紀行文   Amtrakの旅とJRそしてCEOの方々の誠実さ

 

                  国際情報専攻 4期生 ・修了 長谷川 昌昭
                         
(科目履修・研究生として博士後期を目指し在学中)

   

                 
はじめに

 日本大学の大学院から、世界へ発信される電子マガジンに紀行文を掲載させて頂いたお陰様で、内外の大勢の方々からの激励と励ましに加えて、ご叱正をも頂戴
しました。有難く感謝いたしております。

 その過程で、「もっと詳しく」「具体的に稀有の体験は前後の情勢を誰にでも理解が可能なように記載すべき」、「体験談は感情移入で初めて成功」「CEOとの交流は素晴らしい是非聞かせて」「ネゴシェーションの詳細を」「記載内容とレイアウトの整合性云々」等々と思い出すだけでも、大変に貴重な得難い、そして有用なご指導を賜り、感謝とそのご期待に応えるべく、本稿は、そのような経緯から今回は表題のようになりました。

 Amtrck と並び称されるGreyhoundのことについては、1回米中西部コロラド州のデンバーから、北米一の冬季リゾート地、冬季ワールド開催地でその筋には有名なVailへの片道160哩の旅を経験しています。

 従って、一度の経験では、正しく旅の印象を伝えることについては、仮説の論証に不足する部分があり、読んでいたたける読者の方々に誤った印象や安易な計画立案の端緒となっては、との思いからご要望はありましたが、この度は、再度体験し、実地の検証後の執筆・紹介の紀行とすることをご理解下さい。

1 AmtrakとJR

 Amtrakは、皆様ご承知の通り、アメリカで唯一の全国規模の旅客鉄道組織で、正式名称は、National Railroad Passenger Corporation.です。
Amtrakは通称でAMerican,TRavel,trAck,の三語を元に広告代理店が創作した合成語です。「全米鉄道旅客輸送公社」と各種ガイドブックにはあります。勿論、私企業です。

 株主は米運輸省で理事会(重役会)9人のメンバ−の内で大統領が5人を、運輸長官が2人を任命し、実権は、連邦政府が握っているものの、我がJRよりは、大変商売熱心との感触を、予約や案内のe-mailの回答、駅員、乗務員、列車や施設等から感じ取れる。

 具体的事例と致しましては、First Classの乗客は、乗車時に検札するのみで、車掌はどの座席に誰が座っているかを、その段階で十分に把握しており、乗客は他の等級より高価な対価を支払って獲得した、空間で誰の邪魔も無く、車窓の映り変わる風景を堪能したり、処理すべき書類整理作業に専念することが可能である情景であった。

 また、当初の1990年代は、Faxと国際電話によるキップの予約で利用していたが、最近、大学院入学以降はは、パソコンを使う頻度が大幅に増えて、親しむようなになったのでWebサイトでの申し込みをしての利用にAmtrakの利用形態を私自身も変更してからは、パソコンで申し込み、reservation Noの送信を受けて、そのNoを現地で伝え、visa gold cardの提示のみで、全く手数料や旅行業者のマージン無しで、観光客割引(15%off)やシニア割引(15%off)が適用されて、大変に格安で利用可能であり、depositの要求もなく、ただ事前にcard Noの送信のみで、米国内どこのAmtrak駅でも買えます。そして、その支払いのcardの請求は約40日後であって、その間に円安にでもなれば徳をしたことにもなります。

 我がJRでは、残念ながら期待できない。前職時代に社命で一年間に10回程東京〜新大阪間を「のぞみ」のグリーン車で往復した経験があり、そのときは重複した検札と形式的な鋏を入れるだけで内容不確認の検札で、真正な乗車券を途中名古屋からの乗客とのダブルブッキングを車掌のミスで引き起こした例もあった。

 そのときに私は、特等客は、相応の対価を支払い、その反対給付として、相応の平穏な環境を手に入れたのであるから、Amtrakの優れた方法を先例として、乗車時の検札は確認上からも、必要不可欠だが、その後の対応は乗客の実態を確認した上での対応策として、乗車券を当該客席の頭上の荷物棚に貼付して、下車時に乗客が自己の荷物と一緒に持参降車すれば、荷物忘れと切符忘れを防ぎ、乗客を煩わしさから解放されるとの提案を車掌にしたことがある。 

