「東武練馬まるとし物語 第二部」  

 

    

                                                                    

                                 国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

                                                                                      

 

 

 

 

 

その三 「スタートライン

 

 

 研究科の博士前期(修士)課程を修了して1年が経った。

 

 事業主になって1年、子供たちの春休みということもあり、練馬区の保養所の武石に行ってみた。東京では桜が咲き始めていたが、長野では、まだ福寿草があちらこちらに群生していた。

 

科目等履修生として、人間科学の必修科目である「社会哲学特講」と心理学についても学ぼうと「心理学史特講」の今まで専攻してきた国際情報とは別の分野の科目を選択した。

 

なかなか思うように書き進まなかった科目履修に必要なリポートも、探していた答えを別の視点からまとめる技術もあらためて学べたと思う。

 

「社会哲学特講」の佐々木健先生からいただいた資料、特に文章作成に関するものは、何より有意義であった。今後かなり時間はかかってでも、改めてその内容を自分の研究に生かしていきたい。

 

自力では見つけられなかった課題の重要な部分について、先生方の迅速な添削、核心をついたコメントによってヒントをいただき、リポートを書き上げることができた。

 

単位履修表が郵送された。「心理学史特講」の大山先生から、「ご多忙中自分で努力され、私の助言を真摯に受け取られた結果と思います」という、これからの自分にとっても励みになる言葉をいただいた。

 

3月、僕はこの4月から新設された、研究科の修了者を対象とした研究生への受験をしようと考えていた。

 

研究生とは、在学期間は1年。ただ,継続して研究を希望する場合,年度ごとに願い出ることで,原則として3年を限度として在学を許可され、ご指導いただく先生の個人指導による研究成果報告書の作成をするものである。

 

不況のためか、最近よくいろいろな経営者が、従業員に対して、自ら主体的に考えて行動する商人という言葉を使うようになった。この商人について、また商店経営に関しても、自分なりに調べてみたいと考えていた。

 

研究生への受験を前に、その試験日の2週間ほど前の3月7日、僕は一つの賭けに出た。

 

この日の「第22回三浦国際市民マラソン」の10kmレースで、制限時間の70分以内にゴール出来たら、願書を提出しようと決めた。

 

研究を続ける決心をするのに、更なる困難を克服する精神力を試すためにも。当日、今回ばかりは、僕一人だけの単独参加となった。

 

三浦国際市民マラソンは日本陸連公認のコースであり、自分のシューズの靴紐にはRCチップを装着、記録の計測が行われる。

 

天候は晴れ。気温6.1℃。湿度42.0%。北東の風平均3.5m。当日のコースの状態である。

 

朝9時30分のスタート時間に合わせて、6時には電車に乗った。会場に近くの京浜急行の車内には、停車するごとに、続々と、練習を重ねたであろう、馬のような鍛え抜かれた足を持つ短パン姿のランナーたちが乗車してきた。

 

僕はというと、その車内から会場にかけて、その雰囲気に圧倒されっぱなしだった。

 

指定された更衣室で着替えを済ませ、ゼッケンをつけた。集合時間にスタート時点に行くとすでに完走予想タイムごとに長い列が出来ていた。

 

ゴールした後に、すぐ店に戻らなければならないので、無理なペース配分でケガをしないよう、60分程度の位置に並んだ。

 

そして、スタート。丘稜コースを含む、起伏のあるコース、走りながら時折三浦海岸の海も見られるも、景色を楽しむ余裕は最初だけであった。

 

日々仕事に追われ、満足な練習もできていない状態の僕としては、上り坂が特にきつかった。1キロごとにプラカードで走った距離が分かるので、折り返しの5キロを過ぎた時点は、タイム的には完走の目処が立った。

 

後半下り坂でスピードを出しすぎないように。そして、ゴール。完走することができた。このことが転機となり、後日、研究生の試験に合格することもでき、今後も学究を続けることになった。

 

「僕がこうして、走ることや学問をすることが好きなのは、お金では簡単に買えない楽しみを大切に思うからだ」

 

なお、今年度の研究生は27名、科目等履修生は13名、僕以外にもたくさんの研究仲間が入学した。

 

3月25日、第4期の修了祝賀会に同席する形での、アルカディア市ヶ谷で行われた「第3回同窓会」に修了生として、子供たち3人を伴って僕も参加した。

 

