その一

 台北思いっきり気まま旅

 

             

 

 

 

 

 

 

 

 酔いも醒めた頃飛行機は中正国際空港へ到着。通路にかかっている看板は銀行、携帯の広告ばかりである。台北市街への移動には地元のバスを探す。宿泊予定のホテルを経由するバスを探そうとするのだが、どのバス会社も「このバスで大丈夫だ。」といった類の返事をする。とりあえず自社バスに乗せてしまおう。台北駅で降りて、その後はまたどうにかしてくれよ、とお考えのようだ。台北では英語はほとんど通じない。まだ日本語のほうが通じる。そして何よりも書かれた文字こそが役に立つ。アジア圏の中で英語が通じないということに関し、台湾と日本はいい勝負のようである。

 

 さて、どうにか目的のバスに乗ってホテルを目指す。車内を見渡すと中国系の人ばかり。目の前では、血色の悪いこわ面のオッサン6人ほどがトランプをしている。もちろんお金を賭けている。およそ海外旅行の帰りのように見えないから空港内で働いていてその帰りなのだろうか、台湾人の素の生活を少し覗いたような気がする。

 

 ホテルに荷物を置き、いよいよ台北探検である。MRTに乗車する。二駅70円ほどの乗車賃。磁気式リサイクルの券を自動改札に通す。下車後、公園(地下は駐車場)、中正(蒋介石)紀念堂を通り抜ける。

 

 目的の茶芸館(コーヒーショップのお茶版)を地図を頼りに探す。見つけた店の窓からは小さな公園が見え、お年寄りたちが何やら談笑している。何を話題にしているのだろう。子供のこと?孫のこと?台湾の青年達は兵役を逃れて留学するのが慣わしだとか、それで街では比較的若い男の子たちが少ないと聞いた。そんな孫の話でもしているのだろうか。想像を膨らませ、のんびりお茶とお菓子をいただく。飲杯(湯のみ)は日本酒の徳利ほどの小ささでお代わりの連続。おままごとをやっているようでもある。お茶は日本の緑茶の味もある。いいお茶は何回入れても風味が消えない。お菓子は和菓子に近いほどさっぱりしている。今風に甘さは抑えられている。あんこ、もち米が主な材料である。棗、ココナッツが使われているのはやはり中華菓子なんだろう。

 

 次は小龍包で有名なお店だ。夕方の開店と程なくして入ったためか行列することもない。一階入り口で10人ほどの弟子達がせっせせっせと小龍包を作っている中を通り抜け、階上にあがる。そのお店は日本の高島屋にも進出しているお店である。お店の人たちはどこでどう判断するのかきっちり日本人には日本語のメニューをもってくる。小龍包、えび餃子、青菜炒め、スープ、・・・どれもおいしい。薄味なのにしっかり味がついている。

遠くに高いビルが見える。あれが台北のランドマーク、摩天展望台だ。それに向かうことにする。空港に降り立った時からはっきりしないことがあった。まさにもやもやとしたことが。今日は曇りなのか。晴れているようでもあるのに青空が見えない。街中を歩いてみると車、バイクの交通量はかなりである。バイクの人たちはマスクをつけている。スモッグが立ち込めているのだ。どんよりとした天空の中、日は沈み、展望台に着いた時あたりは暗くなり、学校、仕事帰りの人々で雑踏は膨れ上がっている。45階をあっという間にエレベーターが昇っていく。45階から見下ろす台北の幾筋もの道路はそのままオレンジのライトで浮かび上がっていた。

 

 今夜の夕食は・・屋台で。士林夜市は台北駅からMRTで五つ目の駅のそば。夜市をどう説明すればよいのだろう。お祭りの夜店が毎日明け方までやっているとでも言うようなところ。ところが食べ物専門屋台群が見つからずぐるぐる回る。暗い中を歩いているとぽっかり突然それが現れた。活気のある屋台がひしめいている。鉄板焼きでは肉、魚貝類、野菜を中華調味料で味付けしている。テーブルが斜めになっており使い捨ての紙の皿は平面でたれはひたすら低いところへ向かって流れていく。生ぬるい台湾ビールを飲んで台湾に来ている、と実感。 

