ホノルル独りぼっちの記

 (1) Alohaな方々

   結果的には、家内には異国の地ホノルルで5日間単独でホテル生活を強いることとなった。しかし、Alohaに方々に助けられて、平穏に楽しく独りで買物や街中見物や動物園で楽しんだことを29日朝に再入国して聞いてホットした。矢張り全米一安全な街として実証されて、退役式の話題にもなるとの確信を強めて、家内の体験的実証的検証がSpeechの信憑性を高めることと申訳の無さと感謝が交差する再会であった。このことが正直、最大の懸案事項であった。

 止宿先のアウトリガーでは、チェックイン時の21日朝に25日に私のみ一端帰国して、29日に再入国し、30日にチエックアウトする日程で、5日間は英語のままならぬ家内のみだが、宜しくと言付けしたら、それ以降カウンターを通過する度に、No problem !と安堵感を与えるAlohaな言葉が、家内の単独五日間のホテル住まいを可能にしたものと確信します。アウトリガーホテルズに感謝致します。今後も再訪し再泊します。

  家内は、万が一途中で言語不通から迷子やトラブルに巻き込まれたらとの心配から、外出の都度行き先と帰宅時刻を明示した、メモをナイト・ティブルに一覧表にしての単独滞在中の危機管理を徹底していた。

  更に当方としては、念のためにEunice(HPDの秘書室長)を五日間の単独滞在の有事連絡先として、ホテルと本人には告げてあったし、この日程を聞きつけての娘夫妻の支援隊が後半の二日はホノルル入りに、急遽決定していた。ところで、家内曰く

 『予想外のお招きによる急なハワイ行きは、過去10年程に7回訪問した地であり、そろそろ米国以外の欧州旅行でもと、あまり乗り気ではなかったのですが、結果的には生涯忘れ得ぬ思い出とホノルル単独滞在は自分にも自信が付きました。

  加えて、英会話はABC程度ですので、セレモニー中は、交際上手な彼等に話し掛けられないように、主人が歓談中は、そっけなく、さりとて、馴れ馴れしく無い様に、懇親の輪の一寸外でのニコニコ微笑外交で、お茶を濁す苦労は、将に 針の蓆の上の気の重さと、今回は途中に主人は株主総会出席事務で中抜けとなり、最低限5日間はホノルル単独滞在を余儀なくされるなどの多くの負担と問題点が存在していました。

  退役祝賀の一連の行事は、24日に退役祝賀晩餐会、30日には退役式で、実質は8日間で済むところを超繁忙期で航空券は21日の出発の前倒しと75日の帰国の便後倒しとなってしまいました。

  中5日間は単独でのホノルル滞在となり、正しく独りぼっちで、今迄何回か訪ねたワイキキの中心のアウトリーガー・ホテルで、現実にハワイ生活が始まるとワイキキの周辺の建物や道路も馴染みの深いものばかりで、出発前の不安はどこへやら、主人の留守中にあれやこれやと冒険心を密かに抱いたものでした。

  これも10年程前に初めてのハワイの時と比べ、往時は欧米系の方々が多く、何処もかしこも英語だらけで、最近は韓国、中国、系の観光客が少なくなった所為か、ハングル文字が目立たなくなり、これに替わり日本文字が街のショー・ウィンドーに溢

れて、入店すると即座に「ハーイ、ジヤパニーズ」とアプローゥチされ、「イエス」と応えると変な日本語会話が可能で、私の一人滞在に度胸をくれたのかも知れない。

滞在中に二つの計画を実行したかった。

本当はバス(何処まで乗っても$2,-)で、以前訪ねた、ホノルルから一時間のシーライフパ−ク海洋動物園で、当時親切に応対してくれ帰国後に写真を贈ったら、返事をくれ Hiromi “ The World needs more people like you”といってくれた彼女達と再会したかった。しかし、ホテルから一時間の行程のバスは万が一を考えて諦めた』

シーライフ・パークのスプラッシュ・カレッジでイルカの調教体験に入学
平成9(’97)822    (水飛沫大学体験入学)