 Amtrakの車両編成では、AmtrakのFirst Classは一車両のみ、他の乗客は一切立入りさせず、別世界の旅が楽しめます。このボストン〜NY〜ワシントンDC線は既に3回目です。First Classの客は他の車両への移動は自由で、その逆は駄目という管理システムで、車内風景は、米国の風俗習慣や米国の発展に伴っての鉄道等の発達の跡を直に触れるには絶好の旅のスタイルと思います。


 料金と距離の比較は、同一の距離で東京〜岐阜羽島間は369,3Km,料金は\15,290(G料金含み食事無し)所要は3:08です。

 ボストン〜NY間は369,9Km,料金\23,562(食事飲物自席へサービス)所要は3:30です。

 ニュ−ヨ−クのペン駅では、赤帽が車内まで来るので待ちなさいとのアドヴァイスがあり、赤帽が一切の私共の手荷物(スーツケース)を積んだ手押し車で、タクシー乗車位置まで先導してくれ<タクシーを停めてくれるサービス付きでした。詳細に比較御検討下さい。因みにランチは自席まで、運んでくれてアラスカサアモンに鱸のソティの前菜にメインディッシュは、NYステーキにシャンパンンとワイン・ビール、ジュースはフリー、デザァト飲み物付の豪華な食事を米東海岸の風景と共に堪能しました。

 Amtrakは、降車時の乗車券は求められないので、前記の方法は私の独創です。
その後も、最近まで改善されずに、同様の経験をしている。

 更に去る5月10日に社命の出張の札幌〜函館間を奮発し、グリーン車で、その後の対応の改善対処を検証する絶好の機会と思い乗車した。

 札幌12:22発のスーパー北斗のグリーン車の座席配置は、2座席プラス1座席の3列で、相応の快適さはあり、折からの曇り空であったが、噴火湾沿いの車窓を20年振りで楽しもうと思っていた。

 ところが、頻繁に同一服装の乗客と思しき者が頻繁に通路を往復するので、車掌に尋ねたところ、グリーン車は、先頭から2両目に位置し、その後方車両の修学旅行者の引率教師と添乗員が、一両目のみが喫煙車であるために、喫煙に行くためだとの説明を受けた。

 車掌にAmtrakの例を引いて、グリーン車は最後部に連結すると衝突事故での損害は少なく、他の乗客の通路にもならない旨と添乗員は、旅客の利便と快適さのためのもので、乗客が迷惑する行為は本末転倒で慎むべきだ、と申し向けたところ、

 「良く解りましたが、例年この時期は、旅行業者は新人研修で平素より多くの添乗員を派遣されるので問題はある。」と乗客から他にも苦情があることを認めた。

 その後は改善されて、新人と見られる者の頻繁な通路往来は減ったものの、30歳台の添乗員は我が物顔に声高に話し合いながら相変わらず車両通路を往復していたし、降車時は普通車の客は自分の車両の乗降口から、下車すべきなのに、グリーン車側の乗降口に移動し、何の都合か旅程表を手にして占領していた。

 グリーン車の坂田という女性乗務員はテキパキと対処していたのが、唯一の救いだった。

話を元に戻して。

 業務内容は、45州の500以上の都市を結ぶ中長距離旅客列車の運営・機関車や客車等の車両と一部の旅客駅設備を持ち、これに関連の職員がいる。鉄道線路は、ボストンとワシントンDC間以外は所有してなく、既存の各鉄道会社(貨物列車だけ運営)と契約し、その路線にアムトラックの車両で運営している。他に大都市近郊の通勤輸送、都市郵便施設間での小包等の郵便物輸送等です。従って、我がJRとは比較が無理だとは思います。

 御承知の西部劇にも登場する大陸横断列車を数社で、各社が独立して運営していたものを第二次世界大戦後は、航空機の軍用からの民生へと共に、ハイウィ網の全米的な基盤整備の発達とそれに伴う自動車産業の飛躍的大型化と個別化が、鉄道事業を圧迫し、遂に1970年には、「鉄道旅客サビース法」が連邦議会で成立し、1971年にAmtrakの発足となった歴史的経緯がある。

 それまでに各鉄道会社が運行していた400往復から184列車21路線の約37,000KmでAmtrakとして運行開始し、現在に至っており、2001年に創立30周年を迎えている。