 

 二日目の朝は豆乳で始まった。現地の人々は揚げパンを入れたり、辛いたれやら醤油をいれながら食べている。散歩をしながら再度昨日の中正紀念堂を通り過ぎる。やっている、太極拳。胡弓を弾いている人もいる。そこを抜けると台湾のブライダルドレスのお店が何件も軒を連ねる。台湾の結婚予定の女性はみんなここに買いにくるのだろう。

 

 次は故宮博物院である。昨夜の士林夜市の次の駅で降り、バスに乗る。世界四大博物館の一つである。明や清の時代の財宝がなぜ台湾にあるのか、それは台湾の歴史そのものであり、日本も関与している。北京故宮から戦渦をくぐりぬけ西へ、体制に翻弄され海を越え台湾に渡った財宝の数々を今この地で一堂に会す。さて、あまりにも有名な翡翠の白菜の彫り物は手のひらサイズの小さなもの。実物の白菜の大きさをイメージしていたものだからそのかわいさにニイハオ。葉先の翠が実に濃い。

 

 新北投温泉に向かう。日本軍が掘り当てた温泉があるという。硫黄の匂いは外では感じられないものの湯温は高く、硫黄もきつい。台湾式温泉入浴法は温泉につかり、上がって体をさまし、またつかり・・・の繰り返しらしい。

 

 台北中心地に戻って夕飯。海老のマヨネーズ炒め、椎茸と筍炒め(酢豚の一部のよう)、黄韮と豚肉炒め、高菜と湯葉炒め、冬瓜とハマグリのスープ・・・、白いご飯と台湾ビール。台湾温泉でもってそれまでの真夏のプールで泳いできた後のようなほてり、疲労、空腹感が静められていったのは言うまでもない。

 

今回の旅行では茶器の店にも行きたかった。台湾に行くからには本場の様々な茶器セットを見たかった。あるホテルの地下にある店はすぐそことばかり立ち寄ってみる。出してくれたお茶の茶器に一目惚れする。白磁できらきらしている。飲杯を傾けると目の中いっぱいにそのきらきらした模様が飛び込んでくる。唯一台湾旅行での買い物となった。

 

 最終日。ホテルで朝食。別の茶芸館へ行ってみる。ここではひっきりなしに日本人観光客がやってくる。日本のポップスがかかっており興ざめである。

昼は胆仔麺(香菜、肉そぼろ入り麺)を求めて移動する。中華とタイ・ベトナムの味が混ざり合ったような、摩訶不思議なスープは癖となりそう。隣の卓では中年男女三人全員が二杯目を平らげている。恐るべし!台湾パワー。さあ、そろそろ帰りの飛行機の時間が気になりだして、私の食べ物、お茶三昧の旅も終わりである。

 

 

 

 

 

            

 

                           その二

                 韓国歴史の旅グルメ篇

                ―韓国料理はおいしくってヘルシー

 

 

   

釜山のチャガルチ市場には通路の両脇に幅2、3mの露天商が続く。魚介類のみ。たこ、いか、すずき、えい、その他もろもろ。たちうおはその長さからして通路にはみ出ている。調理するすべのない旅行者はただ眺めるしかない。
 市場から陸よりには繁華街が延びている。そしてその歩道には屋台群。ムール貝、おでん、のり巻き、ジョン(韓国風お好み焼き)、お焼き、正体不明のものを釜山っ子たちが食べている。新宿や渋谷では考えられない風景。ちょっとお腹がすいたらペロリという習慣なのかも。道は食べるところ?と化しますます人々で膨れあがっている。


 チャガルチ市場内のレストランで食事。お刺身目当てに釜山ガイドのチョさんに案内されたところは店の中央に大きないけすがあって魚が泳いでいる。韓国入国して初めての食事に期待も高まる。ビール、続いて韓国焼酎で乾杯。韓国人にとって焼酎は国民的なお酒。甲類が主で、癖がなく、韓国料理に合う。