ご指導いただいた先生方を囲み今期修了生の方々の健闘を称え親睦を図るという主旨に、賛同したからだ。この日初めて直接ご挨拶した、大山先生とは、メールで何度もやりとりをしたことで初対面のようには思えなかった。佐々木先生へも、子供たち共々、もちろんご挨拶をした。

 

アナバーのミシガン大学に出張し無事帰国された近藤大博先生には、久々にお会いした。アメリカから絵葉書をいただいたお礼もできた。また、この日の翌日から、学校からの派遣で、ドイツとスイスに出張される小松憲治先生に壮途のご挨拶ができた。

 

面接試問前日に店に奥様とお越しいただき、今期無事修了された同じゼミの長谷川さんにもお祝いの声をかけた。

 

会の進行も進み、時に司会の菅宮さんに促がされ、お料理を食べ終えた子供たち3人が壇上でインタビューを受け、場を和ませた。以前店にお越しいただけた河島孝先生ともお話することができ、うれしかった。

 

季節は春になった。4月、昨年11月の所沢キャンパスで植樹した桜を、仕事の合間に見に行った。1期・2期・3期、それぞれの桜が見事に咲いていた。

 

子供たちも、上から、小学4年生・2年生、そして幼稚園年長と、それぞれ順調に進級した。僕はというと、変わらず毎朝、三女を登園のため自転車で送っている。それもあと9ヵ月くらいなのかと思うと、ペダルに力が入る。

 

家庭内のことも、ふれてみる。

 

平日、家では、妻が店の経理の伝票を書いている側で、長女と次女が勉強をしている。家庭で自習用に親が添削する教材を、各自でやってもらい、翌日妻が丸付けをするのが日課だ。学校よりも先に予習の形で勉強をすることで、授業での先生の話が理解しやすいだろう。

 

子供たちが分からない時には、妻がそばに居れば、その場で見る。丸つけをしているとどこが分からないか気が付くのだそうで、週末の朝、教えることもあり、そんな姿を僕は「勉強ばかり、休みの朝からさせなくてもいいじゃない」などと言う。

 

妻が店に出ない日は、夕飯の支度を妻と子供たちで一緒にする。

 

話に聞いて知ったのだが、義母だとあまり手伝わない次女が、妻の時だとすごく張り切って手伝いをする。この前のロールキャベツでは、次女と三女が具をこねていた。手を良く洗うようにとの言いつけを忠実に守ったためか、ハンドソープの香りつきの料理が食卓に並んだ。

 

週末は、晴れていたら自宅近くの光が丘公園や夏の雲公園へ行くそうだ。大縄跳びやボール投げをしたり、アスレチックで遊んだりする。

 

長女は、ドッチボールで、しっかりとキャッチをし、ボールを強く投げられるようになりたがっている。妻が練習相手になるも、時々よそのお父さんの姿を見てうらやましがっているらしい。僕が相手になれればいいのだけれど、仕事柄なかなか時間が取れないのが残念だ。

 

三女は、この時期、自転車の補助なしに乗れるようになりたがっていて、リンドグレーンの『ロッタちゃんと自転車』に大いに刺激された。

 

すぐにでも乗れるようになると思い込んでいたらしく、初めて乗った時には、すいすいこげると錯覚して、そうならない自分に、公園のベンチで悔し涙を流していた。

 

そんな三女を上の2人が、「私たちなんか、この位乗れるようになるまで、かなりかかった。恐がってないから、すぐにちょっとこげたりするのだから、凄いじゃん」となぐさめていた。

 

幼稚園から帰り、ちょっとでも時間があると練習をしたがっている。

 

同居するようになってから、義母に甘えてしまい、子供たちはお手伝いをあまりしなくなってしまった。妻は、店に出ていて、実際注意も出来ずにいて、どうしたものかと考えていた。

 

ちょうどその頃、3人ともゲームボーイに夢中になっていた。そこで、洗濯物の畳み当番と、その畳んだ洋服を自分たちのタンスにしまうという役割を果たした人はゲームをしてもよいという約束をした。

 

すると、競って畳んでくれるようになったと、とても助かっているそうだ。時々、それぞれのタンスの引出しを見てみると、グチャグチャと丸めて突っ込んで入れてあることもあり、妻や義母がこっそり片付けておく。

