4研究会共催『ノモンハン報告会』の模様 

 
 

         

                                                   国際情報専攻 2期生 ・ 修了 情野瑞穂

   
 

 2004年3月28日、安全保障研究会、時事問題を語る会、中国事情研究会、歴史研究会の4団体による『ノモンハン報告会』が、水道橋にある日本大学経済学部校舎の一教室にて行なわれました。これは郡山で行なわれたものの第2弾として東京に場所を移したものです。

国際情報2期生の星亮一氏と3期生の高木裕之氏は、ノモンハン、ハイラルへ行かれて、視察、聴き取り調査をされました。そして昨年12月に、そのときの報告や、日本に戻ってから収めたノモンハン事件に関わった日本人へのインタビュービデオなどが、郡山を中心とした一般市民に公開されました。両氏は、前述の4つの研究会に複数所属するメイン・メンバーですが、これを聴講しに行った別のメンバーが非常に面白かった、是非東京でも場を設け参加できなかったほかのメンバーやGSSC関係者に聴講してもらいたい、と考え、その一声から実際に形となりました。

まず、中国事情研究会会長の山本忠士氏(博士課程1期生)のご挨拶から始まり、

1.星亮一氏『ノモンハン事件の真相』

2.高木裕之氏『ハイラル要塞の研究』

3.長谷川昌昭氏(時事問題を語る会会長)『体感治安感覚の向上に一市民として』

と、3つの発表を、そして最後には、ご参加いただいた国際情報の荘光茂樹教授より総評をいただき、予定時間を超えて3時間ほどの充実した内容となりました。

発表前には、安全保障研究会会長の石大三郎氏により、ノモンハン事件の資料が全員に配布されました。そのため、この事件自体についての一般向けの書物や情報が多くない中で予備知識をもたないでおいでいただいた一般参加の方々にも、とても分かりやすいものになったかと思います。石氏も以前ノモンハンについて研究されていて、資料にはご自身の考察も含まれ、それだけでも1つの発表に値するものとなっていました。

 

1.            星亮一氏『ノモンハン事件の真相』

圧倒的な軍力の差がありながら、日本はなぜこの満豪国境紛争に手をつけてしまったのか。太平洋戦争への入り口となる重要な出来事であったにも関わらず、資料や研究が比較的少ないこの事件そのものについて考えたい、そのためにはまずノモンハンに行こう。そこから今回のフィールド・ワークが始まったそうです。そして日本に帰ってからは、この渡航を知った旧日本兵のある方が星氏に連絡をしてきてくださったそうです。最初は当時の非常に辛い体験を口にすることにご承知くださいませんでしたが、星氏の熱心なお願いに、ついにはインタビューに成功しました。

報告会当日は、星氏の発表とそのときのビデオ放映がおおよそ半々、といった内容でした。重火器主体のソ連軍に対して、火炎瓶などといったまるで歯が立たない戦力の日本軍。両軍の兵力や手法、結果が生々しく伝わってきました。関東軍についてはまったくといっていいほど資料がないとのこと。しかし関東軍にはソ連やモンゴルの人々の部隊もありましたから、「彼らはこの紛争に際してソ連軍や豪軍と戦わねばならなかったのだろうか」、発表を聞きながら、私はそんなことを考えていました。決死の体当たりでソ連軍に対抗した日本人兵はもちろんのことですが、戦争を知らないながらも辛い気もちになりました。

当地へは中国満州里からとモンゴル側からとの入り方があり、モンゴルから行くと今でも当時の残骸をそこここに見るそうです。

 

2.            高木裕之氏『ハイラル要塞の研究』

 高木氏は星氏のフィールド・ワークに同行されました。星氏が歴史的な視点からこの事件を研究されているのに対し、高木氏は紛争そのものの様態を研究されているようです。ハイラルはノモンハンから更に北約200キロ、ロシアとの国境線まで約100キロ、というところにある、小高い丘に囲まれた中国東北部の主要都市の1つです。その地理的条件から、日本軍最大級の要塞をもっていました。

 ハイラル要塞はハイラル市を囲むようにして、5つの丘に建設されました。ソ連軍南下の動きに対応したものです。しかし、ソ連軍への防衛のみならず、ソ連への侵攻作戦においても重要な位置にあったとのことです。満州といえば、ハルビンの731部隊が有名ですが、ここハイラル近郊にも細菌化学兵器の開発研究施設、工場があったようです。1945年8月9日のソ連軍の攻撃により、この要塞は陥落しました。草原の中、今でもトーチカの跡などが見られるそうです。

 

3.長谷川昌昭氏『体感治安感覚の向上に一市民として』

 星氏、高木氏の発表を受けて、では現代の日本人1人1人のレベルで治安というものを考えたら・・・、長谷川氏の発表にはそうしたお考えが含まれていたかと感じます。『「草の根外交」による具体的貢献例等』という副題が付され、日常的な実体験や警察関係での職務経験を基にした生きた発表でした。

 ノモンハン、そしてハイラルについての活発な質疑応答の後、休憩を挟んで長谷川氏に発表いただきましたが、時間が乏しくなってきたため、駆け足状態にて非常に密度濃くお話をいただきました。内容は大きく3つから構成されていたかと思います。現下の社会情勢における体感治安、東京東村山市とニューヨーク警察との関連経緯、公人・私人として可能な草の根外交について、です。現在を生きる一市民として、一日本人として、何を考えられるか、何ができるか、自分なりのものをもちましょう、そう呼びかけられたような気がします。

今、我が大学院を母体とした研究会や学会は10を数えます。その活動開始当初は、いずれもが個別的なものであったでしょう。しかし今回のような合同での活動は各団体での特化された研究分野の交換が容易にできるため、非常に意義があり、また本当に楽しいものだと感じました。同じ材料を違った作り方で料理しいただく。そんな“おいしい”体験を今回させていただきました。当日は絶好の花見日和でした。恐らくは、近くの靖国神社や千鳥が淵には大勢の人で賑わっていたことと思います。そうした中で、各研究会のメンバーのみならず、一般の方からもまた遠方から駆けつけてくださった方もいらっしゃいました。この場をお借りし、改めてお礼を申し上げます。今後もこの輪を一層拡大させていきたいと考えております。           

              報告会幹事 情野瑞穂(歴史研究会会長)