 その時刻表は、日本の25倍の国土を走るAmtrakでは、想像を絶する膨大な頁で、超大型のものとの予想は見事に1991年の北米初渡航の際に、見事に打ち砕かれてしまった。

 2003年以降に殆んどの世界の航空会社は時刻表をWebサイトで公開していることから、搭乗券でさえもチケットレスの時代の要請から、縮小化と合理化とIT時代の要請から小型化は否めない実態である。Amtrakの時刻表は、1991年当時のなんとタツタ40頁で全米を網羅しており、1991年、当時に利用した航空会社のNW,UN,US,PANなどの航空会社の時刻表は一社でも、我が国の時刻表程度はあった。

 2002年版のAmtrakでも、その後は、航空会社との対抗上の鉄道沿線の各地リゾートの紹介・レンタカーの宣伝頁を含めても、2002年版は70頁でした。
我が国の所謂時刻表は、その国土が1/25でありながらも1,140頁程の規模であることは、我が国は国土が狭隘で人口が都市集中型であり、首都から列車で1時間行けども住宅密集地が続くところは、世界でも稀であるとの指摘をしていた書物があった。この10年で17回程渡航し、Amtrakからの車窓風景は、NYやDCそれとシカゴやサンフランシスコは何処も、車窓風景は、発車後30分程度で郊外型住宅地帯が現れて、間もなく途切れるパターンです。当然米国では、航空機利用の移動手段は、土地の広大さ所以のものと思います。この日常的な移動手段の航空機を武器と手段とした重大犯罪は、September11.2001である。
兎に角、逆転の発想が必要で、欧州全土と英国を網羅したトーマスクックの時刻表でも我が国と比べると、なんと薄いことに驚かされます。反対の現象として面白いのは、鉄道踏切りです。

 我が国では、鉄道踏切りでは、信号機の設置されている場所以外は、一時停止と安全確認の二重の義務を運転者に科し、罰則の担保さえあり、不停止は罰金です。然るに、米国内の鉄道踏切は、警報機の設置してある場所でも、自己責任で踏み切りを通過することで、停止しようものなら追突されることは間違いない。停止の義務は全く科せられておらず、自己責任での安全確認で、殆んどは通常の速度で通過するのが実態であった。これは、自分でハンドルを握ったハワイのマウイ島やミネソタ州のミネアポリス・セントポーとかフロリダ州のキー・ウエストの米国国道一号線などで実体験です。踏切遮断機も車両の通行する反対側には、遮断バーすら設置されていない。最近話題の「自己責任」はこの辺からも、自由と安全への思想の相違と思います。

2 主要大陸横断幹線

 大都会NYや首都ワシントンDC、中西部コロラド州首都デンバーを軸に文字通り、ハブとしての北東回廊(Notheast Corridor)から、太平洋沿岸を走る海辺の星影の旅まで、極めて多種多様な旅か楽しめる路線と納得の価格帯の設定があり、必ずや満足する紀行となります。

 その他にも、南部のニューオーリンンズからシカゴへミネソタへのシティ・オブ・ニューオーリンンズ、エンパイア・ビルダーなどの著名な列車が運行され、多くの乗客に新たな旅での出逢いの発見や多民族国家の生活慣習や文化を直に学べ、国際交流には絶好のルートである。

 それでは、1991年以降の17回の渡航で米本土は、7回でAmtrckの旅は、6回デザートウインドー(砂漠の風号)やカリフォルニ・アゼッファー(カリフォルニアの微風)での実体験を基に、印象をお伝えし、間もなく始まる夏休暇などの計画に寄与出来れば、望外の幸せであります。

3 Amtrack乗車概要と旅程

A 平成3年(1991)年3月23日The Metroliner
ニューヨーク〜ワシントンDC 365Km
Club car(特別一等車軽食飲物国際電話無料+$39)


B 平成3年(1991)年3月26日 California Zepher
デンバー〜シカゴ 1659,2Km
First Class Sleeping Car(特別一等車個室寝台シャワー付食事付)


C 平成3年(1991)年8月13日 Desert Wind
ラスベガス〜デンバー1632Km
First Class Sleeping Car(特別一等車個室寝台シャワー付食事付)


D 平成10年(1998)7月14日California Zepher
  サンフランシスコ〜デンバ  2,263Km
正確にはサンフランシスコからエミレイバレ間は連絡バス
First Class Sleeping Car(特別一等車個室寝台シャワー付食事付)


