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酔いも醒めた頃飛行機は中正国際空港へ到着。通路にかかっている看板は銀行、携帯の広告ばかりである。台北市街への移動には地元のバスを探す。宿泊予定のホテルを経由するバスを探そうとするのだが、どのバス会社も「このバスで大丈夫だ。」といった類の返事をする。とりあえず自社バスに乗せてしまおう。台北駅で降りて、その後はまたどうにかしてくれよ、とお考えのようだ。台北では英語はほとんど通じない。まだ日本語のほうが通じる。そして何よりも書かれた文字こそが役に立つ。アジア圏の中で英語が通じないということに関し、台湾と日本はいい勝負のようである。
さて、どうにか目的のバスに乗ってホテルを目指す。車内を見渡すと中国系の人ばかり。目の前では、血色の悪いこわ面のオッサン6人ほどがトランプをしている。もちろんお金を賭けている。およそ海外旅行の帰りのように見えないから空港内で働いていてその帰りなのだろうか、台湾人の素の生活を少し覗いたような気がする。
ホテルに荷物を置き、いよいよ台北探検である。MRTに乗車する。二駅70円ほどの乗車賃。磁気式リサイクルの券を自動改札に通す。下車後、公園(地下は駐車場)、中正(蒋介石)紀念堂を通り抜ける。
目的の茶芸館(コーヒーショップのお茶版)を地図を頼りに探す。見つけた店の窓からは小さな公園が見え、お年寄りたちが何やら談笑している。何を話題にしているのだろう。子供のこと?孫のこと?台湾の青年達は兵役を逃れて留学するのが慣わしだとか、それで街では比較的若い男の子たちが少ないと聞いた。そんな孫の話でもしているのだろうか。想像を膨らませ、のんびりお茶とお菓子をいただく。飲杯(湯のみ)は日本酒の徳利ほどの小ささでお代わりの連続。おままごとをやっているようでもある。お茶は日本の緑茶の味もある。いいお茶は何回入れても風味が消えない。お菓子は和菓子に近いほどさっぱりしている。今風に甘さは抑えられている。あんこ、もち米が主な材料である。棗、ココナッツが使われているのはやはり中華菓子なんだろう。
次は小龍包で有名なお店だ。夕方の開店と程なくして入ったためか行列することもない。一階入り口で10人ほどの弟子達がせっせせっせと小龍包を作っている中を通り抜け、階上にあがる。そのお店は日本の高島屋にも進出しているお店である。お店の人たちはどこでどう判断するのかきっちり日本人には日本語のメニューをもってくる。小龍包、えび餃子、青菜炒め、スープ、・・・どれもおいしい。薄味なのにしっかり味がついている。 遠くに高いビルが見える。あれが台北のランドマーク、摩天展望台だ。それに向かうことにする。空港に降り立った時からはっきりしないことがあった。まさにもやもやとしたことが。今日は曇りなのか。晴れているようでもあるのに青空が見えない。街中を歩いてみると車、バイクの交通量はかなりである。バイクの人たちはマスクをつけている。スモッグが立ち込めているのだ。どんよりとした天空の中、日は沈み、展望台に着いた時あたりは暗くなり、学校、仕事帰りの人々で雑踏は膨れ上がっている。45階をあっという間にエレベーターが昇っていく。45階から見下ろす台北の幾筋もの道路はそのままオレンジのライトで浮かび上がっていた。
今夜の夕食は・・屋台で。士林夜市は台北駅からMRTで五つ目の駅のそば。夜市をどう説明すればよいのだろう。お祭りの夜店が毎日明け方までやっているとでも言うようなところ。ところが食べ物専門屋台群が見つからずぐるぐる回る。暗い中を歩いているとぽっかり突然それが現れた。活気のある屋台がひしめいている。鉄板焼きでは肉、魚貝類、野菜を中華調味料で味付けしている。テーブルが斜めになっており使い捨ての紙の皿は平面でたれはひたすら低いところへ向かって流れていく。生ぬるい台湾ビールを飲んで台湾に来ている、と実感。
二日目の朝は豆乳で始まった。現地の人々は揚げパンを入れたり、辛いたれやら醤油をいれながら食べている。散歩をしながら再度昨日の中正紀念堂を通り過ぎる。やっている、太極拳。胡弓を弾いている人もいる。そこを抜けると台湾のブライダルドレスのお店が何件も軒を連ねる。台湾の結婚予定の女性はみんなここに買いにくるのだろう。
次は故宮博物院である。昨夜の士林夜市の次の駅で降り、バスに乗る。世界四大博物館の一つである。明や清の時代の財宝がなぜ台湾にあるのか、それは台湾の歴史そのものであり、日本も関与している。北京故宮から戦渦をくぐりぬけ西へ、体制に翻弄され海を越え台湾に渡った財宝の数々を今この地で一堂に会す。さて、あまりにも有名な翡翠の白菜の彫り物は手のひらサイズの小さなもの。実物の白菜の大きさをイメージしていたものだからそのかわいさにニイハオ。葉先の翠が実に濃い。