 料理のメインは大皿いっぱいの平目の刺身。日本では平目は高級魚だが、ここでは庶民魚。サンチュ、エゴマの葉(ひと回り大きめの大葉)に、薬味(青唐辛子1本そのまま・にんにく1片)、コチジャン塗って刺身をのせ巻いて食べる。かさごのから揚げ、キムチ、ツブ貝のようなもの、わかめを炒めたもの、ゆで筍…。韓国の食卓は副菜(ミッパンチャン)の数が豊富。あれこれ食べる楽しみ。ごはん、スープでしめる。スープは豆腐入り辛い魚スープ。日本人の味噌汁のようにスープは韓国人にとってなくてはならないもの。ご飯を入れながら食べると心身温まる。いわゆるネコメシ。韓国ではお行儀の悪いことではないらしい。チョさんは33才の独身男性。韓国人と初めて食事を共にし、質問攻めにしながらも会話が楽しく、食欲も杯も進む。

 

*2日目(921日)

朝食は各自。釜山駅まで散歩がてらロッテリアで朝食をとる人、宿泊ホテルの朝食をとる人それぞれ。私の朝食はホテルのブッフェ。洋食、日本食、韓国食が並んでいて目移りする。
 海雲台ビーチを散歩し、今日のランチのカルビ店へ。海のそばの丘に建つその店からは遠く対馬も眺められる。いよいよ本場カルビをがっつく。海雲台はいまや韓国有数のおいしい牛肉の産地。センカルビ(味付けなし)、ヤンニョムカルビ(味付)それそれが骨の長さ10センチを芯にして肉が巻かれて運ばれ、ロースターの上に観音開きにして焼かれる。これを店員がはさみでチョキチョキ切って出来上がり。ビーチで暑い日差しを受けたみんなは喉が渇いていたようでビールと焼酎で乾杯。そして大きな窓からのすばらしい景色。キムチ、水キムチ、唐辛子ベースのドレッシングで和えたサラダ、チャプチェ(春雨料理)と副菜が並ぶ。至福の時。韓国のお茶は恐ろしく甘い。ニッキ茶だったり棗茶だったりするのだが糖分たっぷりのジュースのよう。


 夕食は高級感あふれる慶州の現代ホテル内レストランへ。ここでの狙いは法酒という地酒と、韓国松茸。塩をごま油に溶かしたたれで焼き松茸を食べる。素焼きされた松茸は旨みが中に閉じこめられ、ごま油とよく合う。海鮮鍋、カボチャ粥、プルコギ(すき焼風焼肉)、キムチ、韓菓子。カボチャ粥というのは韓国では日常食らしい。風邪を引いた時にというよりいつでも食されるものだとか。お酒を飲む前にちょっと食べておく、というのがいいらしい。見た目、カボチャスープ。しかし粥と名がつくからに、ご飯をミキサーにかけたものが入っている。それがスープにどろっとした粘性をもたらす。

 

*3日目(922日)

朝食各自。旅館傍の定食屋にかけこむ。偶然居合わせたバスの運転手のアジョシにテンジャンチゲ(味噌チゲ)定食を勧められる。運ばれてくると並ぶ並ぶ副菜のお皿。卵豆腐、各種キムチ。スープのだしは牛肉、牛骨だろう。おいしい。
 昼食は韓定食。副菜多い韓国料理だが、更にいろんな料理が並ぶ。各種ナムル、キムチ、プルコギ、蟹、チヂミ、チャプチェ、鮑粥。昨夜からはまっている法酒で乾杯。百歳酒というのは朝鮮人参入りお酒。


 夜食。儒城温泉ホテルに宿泊のため韓国初大浴場入湯後ホテルロビーに集合してお目当てのレストランに駆け込むもタイムアウト。韓国のお盆とやらで営業中のお店も少ない。この儒城温泉というところ、日系の企業が工場進出しているとかで日式レストラン(和食がメニューにある)もちらちらある。すぐそばの日式レストランへ。連日韓国料理を食べ続けた日本人たちの胃は久々の和食に“ほっ”。お刺身、のり巻き、天ぷら、うどん…おいしかった。ここの刺身も白身中心。鮪が食べたいよ、というのは贅沢?海外にありがちなぼったくりの店。