E 平成10年(1998)7月21日The Metroliner
ニューヨーク〜ワシントンDC 365Km
Club car(特別一等車軽食飲物国際電話無料+$39)


F 平成14年(2002)6月26日Acela Express Metriline
ボストン〜ニューヨーク 369,6Km$119+$69計$187(\21,000)
新幹線の東京〜岐阜羽島間369,3Km(グリーン料金含み) \15,290
Express First Reserved Seat 発着駅で赤帽のdoor to door service
 (特別一等車飲物昼食自席へサービス際電話無料+$39)


ABCDEFは添付のAmtrak Americaと対比した上で代表主要路線概要を紹介しましたので、ご理解を。

The  Metrotoline  について(A E F)関連

 大都会を結ぶビジネス特急的存在である米国東部の花形路線として唯一の電化区間です。

 この地域は、米東部北から、順にボストン、NY、ワシントンDC(753Km)のNorthest Corriderと呼ばれるアメリカの学問、経済、芸能、文化、政治の中心地で人口は約4,000万人が密集している地域を驀進するThe MetorolineはAmtrakの乗客の約60%を占めているといわれているドル箱路線でもあります。

 世界の超学研都市ボストンと超世界的大都会NY、世界の超大国の首都ワシントンDCを繋ぐこの路線は、その沿線は、英国風(未だ行ってませんが)の風光明媚な学園都市と近代ビルの町並みから、米国富裕層の別荘地帯の東部海岸を抜け、そして摩天楼群の遠景を車窓から望見しながらNYへ、ペン駅を抜けると沿線途中には、アメリカの資本主義戦争に負け、朽ち果てた鉄鋼工場地帯や巨大な車の墓場を、そして世界政治・軍事の中心地ワシントンの終着駅ユニオン・ステーイションに滑り込む。

 平日より土日は料金設定が安い、いかにビジネスパースンの利用が多いかということであります。世界のビジネ最先端の雰囲気は十分に堪能できます。是非$39奮発しても、特別待合室、特別車両、食事飲み物付きで、車内からは世界中に無料の電話も可能なことを考え合わせると、十二分にpayします。

The California Zephyrについて(B C D )関連

 北米大陸の中央地帯を力強く横断するカリフォルニァ・ゼファーは、シカゴ発で、途中のデンバーでは、それぞれのサンフランシスコ行きの(3,985Km)とラスベガス行きの(3,291Km)のデザート・ウィンドー(Desert Wind)に分かれます。

 私共は、ラスベガス→デンバーへは、ラスを夕方の3時間遅れで出発したので、途中の砂漠は、もう夜でしたが、砂漠地帯は夏の夜でも、相当に冷え込む感じと、その荒涼たるたる風景は、必見です。その後にサンブランシスコ→デンバーをも旅したので、この区間は珍しく結果的には往復しました。

 このロッキーの山越えは、厳しく険しい山際を列車は驀進し、その間にトンネルは27もあり、Mofatt Tunnelは6miles(約10Km)て゜した。この辺が北米大陸の分水嶺でトンネル以前は曲がりくねった迂回路の山越えは7時間を要したものが、なんと10分に短縮された。この行程は変化と奇観の連続で、乗客からは感嘆の声を誘う程である。ここは5時間のスペクタクルスの連続で、西側の席がベターです。コロラド川を過ぎ、ネバダ州を越えて、カリフォルニァ州にかけては、かってのゴールドラッシュの面影を残す光景にも遭遇し、途中はほぼ単線区間ですが、時折すれ違い用の複線では100両を超す長大な貨物列車とすれ違なにごともスケールメリットの国を感じました。

 列車の編成の真ん中辺には、、ランウンージカーが、二階建ての二階部分が総ガラス張りで椅子は外側向きに設置されて、ユッタリト移り行く景色を冷たい飲み物片手に、Rout Mapを広げるのは、将に至福のひと時です。

 この路線は、大人気で相当前に事前の予約が必要です。

 デンバー以西のロッキー山越えでは、珍しい野生動物の群れに遭遇したり、背の低い植物のみの荒々しい岩肌の奇観が次々に現れて、様々な未知との遭遇の機会に恵まれます。

 Http://www.amtrak.comでも写真や時刻表・62歳以上の15%off・予約対応をしています。当然大学院生は、国際学生証を出国前に取得しておけば、発行費用の\1,650.-は直ぐに取り戻せる割引にびっくりします。