 スプラッシュカレッジのProfessore Nihoa Kina

 イルカの調教体験挑戦に入学中の訓練風景

 43エーカーのホノルル動物園異種類の動物が放し飼いされている。

  その替わりにホテルから徒歩40分のホノルル動物園と20分程徒歩の範囲のキングスヴィレッジへ衛兵交代の儀式とペイントショウを二度に分けて観にいった。

  帰りは夜10時でしたが、夜でも昼間と変わらぬ喧騒と人出は矢張り、治安の善さで、多くの人種の群れに混じってのホノルルのカラカイ大通りをひとりで、快適な常夏の国の微風に吹かれてのホテルへの帰途は私にとって大変にスリリングでした。

  この経験での再認識は、ハワイの治安は非常に善く変な外人はメーンストリィトには居ない。そして住民のアロハスピリットに触れて、親切であり、優しいと感じました。

  観光地の所為か、解らない相手にも根気善く対応するなど体験して、人間は髪の色、目の色、皮膚の色には関係なく誠意あるところには誠意が通じるとしみじみと味わいつつ伝わった独り滞在でした。と

 

(2) 意外な支援と意外に平気

  意外な支援隊となった娘夫妻はフオーロアップに27日にホノルル入りし支援してくれたお陰で、意外に平気だったのかとも考えた。

  しかし、本人の異国の地で単独滞在は不安を隠しきれないものがあったに違いない。一連の行事終了後はハワイ島へ移動した。そこでゴルフやドライブに興じ、家内の渇望するヘリからの溶岩流の見学へ、止宿先のワイコロア・ビーチ・リゾート・アン・

マリオットからヒロへの往復272Kmのドライブは、途中に信号機が五箇所のみの広大なハワイのドライブを楽しみ、また上空からヘリで赤い溶岩流を楽しんだ。

 

(3) 自信と研修意欲の高まり

  以上のことから今後は一層健康に留意し、更に研鑽に励もうと、「大学院IN神戸」にに取り組み中です。Alohaな方々のお陰で我が秘書長も元気です。

  今回の旅程は、時間的、時宜的、距離的、場所的、言語的、精神的、身体的、肉体的、経済的にも相当に厳しいものであり、将に 強行軍でありましたが、思わぬ賛辞や旧交を確かめ合い、また社業へも些かの貢献をも成し得たのは、多くの方々の御厚意と御示唆や御指導と御支援を頂き、微力な私共を支えて頂いたお陰です。本当に心から御礼申上げます。

  平素週二回程の英会話に片方は市の英会話へのボランティアとしてのお手伝、別の方は自主英会話講座で英・豪のネイティブとの一切日本語無しの研鑽を続けています。

  日本大学の大学院では、科目履修生として情報処理技術と国際地理情報特講を荒関先生と高阪先生のご指導を頂き研究に邁進しております。如何せん加齢による記憶力低下と生来の怠け癖で両先生には、今後も是非御教導を宜しくお願い致したい次第です。

  専攻のゼミは、研究生として、お声を掛けて頂いた小松先生には、あの時の感激を忘れずに、博士後期課程を目指して、資料の渉猟と研究の努めており、私の研究課題の危機管理の最たるものとしての、イラク開戦時の情報対応の調査結果の報告書は、かのケネディ暗殺のウオーレン報告書にも勝るとも劣らぬものの、当時は最高裁長官で、この度は報告書の性格上共和・民主両党の合同委員会で選挙の年の政治的な色彩を否めない資料等と多彩な資料とも格闘中です。どうか ご指導を宜しくお願い致します。

 

左上 ホノルル単独滞在中に裕美への     右上 コナからヒロ往復の帰途

 サポター安田夫妻とヒルトン・ワイコロア、ビレッジ(後楽園ドームの六倍の規模)

中段 ワイコロア・ビーチ・マリオット

   アン・アウトリーガ・リゾートのラナイからの太平洋に沈む夕日

下左 ドライブの途中パカー牧場の入口   下右 ベトナム参戦のベテランパイロット

平成16(2004)630()から73()ハワイ島コナに滞在    (Pilot William Currt)

  今回のこの「紀行」は内外の高位の方々から学ぶことへの賛辞と重要性と評価を賜り、一層の自信と研鑽意欲の高まりという、尊い産物を得たことは最大の収穫で、この取り入れた産物を結実させる所存であります。

  是非 ご叱正とご指導とご教導をお願いします。以上です。