 

*4日目(923日)

朝食はホテル前のコンビニでパンとコーヒー。おにぎりも売っているのだがハングル文字は解読不可のため具がわからず。若い店員に聞いてもわからない。
 昼食。扶余の評判の食堂で、昼食の定番、冷麺、ビビン冷麺、ビビンバ、カルクックス(うどん)、各種キムチ。日本人は麺好き。すっかり日本でも定着した冷麺だけど、あのスープは水キムチの汁だとか。漬け物は発酵食品で乳酸菌が豊富。その汁には旨味、栄養たっぷり。水代わりに食中その水キムチの汁を韓国人は飲むそうだ。そしてビビンとは混ぜるという意味。ビビン冷麺、ビビンバはコチジャンを適宜入れてよく混ぜるのだ。辛いものにはお酒が合う。


 韓国料理といえば唐辛子。実はこの唐辛子、豊臣秀吉の時代に日本から渡っていったものだとか。輸出された先でこれほど定着してしまうとは驚き。韓国人の口に合ったとしか言いようがない。韓国と日本の気温差?いや北海道の唐辛子料理は未だ聞いたことがない。
夕食。ソウルに到着してソウルのガイド、チョンさんの案内で韓国式居酒屋へ。鶏肉じゃがいも煮(甘辛い)、蛸イカ甘辛だれそうめん(まるでスパゲッティナポリタンのようだが現在流行中)、ジョン、卵スープ。


 明日には旅の最終日。韓国料理も名残惜しい。韓国料理とイタリア料理は似ている。にんにく、唐辛子が必須。韓国のごま油にイタリアのオリーブ油。赤色のソース。韓国はコチジャン、イタリアはトマトソース。どちらも食べ物の色が豊富で、おいしくってヘルシー。


 それもそのはず、韓国の食の基本は陰陽五行にあるとか。五味五色。甘、辛、酸、苦、塩辛いの五味と青、赤、黄、白、黒の五色の食物をバランスよく摂取することで健康を保つという、古代中国の陰陽五行説に基づいた思想があるのだ。

 

*5日目(924日)

朝食各自。屋台のホットサンドイッチとスターバックスのコーヒー。
 昼食各自。早発組は既に空港に向かっている。新村のスーパー、デパートを駆けずり回りながら、デパ地下で日本のお好み焼きをテイクアウト。にんじん、ピーマンが入っている。お寿司についてくるガリが添えられている。これがこの旅行の食事の食べ納め?いやいや現地仕入れのキムチ+アサリの塩辛(チョッカル)、韓国のり、コチジャンは帰ってからも楽しめる。
 5日間充実の食事であった。韓国料理は焼肉だけにあらず。何度でも食べに行きたい韓国だ。ちなみに韓国の物価は安い。特に食事が安い。このグルメ篇を読んだあなた、韓国に行きたくなりましたか?

 

 

 

 

              

      

 

 

その三

 

 

   憧れのヴェトナム・ホーチミンへ

 

 

 

 

 

 ずっと行きたかったヴェトナムのホーチミンに料理手習いのため行ってきました。その時感じたことを書いてみました。

1. 治安は悪い?

 成田からホーチミンに向かう飛行機で隣に座ったヴェトナム語ペラペラのLoiさん。1978年にアメリカに移住して、2週間の休暇をとり初めての里帰りだとか。時計、貴金属、お金には気をつけるようにと助言され、やはり危ないの、と不安いっぱいでヴェトナムに入国しました。パスポートをホテルに預け、お金はその日に使う分だけをポケットにそのまま入れて出かける毎日でした。いつ危険が降りかかるかしれないと常に気を張っていましたが、災難に遭うこともなく無事帰国しました。帰国直後、ヴェトナムで20年間技術指導してきたというヴェトナム通の人の話を聞きましたが、いまやヴェトナムはアジアの中でいちばん安全との評。その話を先に聞いていればよかったのか、どうか。とはいえ、旅行は、注意しても注意し過ぎるということはありません。