 個人旅行の計画は、自己責任の範疇ですから、

@ 時刻表は毎日運行と曜日別運行の確認と現地への照会と回答者のFull nameの確認

A 時差は東Eastem Time(ET) 西Pacific Time(PT)では、四時間あり、この確認。

B クラブカーや寝台車は、食事込みですが、チップは必須です。チップの感覚はFor youと貴方に感謝が鉄則。

エビソード

初めて1991年にNY〜ワシントンDCをメトロライナーのクラブカーに乗車したときの出来事。

 朝のNYのペンステーィションの発車間際に慌てて、バガーを買って飛び乗り、自席で頬張っていると車掌長が朝食の注文をとりに来た、食べたから、結構足だと言うと、料金に含まれていると言うので、「じゃぁ」と欲張ると、先刻食べたバガーよりも美味しそうな、大型のオムレツサントとスープにコーヒーを出されて、enjoyと言われたのには閉口した。

 サンフランシスコ→デンバーへの特別寝台車は一晩$5が目安とガイドブックにあった。シカゴまでは二晩で私共は、途中下車だが、二人だしと$10差出し、for youと言って、途中景色の善い撮影場所があったら、知らせて下さい。頼んだ。

 Sure !と応え如くに、深夜まで叩き起こされ、お陰様で、家内は深夜にロッキーの残雪風景を見れたり、フィルムやVTRはテープを旅行二日目で大半を使い切り、バッテリーもダウンしてまった。

 しかし、充電器は乗車時に預けたスーツケース内だと言うと、15車両前の荷物車まで取りに行って1,000個近い乗客荷物から一時間近くかかり、制服を汚しながらの大奮闘に恐縮してしまった。

 時差に関しては、1991年にNYから飛んで、バッファローでナイアガラ滝を見物後に、再度同空港から、デンバーへ向かう機内でのこと。

 機長が、見えたので、空軍大学へ表敬訪問の途中だと申し向けた。

 機長は「空軍大学は母校だ」との答えで、この機は、途中のセントルイスで団体客を降ろすとあなた方三人の日本人と数人の客なので、宜しければデンバーへの途中に二時間ほどの回り道の許可をとるとカナダ国境沿いでオーロラ見物が可能だとのこでした。

 他の客の了解と本社の了解を取り付けて、機はオーロラの幻想的な奇観をコックピットからの鑑賞となった。そしてデンバー空港に無事着陸し、他の乗客からも喜ばれ、機長やスチュワーデスとの握手を交わして、別れた。

 肝心のホテルに電話すると、大変、夕方までお待ちしましたが、未着なので、無断無宿泊(no shoe charge)で、既に一泊分は差し引き済みで、部屋はありません。との回答で、電話では小銭は切れるし、ラチが明かず、タクシーで同ホテルへ向かって、交渉の挙句に宿泊した。深夜12時着でしたが時差で5時間延着でした。時差恐るべしです。

 その機長とは、5年程Xmas cardの交歓をしたり、当時のスチュワーデスと結婚したなどの便りもありましたが、あまりこの話は信用されませんでして、数年前にJALcard会員セミナーで、客室乗務員部長のベテラン機長に質問したら、日本では信用されないが、国内航空路線の競争が熾烈な米国の当時であれば、宣伝効果や採算を考えての突飛な乗客の要望には対応するのが往時の考え方であったと日米の違いを説明されて、家内の信用もやっと獲得したことがあった。



4 CEOの心意気

 

  ACCJ 昼食会でNWA CEO Richard H. Anderson
  NWA 目代 純  日本統括社長と

 

  

         講演終了後に再会を果たしてNWA CEO Richard H. Anderson


 去る5月19日東京港を望むホテルインターコンチネンタル 東京ベイの5階ウィラード・ルームおいてACCJ(American Chamber of Commerce in Japan)の昼食会に夫婦で招かれた。

 ACCJは、皆様ご承知の通りに在日米国商工会議所のことです。

 米国商工会議所(ACCJ)の創立は1948年で、米国企業40社により設立されて、現在は、東京や名古屋と大阪に事務所を設置し、その活動はグローバルに事業を展開する会員企業の利益の保護と日米間のビジネスについての最新情報の提供などを中心とし、戦後半世紀以上にわたり多くのビジネスパーソンにネットワークの機会、生きた情報、日本でのビジネス成功に欠かせない強い発言力を提供し続けている会員により運営される会員のための団体です。