新北投温泉に向かう。日本軍が掘り当てた温泉があるという。硫黄の匂いは外では感じられないものの湯温は高く、硫黄もきつい。台湾式温泉入浴法は温泉につかり、上がって体をさまし、またつかり・・・の繰り返しらしい。
台北中心地に戻って夕飯。海老のマヨネーズ炒め、椎茸と筍炒め(酢豚の一部のよう)、黄韮と豚肉炒め、高菜と湯葉炒め、冬瓜とハマグリのスープ・・・、白いご飯と台湾ビール。台湾温泉でもってそれまでの真夏のプールで泳いできた後のようなほてり、疲労、空腹感が静められていったのは言うまでもない。
今回の旅行では茶器の店にも行きたかった。台湾に行くからには本場の様々な茶器セットを見たかった。あるホテルの地下にある店はすぐそことばかり立ち寄ってみる。出してくれたお茶の茶器に一目惚れする。白磁できらきらしている。飲杯を傾けると目の中いっぱいにそのきらきらした模様が飛び込んでくる。唯一台湾旅行での買い物となった。
最終日。ホテルで朝食。別の茶芸館へ行ってみる。ここではひっきりなしに日本人観光客がやってくる。日本のポップスがかかっており興ざめである。 昼は胆仔麺(香菜、肉そぼろ入り麺)を求めて移動する。中華とタイ・ベトナムの味が混ざり合ったような、摩訶不思議なスープは癖となりそう。隣の卓では中年男女三人全員が二杯目を平らげている。恐るべし!台湾パワー。さあ、そろそろ帰りの飛行機の時間が気になりだして、私の食べ物、お茶三昧の旅も終わりである。
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ずっと行きたかったヴェトナムのホーチミンに料理手習いのため行ってきました。その時感じたことを書いてみました。
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2003年春先のSARSが終息し、7月末香港を経由し出張でマカオに行きました。その時の現地のレストラン巡りした様子を中心に書いてみます。
歴史的に言えば香港がイギリスから中国に返還されるのに遅れること2年、マカオは1999年にポルトガルから中国に返還され、すでに中国に同化している印象でした。実を言えば市内を散策する暇もなく、バスの車窓、わずかな散歩、フェリー乗り場でポルトガルの香りを感じることはありませんでした。さて、マカオは地理的に中国の珠海市と陸つながりになっています。小さなマカオにカジノが約10軒というのは多いのですが、どうしてでしょう。観光都市であるというだけではないようです。中国人は賭け事が好きらしいということと関係があるのかもしれません。あくまでも憶測ですが。(滞在中同室の芳《フローレンス》さんは二晩続けて行っていました。)
さて、ポルトガル料理とはタラやイワシなどの魚介と米を多用し、焼いたり炒めたりする素朴なものが多く、凝ったソースが用いられることはない。それを源流にして、ポルトガルの貿易商人たちの船がアジア各地を経由して、インドの香辛料、マレーシアのココナッツ、中国のエビ、カニ、チキンが加えられた…。さらにはアフリカ、ブラジルなどのポルトガルの植民地の料理法、調味料までも。そして調理するのがアジア人、後に中国系の人々も加わってできたのがマカオ料理であるとのことです。これほどまでにいろんな国の具材、味付けが混在するものもないでしょう。当時の、遠く故郷を離れたポルトガル人たちはどんな思いでマカオ料理を食べていたのでしょう。興味が湧きます。以下はマカオ滞在中の夕飯の内容です。
1. 地元で人気のレストランにて
タラのすり身とマッシュポテトのコロッケはポルトガル料理の定番の前菜。形は楕円形でかわいい。 鴨肉の煮込みはブラウンソース。土鍋ごとオーブンで焼いたものがテーブルへ。ライス付き。 スペアリブ。 カレースープは、ジャガイモ入り。ライス付き。日本のカレーライスに非常によく似ている。 カレー麺は、焼きそば麺をカレーで和えたもの。 野菜炒めはキャベツを中心とした野菜炒め。
2. ハイアットリージェンシー内ポルトガルレストランにて(写真参照)
タラのすり身とマッシュポテトのコロッケ。 シーフードサラダ。 エビのスープは複雑な味。オニオンスープにエビのダシも加わって、香菜も入っている。 ラムの煮込み、ブラウンソース。 カニのクリームスープ煮。 チキンの煮込みは土鍋で。クリームソースで煮込んである。 チキンライス、日本のチキンライスと全く同じ。アジアでチキンライスと言えば、白いご飯の上に焼いたチキンがどんとのっているのが常だが、日本のケチャップ味チキンライスと同じ。 デザートは洋風デザート。なぜか沖縄のサーターアンダギーのような揚げドーナッツもあり。 サングリア、甘い赤ワインにりんご、オレンジなどの角切りフルーツが浮かんでいる。
3. マカオタワー(高さ338mは世界で10番目)の展望レストランにて