2. 料理研修

 一般的にタイにしてもヴェトナムにしても、肥沃な土地柄、人々は豊かな食生活を送っています。そして、その二つを比べた時、ヴェトナム料理はタイ料理ほどインパクトがないという思い込みをしていましたが、本場のヴェトナム料理に接して、この意見は見事に裏切られることになりました。隣国中国からの影響もあるでしょうし、もともとのヴェトナム人が相当なグルメだったのかもしれません。

 まず、ヴェトナム料理の特徴は、何より豊かな食材にあります。肉、野菜、果物、香辛料が朝早くから市場に並びます。市場の隅には生きたままの鶏が籠に入っています。牛・豚はそれぞれ塊状になって売られています。魚、海老、蟹も新鮮です。そして何よりも野菜類は贅沢の域です。その日の朝に摘んできたばかりの多種の野菜、香菜がみずみずしいままに積まれています

 次に、素材の味を引き出すのに長けていることでしょうか。だしは肉、魚からとります。だし用につかった肉、魚はもちろん料理の具材に使います。だし取りの間、料理に応じて玉葱、パイナップル、生の香辛料の塊等を入れて、具材を柔らかくしたり、臭みをとったりと計算高い調理法が取られます。だしはスープに、煮込んだ具材は別の一品物の材料に使われます。

 また、味の特徴ですが、ヴェトナム料理と言えば、ニョクマムです。タイのナンプラ―、日本のしょっつる、いわゆる魚醤です。魚醤だけにそれだけでこくがあります。ニョクマムのたれの作り方は以下の通りです。ニョクマム大さじ1杯、水大さじ1杯、砂糖大さじ1〜2杯、レモン汁1杯、にんにくと赤唐辛子のみじん切りを混ぜます。これは少量の作り方ですのでこれの×2、×4で作ってみて下さい。このたれは生春巻きにつけたり、フォー(ヴェトナムうどん)にかけたり、ヴェトナム料理のありとあらゆるものに合います。このレシピから想像できるように、甘くて酸っぱいというのがヴェトナム料理の特徴です。またヴェトナムでは味の素の消費量が多いのですが、今では日本であまり使われなくなった味の素を、ほとんどの料理に使います。この完璧でないところが愛すべきヴェトナム料理なのかもしれません。料理学校の先生はいつも照れ笑いしながら味の素を入れていました

3. ホーチミン見どころ

 ホーチミンの歴史的建造物に統一会堂(旧大統領官邸)があります。数年前に公開された映画「天と地と」(トミー・リー・ジョーンズ主演)での、サイゴン陥落の場面、アメリカ兵が続々とヘリコプターで脱出するシーンが蘇ってきました。そこで実際にロケをしていたのかもしれません。建物内に入り、中央部から外を眺めると、まっすぐに延びる道路がたくさん群衆で埋め尽くされていたような錯覚さえ覚えました。

 ところでヴェトナムの道路状況についてですが、バイク、自転車、車の走行は途切れません。その中を右折、左折し、横断の人が歩いて通り抜けます。慣れてくるとだんだんコツがつかめてきます。急に走ったり立ち止まったり突飛な行動さえ取らなければ、ゆっくり歩いて抜けられるものなのです。

 さて、観光客相手にヴェトナム名物シクロという乗り物があります。自転車の後ろに椅子のついた荷台がついています。一部で危険という案内もありますが、安全です。ぜひお試しあれ。

4. エステ三昧

 今回の旅は6日間午前中料理教室に通うものでしたので、ホーチミン市外へ遠出することができませんでした。そのため挑戦?したのがエステ、マッサージです。日本での疲れを癒すべく、日々エステに通いました。

 ほとんどその種の店は外国資本で経営されています。日本のS化粧品会社が経営するエステサロンは見るからに瀟洒な1階建ての建物なのですが、フロントを通りエレベーターで地下6階まで潜ってのエステ体験でした。ヴェトナムでは地下を掘削するのが安価なのでしょう。有事の際にはシェルターに早替わりするのもしれません。そんなことを考えながら優雅な数時間は癖になるほどの至福の時でした。