 当然「会頭」 (President)、「会長」(Chairman)、「特別顧問」(Special Advisor)、「副会頭(7名)」 (Vice President)、「理事(18名)」(Governor)、「財務理事」を置いています。

 1400社ものグローバルな視野を持つ企業から約3200名のビジネスパーソンたちが集まるACCJ
の活動は、年間400を超えるイベント、講演会、ネットワークイベント、各委員会の会合を開催し、業界別の委員会は、各業界の最新情報やビジネス戦略等の場を積極的に提供している。役員の構成やネットワークの強力さに加えて多彩なイベントを主催している。それは、年間400ものイベントを開催し、特に、講演会では、著名な方々を講師として迎えている。リチャード・ブランソン卿やカルロス・ゴーン氏など国際的に活躍するビジネスリーダー、インテル CEOクレイグ・バレット氏、トヨタ自動車取締役社長張富士夫氏、NTTドコモ代表取締役社長立川敬二氏などといった業界のトップリーダー、また米国商務長官ドナルド・エバンズ氏、経済産業大臣平沼赳夫氏、東京都知事石原慎太郎氏などの政府高官のほか、ジェスパー・コール氏、榊原英資氏、キャシー・松井氏、リチャード・カッツ氏のようなジャパン・スペシャリストと呼ばれる方々の講演を聞くことができる。

 公用語は英語であり、従って同時通訳は存在しないが、場が日本の所為か、講演や会話は速度がユックリと丁寧な感じを受けた。

 今回は、同じテーブルの方から先に名刺を出されて挨拶を受けました。その方はDonald B. Westmore氏で、氏は同ACCJの構成役員のトップの会頭、会長、副会長7名、に次ぐ高位の方で、財務専務理事の方です。同ACCJは更に役員は特別顧問の理事と特別顧問19名を擁した組織です。

 当日のメインスピカーはNWAのCEOのRichard H. Andersonでした。

 司会者からの氏の業績や経歴を紹介後に講演が開始された。

 氏は、同社の四年程前に法務担当のViceから最高経営責任者に就任し、September11,2001による全世界的な航空機産業界を襲った不況を識見と先見性で見事に克服し、その卓越した手腕は、航空産業業界では高い評価を受けて、世界的にもACCJの前述の講演者に勝るとも劣らぬ着実な業績を挙げている。
氏の講演は、世界的な視野からの航空産業の動向や多様化する顧客ニーズへの対応策などの基本方針を安全と定時運行で米国運輸省からの年間表彰を獲得している実績に裏打ちされたものを聴衆に解り易く、場が日本であるところからJALの草創期でのNWの支援の経緯なども披露され、全世界の航空路を展開するNWAのテクノロジイや冗費削減と適正労賃にも触れられ、現時点では、誰もが興味のある安全面のセキュリテイについては、米国政府の指針に沿っての安全対策を従業員一同とも十分なコミユニケションを図りつつ、完成の域に達しているとも述べられた。

 私は氏に、講演後に米ミネソタの本社に昨年伺ったときは、折角のアポイントメントを当方が、ミネアポリスのホテルからセントポールの本社への道を間違えての到着遅延で、貴重な時間を無駄にしたことを先ず、詫びたところ、
「間違いは誰にでもある。それより素晴らしい教授(家内のこと)制作の木目込み人形をありがとう。」と先に名刺を出されての挨拶には恐縮するやら、同行の家内も再会を喜び、記念撮影に収まった次第です。

 氏のThank you for choosing Northwest. We value your business. の2002の機内誌の言葉が好きです。

 講演からは次の点が感じられ何れもCEO乃至はそれに準ずる面々で

@ 約300名は、熱心に微動だにしない、緊張感溢れる素晴らしい態度で、流石は超一流のCEOの集まりと国際ビジネスの最前線の感触でした。

A 約70%は日本人以外の方で、私の隣はオストリアのDieter Haberl氏で、7年の在日暦を有し、英、仏、独、伊に日本語も大変に流暢でした。私は一層の英会話能力の必要性を感じました。

