菊池寛の時代

 

                              国際情報専攻 4期生 ・修了 長井 壽満

   


 今年、去年と続いて菊池寛にかんする本が出版されました。猪瀬直樹『こころの王国、菊池寛と文藝春秋の誕生』文藝春秋、平成
16425日、佐藤碧子『人間・菊池寛』新風舎、平成15925日、矢崎泰久『口きかん、わが心の菊池寛』株鳥新社、平成15422日があります。『口きかん』はフィクションと断っています。

院生のときの講義で『世界』と『文藝春秋』をテーマにした課題をおもいだし『こころの王国』を手にとり、それから『口きかん』、『人間・菊池寛』、佐藤碧子『瀧の音―懐旧の川端康成』東京白川書院198012月、と立て続けに読み流しました。評伝、フィクション、告白小説とジャンルは違いますが、すべて面白くて一気に読んでしまいました。何が面白かったというと、菊池寛という人物が面白いのです。読み流した後、さて菊池寛はどんな人だろうと人物像をまとめようとしましたが、あまりにも枠から外れ、夢と現実の間を往復していた人物、自分勝手に生きた人、自由人として振舞おうとした人、大衆の目線と社会の目線を自然に捕らえる名人、・・適切な言葉が浮かんできません。とにかく面白いとしか言いようがありません。菊池寛のとりまきに、面白い人間が沢山居ました。芥川龍之介、今東光、川端康成、直木三十二と、菊池寛の周りにも面白い人間がうずまいていました。

菊池寛の研究は多くあるます。私にとって菊池寛は院生時の講義の中で出てきた人物の中の一人であり、それだけの人でした。総合月刊雑誌『文藝春秋』の創始者が菊池寛だとは最近まで知りませんでした。こんなに面白い人「菊池寛」が創始者なので『文藝春秋』は今でも総合月刊雑誌ではトップの発行部数を占めているのか、となんとなく納得してしまいます。総合月刊誌のジャンルで文藝春秋はダントツの発行部数を誇っています。一人勝ちです。総合月刊誌の出版数比較表は下記のとおりです[i]。『世界』の出版部数が公表されていませんが、本屋に積んである部数から推測するに『文藝春秋』がトップでしょう。

 

雑誌名

出版社

月間発行部数

現代

講談社

11.0

諸君!

文藝春秋

8.0

新潮45

新潮社

8.0

中央公論

中央公論新社

9.0

文藝春秋

文藝春秋

63.5

Voice

PHP研究所

12.0

論座

朝日新聞社出版本部

3.0

 

『文藝春秋』は大正12年に創刊されました。そのときの競争相手は中央公論です。中央公論は明治20年に創刊されています。中央公論は大正デモクラシーの理論的雑誌としての位置を占めていました。夏目漱石、吉野作造らを登場させて論陣を張っていました。当時の知識人のオピニオン誌でした。

『文藝春秋』は大正12年に創刊され、創刊号には芥川龍之介、今東光、川端康成、直木三十二等のそうそうたるメンバーが執筆しています。これらの才人の周りにさらに特異な人が集まっていました。三島由紀夫と川端康成との交流は『瀧の音―懐旧の川端康成』で語られています。菊池寛のまわりには、文壇で名を成した人たちが多くいました。『こころの王国、菊池寛と文藝春秋の誕生』は、菊池寛の秘書で親密な心のパートナーであった才媛作家佐藤碧子の書いた本を下敷きにしています。猪瀬は佐藤碧子を通して菊池寛を描いています。

 菊池寛は明治21年出生、昭和23年没。私が生まれた年に亡くなりました。明治43年に一高に入学、卒業3ヶ月前に友人の窃盗の罪をきて退学。大正5年に京都大学英文科卒、大正12年に文藝春秋創刊、と大正及・昭和の時代を駆け抜けました[ii]。戦前はまだ人生50年といわれていた時代でした。菊池寛はその50年間の時代の波に乗りながら、時代の一寸先を見て一歩一歩自分の理想を実現させてきました。現実を直視して自分が面白と思った事、囲碁、ダンス、競馬、美食、女性、優秀な執筆陣を身の回りに集める能力など、優秀な企画マンであると同時に時代の制限の範囲で目いっぱい自由に生きた人です。ホワイトカラー人口の増加に目をつけました。森鴎外、夏目漱石のような知識人の世界であった文学、評論、を大衆ホワイトカラー、現実の人生・世界に持ち込んだのが菊池寛の『文藝春秋』です。菊池寛は大衆小説のジャンルを切り開いたのです。

『瀧の音―懐旧の川端康成』は、佐藤碧子と川端康成、そして菊池寛の3人の交遊を中心にしながらも、大正・昭和の生活感覚と時代背景、東京の下町の情景、人々の暮らしを丹念に描いた作品です。佐藤碧子は自分の養父、実父の思い出の記録から夫の死まで、明治、大正、昭和30年代までの人々の生活をモザイクのパーツのように物語の中に組み込み、佐藤、川端、菊池が主役となった歴史大河時代ドラマとして纏め上げられています。明治・大正・昭和の高度成長期前迄の日本人の情緒、下町生活とホテルでの食事を生き生きと記述しています。食べ物と衣装の描写が上手いです。登場人物の心理も。

教養ある下級武士であった佐藤碧子の養父の報われない人生、その養父の子供に対する愛情と天皇と日本の歴史に対する純粋な信頼、大正時代の男女関係を表すような高校時代の転校事件のエピソード、市井の人であった母の生涯、関東大震災時の生々しい描写、大正景気のホワイトカラーの生活ぶり、ダンスホールとカフェ、そして、2.26事件、プロレタリア作家への弾圧、朝鮮人「馬海松」との出会いと別れ、戦争への足音、戦中の生活、菊池寛の死と戦後の復興期、川端康成との交流、夫の事業、と明治、大正、昭和を俯瞰した作品です 

 菊池寛の作品を読まないで、菊池寛に興味をもち、菊池寛の時代に興味をもってしまいました。これも、菊池寛が残した仕事と人のなせる技かと思ってしまいます。もっと菊池寛について知りたくなりました。彼の作品を読もうと思っています。

以上


[ii] http://www.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/

参考図書;

猪瀬直樹、『こころの王国、菊池寛と文藝春秋の誕生』文藝春秋、平成16425日。

佐藤碧子、『人間・菊池寛』新風舎、平成15925日。

佐藤碧子、『瀧の音―懐旧の川端康成』東京白川書院、198012月。

矢崎泰久、『口きかん、わが心の菊池寛』株鳥新社、平成15422日。