5. ショッピング

 日本円の強みでもって信じられないほど物価は安いです。手刺繍バッグ、オーダーメイドの洋服は観光客向けに多少高めになっていますが、それでも安いのです。市場、スーパーで売られている食器、食材は現地プライスでかなりの割安感です。現地の初任給は高卒で月80ドル、エリート社員が150ドルという相場からみれば買物天国も頷けます。

最後に

 ホーチミン滞在中、イラク攻撃、SARSのニュースが飛び込んできました。SARSについては最初の感染者がハノイに滞在していたこともあり、まさに他人事ではありませんでした。ヴェトナムは観光地であるだけに何かあれば直接被害を受けます。被害がどれだけ大きいかと心配ですが、同時に不屈の強さで跳ね返すパワーを感じます。ヴェトナム、カムオン!(ありがとう。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その四

 

             マカオ飯の旅

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2003年春先のSARSが終息し、7月末香港を経由し出張でマカオに行きました。その時の現地のレストラン巡りした様子を中心に書いてみます。

 

 歴史的に言えば香港がイギリスから中国に返還されるのに遅れること2年、マカオは1999年にポルトガルから中国に返還され、すでに中国に同化している印象でした。実を言えば市内を散策する暇もなく、バスの車窓、わずかな散歩、フェリー乗り場でポルトガルの香りを感じることはありませんでした。さて、マカオは地理的に中国の珠海市と陸つながりになっています。小さなマカオにカジノが約10軒というのは多いのですが、どうしてでしょう。観光都市であるというだけではないようです。中国人は賭け事が好きらしいということと関係があるのかもしれません。あくまでも憶測ですが。(滞在中同室の芳《フローレンス》さんは二晩続けて行っていました。)

 

 さて、ポルトガル料理とはタラやイワシなどの魚介と米を多用し、焼いたり炒めたりする素朴なものが多く、凝ったソースが用いられることはない。それを源流にして、ポルトガルの貿易商人たちの船がアジア各地を経由して、インドの香辛料、マレーシアのココナッツ、中国のエビ、カニ、チキンが加えられた…。さらにはアフリカ、ブラジルなどのポルトガルの植民地の料理法、調味料までも。そして調理するのがアジア人、後に中国系の人々も加わってできたのがマカオ料理であるとのことです。これほどまでにいろんな国の具材、味付けが混在するものもないでしょう。当時の、遠く故郷を離れたポルトガル人たちはどんな思いでマカオ料理を食べていたのでしょう。興味が湧きます。以下はマカオ滞在中の夕飯の内容です。

 

1.   地元で人気のレストランにて

 

タラのすり身とマッシュポテトのコロッケはポルトガル料理の定番の前菜。形は楕円形でかわいい。

鴨肉の煮込みはブラウンソース。土鍋ごとオーブンで焼いたものがテーブルへ。ライス付き。

スペアリブ

カレースープは、ジャガイモ入り。ライス付き。日本のカレーライスに非常によく似ている。

カレー麺は、焼きそば麺をカレーで和えたもの。

野菜炒めはキャベツを中心とした野菜炒め。

 

2.  ハイアットリージェンシー内ポルトガルレストランにて(写真参照)

 

タラのすり身とマッシュポテトのコロッケ。

シーフードサラダ。

エビのスープは複雑な味。オニオンスープにエビのダシも加わって、香菜も入っている。

ラムの煮込み、ブラウンソース。

カニのクリームスープ煮

チキンの煮込みは土鍋で。クリームソースで煮込んである。

チキンライス、日本のチキンライスと全く同じ。アジアでチキンライスと言えば、白いご飯の上に焼いたチキンがどんとのっているのが常だが、日本のケチャップ味チキンライスと同じ。

デザートは洋風デザート。なぜか沖縄のサーターアンダギーのような揚げドーナッツもあり。

サングリア、甘い赤ワインにりんご、オレンジなどの角切りフルーツが浮かんでいる。

 