B 昼食後の講演でも、睡魔に襲われるものは皆無でしたが、それは講演の内容の重要性とそのようなビジネス感覚が、国際競争には必須と感じました。同一テーブルの向かい側の米BoeingのVice PresidentのTimoth E. Strait 氏は、私共に講演開始以前に先に名刺を出されて、それも日本文字の両面刷りのものです。今後は両面刷りが常識となるでしょうし、私の(株)JACCSの両面刷りを渡したら、わが社を知っていると両面を見比べているのが印象的でした。出社したら、この状況を上司の川崎常務へ報告する。

C 左斜めの席に位置し熱心に聞き入っていたのは、エーシーニリセン・コーポレーションの代表取締役社長Lennart  Bengtsson氏で、矢張り両面刷りの名刺にURLとHPにPhone やFaxの記載の名刺でした。名刺は両面が当然で、その他にURLとHPにPhone Faxは不可欠条件と感じました。

D 聴衆の外国人は、講演の内容には決して頷かないし、よく日本人に見られる半眼を閉じた聞き方も無かった。これは後刻、質疑の際に、あの時は頷いたではないかと言われぬためのディベイト的作法かとも考えさせられた。目を見て聞いているよそ見をしない聞く態度は、グローウバルスタンダードとお見受けしました。

E 質疑の段階で、ホテル側が質問者にマイクを渡す時期がやや遅れた時に、NWAのCEOのRichard H. Andersonは素早くメモをしたら、間髪を入れずに、NW日本統括目代社長はそのメモを直ぐにホテル関係者に伝えたこと、しばしばこのような会場で、質問者の発言がマイク手配不備で、頓挫することの幣を見事な連携プレーで見事に即応した好事例と受け止めた。

 私も日本大学の大学院修了生としてMAを記載した名刺を持つからには、当然、そして(株)JACCSの名刺を、更には前々職時代の警察に身を置いて署長や機動警察隊長などの職歴があれば、一層この日のトップクラスの方々の起居動作には、とても学ばされる点があった。今後は一層の鑽仰の姿勢を堅持させられる貴重な「ACCJ昼食会」でした。

 私以外の多くの院生の方々もこのような機会に多く接していらっしゃると思いますので、とうか、その御経験の機会の様子や参考となる教訓をお聞かせ下さい。

 以上は、元気なCEOの面々から学ばされた誠実さとビジネスマナーです。

5 文末脚注に換えて

 先日の公開講座の後のミーティングで、「アナバ便り」の冊子を近藤先生から、家内と娘宛に贈られました。それぞれに届けたこととWe上のものは、印刷配布が先生のような玉稿においても、存在し、未だ、ペーパーレスと言われても「印刷物」が安心感と読応えを感じたのは、私の時代錯誤でしょうか、との疑問と問題提起を私に渡されたので、私の分は無かったのだと感取しました。

 最後に大勢の電マの愛読者、拙稿に投稿の都度激励と励ましを賜りました内外の友人の方々、そして、当初は近藤先生、現在は佐々木先生をはじめ、橋本さんを中心とした編集スタッフの皆様方の支えと励ましが、投稿を継続出来たことと信じており、それらの方々に御礼を申上げ、筆ならぬキーボード打鍵の手を休めることとし、我が指と眼と頭脳への謝意表明をし、自分への勲章の授与とします。

 どうか 今後もご指導とご叱正を賜らんことを切望致します。

 PS
 To:Eunice S.TANAKA
 (Chief of secretary to the Police of Honolulu Police Department HI US) I appreciate for your thougtfulness action to my a piece of travel which appeared  in a e-magazin. TANX TTFN Bet back to me ASAP

 

 

   
  

  鉄道踏切はバーは、ご覧のように片側のみ止
  まるも通過も自己責任の法制と習慣。

 

 

 

 

 

                  

                  車両連結部分のドアーはつま先で蹴ると開く。
                  発想の転換と乗客が両手荷物時も便利であり、
                  将にコンビニエでし
た。

 

 

 

 

 

 

 

 

    

    力強くロッキー山脈を疾走するカリフォルニアの微風号。

 

 

 

 

 

 

 

 

二階建個室寝台列車の1階出入り口付近16編成の最後尾、その後に連結(写真右下)の特別貸切個人旅行車両(First Class)

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

特別貸切個人旅行車両$10万単位の貸切車専用の乗務員・コック・ボーイ付き豪華な応接室でグラントピアノもあり、大統領全国遊説用であった。得難い記念撮影。