「僕が宝塚を愛でる理由(わけ)(1)」  

 

                             国際情報専攻 4期生・修了 江口展之

 

 

 

 

電子マガジンへの寄稿依頼を機に、宝塚歌劇を「商品」ないしはビジネス・モデルとして分析してみようか、という気持ちが突然に起きた。いや正確には、寄稿依頼を引受けたものの題材に窮した結果の産物として捻り出した。 捻り出すにあたって悪魔の囁きがあった。 曰く“今回が終わっても、またいずれ寄稿依頼があるよ。どうせ依頼を受けざるを得ないようになるんだから、いっそ連載ものにしておくと、題材考える手間だけでもハブけまっせ”(←関西弁の悪魔?)

 

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宝塚歌劇団: 宝塚市に本拠を置く女性だけの歌劇団。小林一三が創始。宝塚温泉のアトラクションから発展、宝塚少女歌劇を経て、1940年(昭和15)宝塚歌劇団となり、レビュー・歌劇などを上演。養成施設として宝塚音楽学校がある

 

三省堂「大辞林 第二版」は、このように解説する。この解説には記載がないが、宝塚温泉のアトラクションとしての宝塚少女歌劇は1914年に始まった。最初のだしものは童話「桃太郎」にヒントを得た「どんぶらこ」という上演時間30分程度の、今の宝塚歌劇から考えると、小学校の学芸会みたいなものである。

 

爾来90年。紆余曲折、艱難辛苦の時代はあったものの、今では常設のミュージカルないしは歌劇の上演団体としては、劇団四季と天下を二分し、ショーないしはレビューの上演団体としては、我が国唯一の(もしかしたら世界で唯一大規模常設の)存在として発展し、今日に至っている。

 

以前には、東京・浅草の国際劇場を本拠地とするSKD松竹歌劇団、あるいは大阪を本拠とするOSK大阪松竹歌劇団、そして東京・有楽町 日本劇場を本拠とする日劇ダンシング・チームなど常設の歌劇団があった。さらに戦前には、日本のあちこちに同様の少女歌劇団が発足したものの胡散霧消したと聞く。

 

なぜに宝塚歌劇だけが90周年を迎えることが出来たのか?

 

一口に90年というが、宝塚歌劇を「90年間商品価値を維持している商品」として考えれば、これはすさまじく商品力の強い商品であり、今日的表現を用いるならば、強力な「ビジネス・モデル」である。

 

この商品力の強さの具体的証左は、宝塚歌劇の本拠地である宝塚大劇場(兵庫県宝塚市)あるいは東京宝塚劇場(東京都千代田区)に足を運ぶ人の、おそらく100人中90人が女性ということに求めることが出来る。(TV広告業界においては、「F1層」といわれる20歳〜35歳までの、消費行動が強く好奇心が旺盛な女性層の獲得が、視聴率戦争を勝ち抜きトレンドを制するための必須条件とされているが、宝塚歌劇は、まさしく、この獲得に成功しているわけである)

 

記憶する限り、私が宝塚歌劇に始めて接したのは、6歳の頃である。爾来、50年余、少年期特有の照れとはにかみゆえに敬遠した時期、受験時代など消極的な時期はあるものの、宝塚歌劇を直接・間接に見続けて来た。(間接=TV観劇) 理由はもちろん「観てて楽しい」に尽きるが、これは視点を変えると、50年に亘り宝塚歌劇という「商品」を買い続け、買わされ続けてきたということである。

 

買い続け、買わされ続けている状態は、言葉を代えれば「リピート」していることとなる。そう、宝塚歌劇は女性客をリピーターとして確保し、それを核として展開して成功している。そこでまずは他の「リピーター確保で稼いでいるビジネス」との比較をもって、宝塚歌劇というビジネス・モデルを分析してみたい。比較対象は、いわずと知れた最大のリピーター確保成功企業である「ディズニー・ランド&ディズニー・シー」である。                             (次回へ続く)