360度マカオの夜景を見渡せるようテーブルがゆっくりと回る。角度によっては、すぐ真下はもう中国本土。料理は和洋中の料理が多種並んでいる。ポルトガル、マカオ料理はない。ビュッフェ形式のレストランではこれまでの人生でbPのおいしさ。同席の榮(カルビン)氏は中国人きってのグルメらしく、ベストチョイスされたもののみを持ってくる。お眼鏡に叶ったものだけが彼の皿に載る。それを参考に私も選択。お奨めはデザート。洋風、アジアン風どちらもグー。タピオカゼリー、牛乳プリン、胡麻アイス、胡麻ゼリー、…。
刺身は鮪、甘エビ、タコ、サーモンがあり。その場で塊をスライスしてもらう。 海苔巻きは海苔入らずの白胡麻、黒胡麻まぶし巻きが主流。 しゃぶしゃぶ ローストビーフ、ポークはスライスしてお好みのソースで。 北京ダック パスタは調理人が、客の選んだ具とパスタ(堅めにあらかじめ茹でてある。)をざるに入れて軽く一茹でし、かたやフライパンでソースをあたためパスタ・具を加え完成。できたてのおいしさ。 デザートは圧巻。(写真参照)
マカオ飯とは、家庭的な味なのかもしれません。日本の料理と似ているものもありました。キャベツ、ジャガイモを多用して庶民的です。それにしても泊まったホテルのエッグタルトは最高美味でした。パイ生地がバターたっぷりさくさくで、中のカスタードクリームがかなり濃厚。ある台湾人男性は一人でお皿に10個も取り分けて満面の笑顔で食べていました。おいしいものを食べている人たちの嬉しそうな顔を見ていると、親しい人たちでもないのに微笑んでしまいます。私まで幸せのおこぼれを預かったような気分です。食べることには、その本来の目的以上に不思議なパワーが秘められています。
日本人の人気の旅行先イタリアに行きました。今回は藤沢のイタリア料理店の企画ものでした。偶然この旅行を知り、むむむ、何かおもしろそう・・・。というのは7日間の旅のうち、前半イタリア南部プーリア州ファッザードという町のマッセリア(農場民宿)に泊まって料理研修、後半ローマに移動して観光・ショッピングを楽しむというものだったからです。シェフ曰く、プーリア州は魚料理がおいしく、北部よりも興味を惹いた、とのこと。私も魚料理のほうが断然好きです。
<前半部>バーリ空港からファッザード――お食べ地獄へ――
イタリアではアグリツーリズモといって、農場民宿に泊まるのがブームになっています。民宿といっても雰囲気のある石造りの家に泊まっておいしい食事、おもてなしを受けます。今回はその民宿でイタリアのマンマ直伝のお料理を習いました。
帰り道アルベロッベロという世界遺産にも登録されたトンガリ屋根の住居を見て回りました。おもちゃのような外観です。 翌日はモノポリという海に面した町の青空市場を見学、その後アドリア海の崖に造られているレストランでランチです。 夕食はやっとお待ちかねの調理実習です。プーリア州独特のパスタ料理オレキエッテ(耳たぶという意味)とパンツァロッティ、茄子とパルミジャーノの重ね焼きに挑戦です。オレキエッテはセモリナ粉と水をこねて粘土細工をするように細い紐を作り2cmほどに切り、ナイフをへらの如く操り貝殻のような形にします。それをブロッコリーと茹でて、フライパンでプチトマトを崩しながら炒めた中に先ほど茹でたものを加えます。パンツァロッティはパン生地の中にモッツァレラとトマトソースを餃子のようにしてくるみ、揚げたものです。もちろん中のモッツァレラはとろとろに溶けていてオイシイ。とにかくマンマの作った料理は信じられないほどのおいしさでした…。 翌日も朝食後、調理です。キッターラという四角い枠に針金が数十本平行に釘打ちされている上にパスタの素を置いてのしてその針金を通ったものがキッターラという麺になります。麺を茹でたら、かなり煮込んだトマトソースで和えます。もう一つ、ムール貝のリゾットを作ります。こちらはズッキーニ、玉ねぎ、トマト、ジャガイモなどの野菜をたっぷり入れます。プーリアはおいしい野菜の産地で、野菜好きの私にはうれしいばかりです。3品目はフォッカッチャというピザの生地で作ったパンです。モッツレラチーズ工場を見学に行った時にもフォッカッチャを作っていてイタリアでは定番中の定番です。もちもちっとしているのはドゥにマッシュポテトを入れているからです。イタリアのマンマの家庭料理ってなんておいしいのでしょう。この民宿の厨房で仕事人のコックが全く同じものを作るとなぜか数段味が落ちているのです。
<後半部>ローマへ――観光――
イタリアは歴史があって文化があって、成熟しています。だから大人が似合う。そして日本人に優しいのもうれしいところです。誰にでも優しいの?毎日が幸せだったら誰にでも優しくなるのかもしれません。そう、イタリア人って「妬む」という負の感情 をもともと持ち合わせてない人々のような気がします。
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