 

3.  マカオタワー(高さ338mは世界で10番目)の展望レストランにて

 

 360度マカオの夜景を見渡せるようテーブルがゆっくりと回る。角度によっては、すぐ真下はもう中国本土。料理は和洋中の料理が多種並んでいる。ポルトガル、マカオ料理はない。ビュッフェ形式のレストランではこれまでの人生でbPのおいしさ。同席の榮(カルビン)氏は中国人きってのグルメらしく、ベストチョイスされたもののみを持ってくる。お眼鏡に叶ったものだけが彼の皿に載る。それを参考に私も選択。お奨めはデザート。洋風、アジアン風どちらもグー。タピオカゼリー、牛乳プリン、胡麻アイス、胡麻ゼリー、…。

 

刺身は鮪、甘エビ、タコ、サーモンがあり。その場で塊をスライスしてもらう。

海苔巻きは海苔入らずの白胡麻、黒胡麻まぶし巻きが主流。

しゃぶしゃぶ

ローストビーフ、ポークはスライスしてお好みのソースで。

北京ダック

パスタは調理人が、客の選んだ具とパスタ(堅めにあらかじめ茹でてある。)をざるに入れて軽く一茹でし、かたやフライパンでソースをあたためパスタ・具を加え完成。できたてのおいしさ。

デザートは圧巻。(写真参照)

 

 

 マカオ飯とは、家庭的な味なのかもしれません。日本の料理と似ているものもありました。キャベツ、ジャガイモを多用して庶民的です。それにしても泊まったホテルのエッグタルトは最高美味でした。パイ生地がバターたっぷりさくさくで、中のカスタードクリームがかなり濃厚。ある台湾人男性は一人でお皿に10個も取り分けて満面の笑顔で食べていました。おいしいものを食べている人たちの嬉しそうな顔を見ていると、親しい人たちでもないのに微笑んでしまいます。私まで幸せのおこぼれを預かったような気分です。食べることには、その本来の目的以上に不思議なパワーが秘められています。

 

 

 

 

 

               その五

 

        イタリアプーリア州とローマ

 

 

 

 日本人の人気の旅行先イタリアに行きました。今回は藤沢のイタリア料理店の企画ものでした。偶然この旅行を知り、むむむ、何かおもしろそう・・・。というのは7日間の旅のうち、前半イタリア南部プーリア州ファッザードという町のマッセリア(農場民宿)に泊まって料理研修、後半ローマに移動して観光・ショッピングを楽しむというものだったからです。シェフ曰く、プーリア州は魚料理がおいしく、北部よりも興味を惹いた、とのこと。私も魚料理のほうが断然好きです。

 

     夏だったら入れたプールです。   農場民宿のエントランスです。

 

 

<前半部>バーリ空港からファッザード――お食べ地獄へ――

 イタリアではアグリツーリズモといって、農場民宿に泊まるのがブームになっています。民宿といっても雰囲気のある石造りの家に泊まっておいしい食事、おもてなしを受けます。今回はその民宿でイタリアのマンマ直伝のお料理を習いました。
到着の翌日別の農場民宿にランチを食べに行きました。オーナーに手入れの行き届いた農園、お屋敷を案内していただきました。それから食事タイムです。13皿運ばれるとのことに期待と同時に恐怖…。もちろん13皿どれもこれも抜群においしいのですが、我慢比べのように食べ続け”お食べ地獄”と笑い飛ばすしかありませんでした。1時半に始まったランチ、4時を回って終了しました。

レストランの入り口はこんなかわいい飾り付け。 女王様のトマト。食料庫に半年保存していても大丈夫。

 

 

サボイキャベツフランとアップルオリーブ かぼちゃとズッキーニ入り大麦リゾット 干し鱈とポテトのマッシュとフェンネル焼 野菜の自家製パスタ        

ポテト添えラム フレッシュフルーツサラダ オレンジとチョコが出会った時 きのこのマカロニ

 

 