 

ゲームボーイ熱も最近は下火で、読書好きな長女はシリーズ物の本を友達と交換をして読みっこをすることに、手先が器用な次女は、トイレットペーパーの芯とコンビニの袋、ティッシュとストローで作る自分人形の作成に、三女は強固な泥団子作りにそれぞれ熱中している。泥団子は、幼稚園と自宅に、それぞれあって、フリースでピカピカに磨かれ黒光りしている。

 

絵日記は、3年前の長女が小学校に入学をして、初めての夏休みの宿題をきっかけに始まった。今では、3人の絵日記を数えると10冊にもなっている。

 

ちょうど絵日記を書き始めた頃から、妻が夕方から店に出る日も増えて、子供たちとゆっくり話をする時間もなくなった。そこで、子供の絵日記に返事を書いたらいいのではと思ったようだ。

 

ある時、長女が「ママ、今日は何も書くことないよ、つまらないことばかりだった」と言うので、「そういうことも書いてごらん」と返事をしたら、姉妹ゲンカのことも書くようになった。

 

そうこうしているうちに、店から帰宅するとテーブルの上に、長女の日記帳と、その姿に影響された次女の大胆な絵の書かれた日記帳、そして、まだ文字を覚えつつある難解な文字の、三女の日記帳も並べて置かれるようになった。

 

その日記帳のお陰もあったのか、先日、店近くのスーパーから電話がかかってきた。どうも、何気なく出した、「第28回マイカルのお母さんの似顔絵全国コンテスト」で、長女がマイカル佳作賞に入選したのだ。

 

5月9日、とても喜んだ長女の表彰式があり、皆で出席した。この日は僕の実の母も呼んで、式の後に、母の日と絡めて、お祝いの食事会をした。惜しくも入選にはいたらなかった次女や三女の絵もそれに引けを取らず、気持ちがこもった素敵な絵だったと僕は思っている。

 

うれしいことはもう1つあった。何かと言うと、義妹のお腹に2人目の赤ちゃんを授かったことだ。妊娠6ヶ月、出産は8月の予定。年子になると知ってびっくり。

 

今年に入って、店のすぐ近く、9月完成予定のマンションが建設中である。お昼には、その工事現場の作業の方や営業マンの方などが頻繁にご来店くださる。

 

それまで店は隔週の水曜日、月2回の休みをとっていた。周りの店が水曜日に皆休みになるので、この4月から、その休みの日も朝から夕方位まで、特別に営業することにしている。

 

先日、そのマンションの営業マンの方が、「自分で食事をしておいしいので、ぜひモデルルームで、店の案内のチラシを作り置かせていただきたい」というお話があり、快くお受けした。出来上がったその内容を以下紹介する。

 

古き良き定食屋さんの雰囲気をたたえた店内。お肉の素材にこだわり、おいしさを追求する。とんかつ以外にも、魚介類のフライやコロッケを組み合わせたり、しょうが焼きをメニューに加えたりしている。またソースも、とんかつ用に調整した「まるとしブレンドソース」、野菜と果物で作った無着色の「グルメソース」、他に「特級とんかつソース」から選べ、ごはんは厳選したお米のみで炊き上げている。「アサヒ樽生クオリティセミナー」修了店なので、生ビールの注ぎの腕はお墨付きで、クリーミーな泡立ちがたまらない。等々。

 

このセミナーには妻と2人で参加した。生ビールをおいしくするには、樽の温度管理、空気圧の最適化、ビールサーバーの毎日の洗浄、ジョッキの手洗いなどを、毎日徹底することが必要である。

 

ビールのお通しも、常連のお客様の好みなども考えて、ちょっとずつ変え、さっぱり、こってり、甘い、辛いなど、いろいろとお出ししている。

 

5月19日、例年どおり、商店街の総会が行われた。僕はこの総会で正式に理事に選任された。理事長も代わられ、不況の影響による個店の閉店・撤退が続く商店街も今回思い切って、世代の若返りをはかったようだ。

 

この辺りのことは、まだ入り口に立ったばかりだ。店の更なる活性化を図りながら、自分はどのくらいの関わりをもって、理事として商店街にできることを模索していきたいと思っている。

 

以下、次号。