 帰り道アルベロッベロという世界遺産にも登録されたトンガリ屋根の住居を見て回りました。おもちゃのような外観です。

 翌日はモノポリという海に面した町の青空市場を見学、その後アドリア海の崖に造られているレストランでランチです。

食事前に、海水で侵食した後隆起した洞穴で軽くシャンペンとおつまみをいただきました。 ブルスケッタ タコのトマトパスタオレキエッテ 鯛です。 隣の鯛を1人分のプレートに。 

ムール貝のリゾット フルーツシロップ漬け

夕食はやっとお待ちかねの調理実習です。プーリア州独特のパスタ料理オレキエッテ(耳たぶという意味)とパンツァロッティ、茄子とパルミジャーノの重ね焼きに挑戦です。オレキエッテはセモリナ粉と水をこねて粘土細工をするように細い紐を作り2cmほどに切り、ナイフをへらの如く操り貝殻のような形にします。それをブロッコリーと茹でて、フライパンでプチトマトを崩しながら炒めた中に先ほど茹でたものを加えます。パンツァロッティはパン生地の中にモッツァレラとトマトソースを餃子のようにしてくるみ、揚げたものです。もちろん中のモッツァレラはとろとろに溶けていてオイシイ。とにかくマンマの作った料理は信じられないほどのおいしさでした…。

 翌日も朝食後、調理です。キッターラという四角い枠に針金が数十本平行に釘打ちされている上にパスタの素を置いてのしてその針金を通ったものがキッターラという麺になります。麺を茹でたら、かなり煮込んだトマトソースで和えます。もう一つ、ムール貝のリゾットを作ります。こちらはズッキーニ、玉ねぎ、トマト、ジャガイモなどの野菜をたっぷり入れます。プーリアはおいしい野菜の産地で、野菜好きの私にはうれしいばかりです。3品目はフォッカッチャというピザの生地で作ったパンです。モッツレラチーズ工場を見学に行った時にもフォッカッチャを作っていてイタリアでは定番中の定番です。もちもちっとしているのはドゥにマッシュポテトを入れているからです。イタリアのマンマの家庭料理ってなんておいしいのでしょう。この民宿の厨房で仕事人のコックが全く同じものを作るとなぜか数段味が落ちているのです。

 

     ムール貝と野菜のリゾット              ギッターラでパスタを作ります。         イタリアのパン”フォッカッチャ”

 

 

<後半部>ローマへ――観光――


 ローマそのものが遺跡です。有名なスペイン広場(『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べた階段のところ)、トレヴィの泉(後ろ向きにコインを投げると、またローマに戻れる、2度投げると好きな人といっしょになれる、3度投げると離婚できるのだとか。)コロッセオ。町を散策しているといきなり古代の建物が現れてびっくりすることもしばしばでした。パンテオン(大き過ぎてカメラに入りきらないほど)、ファルネーゼ宮(現在フランス大使館に使用されている)…。

 ヴァチカン美術館は雨の中朝8時過ぎに入り口に並び開館をしばし待ちました。システィーナ礼拝堂のミケランジェロ『最後の審判』と天井、壁に繰り広げられるキリストの物語。天地創造、大洪水。見ごたえありました。美術館の隣にはサンピエトロ寺院が位置します。10月19日に故マザー・テレサの列福ミサがあり30万人もの人が集まったとのことで、ローマの人口は一時期膨れ上がっていたようです。この日(22日)もミサが行われているらしく寺院前の大画面には中の様子が映し出されていました。そのため一般観光客は中に入ることは叶いませんでした。

        ヴァチカン博物館内からサンピエトロ寺院が見えました。        スペイン広場。ローマの休日でオードリー・ヘップバーンがアイスクリームを食べていました。早朝7時半のため無人なのでパシャリ。  

 

 イタリアは歴史があって文化があって、成熟しています。だから大人が似合う。そして日本人に優しいのもうれしいところです。誰にでも優しいの?毎日が幸せだったら誰にでも優しくなるのかもしれません。そう、イタリア人って「妬む」という負の感情 をもともと持ち合わせてない人々のような気がします。