キャリアにおける中高年問題という問題を考える

 

                             人間科学専攻 2期生・修了 笹沼 正典
                    
現在、シニアSOHOメタキャリア・ラボ代表

    

   


 
我国の企業組織における中高年社員のキャリア開発という問題を考えるとき、筆者にはそれは、決して一過性の対応だけではなく、時代を超え、各世代やどの雇用形態にも共通するという意味で普遍的な取り組み姿勢が重要である、との思いがあります。

 さらに言えば、この問題の普遍性に対する思いは、《組織における個人のキャリアとは何か》、《組織と個人の新たな関係をどのように築くか》、《キャリア開発の経営的責任とは何か》、《組織において個人は如何にして真に自立した主体となることができるのか》、といった経営・人事パラダイムの根幹に関わる問題の追究が重要ではないか、との思いに到ります。それだけに、中高年キャリアの問題は、複雑で根底的な対応が求められるわけです。

 ところが今、一般的には、“中高年キャリアの問題”について上記のような捉え方をする場合は少ないように見受けられます。一つの理由は、“中高年キャリアの問題”に対する問題意識が、雇用レベルの臨床的な対応に終始しているからではないでしょうか。

 そこで筆者は、“中高年キャリアの問題”の捉え方について、改めて考えてみる必要を痛感し、問題の捉え方の枠組みを以下に素描してみることといたします。

 先ず、いわゆるバブル経済崩壊後の一過性の枠組みがあります。この捉え方で議論の対象とする世代は、安保世代から団塊世代までに特定されます。概ね現在55歳から65歳の年代です。この世代は、年功序列と終身雇用という雇用慣行の下で、結局、人件費の高額化、業務の低生産性、ポスト不足といった経営上の困難を招来しました。この困難への経営的な対応策は、当然にも短期的で臨床的な処置にならざるを得ず、我々は急激な雇用状況の悪化と社会的病理現象の発症を見ることになります。いわゆるリストラおよび企業倒産に伴う解雇者・離転職者の急増を齎し、その結果、最も顕著な現象としては中高年者の失業率の悪化および自殺者の増加を来すことになります。こうした問題の枠組みは、“中高年キャリアの問題”の表層部分ですが、企業経営者に最も説得力があるがゆえに、企業社会に一般的な捉え方となっていると言えましょう。なお、国の政策サイドは、必ずしもこの枠組みに留まってはいないことを指摘しておきます。

 次に、上記の枠組みの下層に、戦後日本の復興期的特性としての会社人間モデル(田尾雅夫)と企業内部における家父長的秩序(河合隼雄)という問題の捉え方が仮説されると考えます。ここでは、@社員は組織に過剰に同調し、過剰に貢献します。しかし、社員は自らはそのことに気が付かず、異議の申し立てもしません。A社員は、組織への過剰なのめり込みのために、自らの健常な自我概念を維持できなくなっています。Bこのような特性をもつ会社人間化は、組織に帰属することの本質と組織的な社会化によって、社員の誰もがごく自然なこととして受け容れています。Cさらに、戦後の企業組織には、戦前における家父長的秩序が代置されており、個人の自立的成長よりも家父長である企業の権威と一家の和が尊重されます。Dその結果、働くことの意味は専ら組織から与えられているのに、恰も自らの意志によって働くことの意味を獲得したかのように錯覚することになります。筆者は、この会社人間モデルと家父長的企業内秩序こそが、戦後経済の成功神話を支えた心理的基盤であったと考えます。別な言い方をすれば、ここでは社員を“生き方と働き方における無意識の苦悩者”として捉えるのであり、中高年キャリア問題の第ニ層になります。

 三つ目に、同じ企業社会を支える心理的基盤の問題をさらに掘り下げれば、戦後日本という枠組みを超えて、資本主義経済のもとでの近現代人の心理的基盤の問題に突き当たると仮説することができます。さしあたり、E.H.フロムが指摘した資本制企業経済下での人間の“社会的性格“がそれに当ると考えられます。フロムによれば、資本制下の社会的性格は、「権威主義的性格」と「自動人形(あるいは機械的画一性)」の二つによって定義されます。それぞれの特性の中身を見ると、前者では、「より穏やかな依存」、「内的および匿名の権威への服従」、「(組織の権威との)共棲的複合体の形成」が、後者では、「自己の喪失」、「危険な(自立への)幻想」、「偽の行為による(本当の気持ちの)抑圧と代置」、と説明されています。筆者は、この捉え方が中高年キャリア問題の第三層をなすものであると考えます。

 四つ目に、中高年キャリア問題を、日本人の「自我の不確実性」(南 博)との関連において捉える方法があると考えます。民族的パースペクテイブで捉える視点です。ここは指摘だけにとどめますが、これが問題の第四層を形成しています。

 最後に、発達論的な枠組みを提議いたします。ここには、ご承知の通り、多くの優れた先行研究があり、中高年キャリア問題に対する豊かな視座を与えてくれます。例えば、D.レビンソンのライフサイクル論では、中年期における発達課題として、若さと老い、破壊と創造、男らしさと女らしさ、愛着と分離、という4つの両極性の統合を論じています。E.H.エリクソンの個体発達分化の図式では、世代性と自己陶酔(中年期)および統合性と絶望(老年期)という発達課題と危機を指摘しました。D.E.スーパーはキャリアステージ論において、中高年の課題はキャリア維持にあり、自己実現あるいは欲求阻止の段階に到るとしました。E.H.シャインのキャリア・サイクル・モデルでは、組織内における後期キャリアの課題を、メンター役割と影響力低下の受容、新たな満足源の発見と配偶者との関係の再構築、キャリア全体の評価としました。岡本祐子の中年期のアイデンテイテイ再体制化モデルでは、危機の体験・自分の再吟味と再方向付けへの模索・軌道修正と転換・生き方への積極的関与によるアイデンテイテイの再確立、という発達的テーマが論じられています。これらは、いわば近代人とし ての心理的発達モデルとの関連で中高年キャリア問題を追究する枠組みを提供してくれるものであり、問題の第五層をなしていると考えます。

 中高年キャリアの問題は、このように幾層もの縦に深い重層性を持ち、それゆえに時代や世代を超えた、経営・人事パラダイムの根幹に関わる普遍性を特性とするテーマであると仮説することができます。筆者は、この問題の第一層から第五層までを縦に貫くべき対応策として、“中高年社員の内的キャリアの自立的な創造と開発”という課題を、単に個人任せにせず、国も企業も社会も積極的に関わり、支援するというパラダイムを確立すべきではないかと考えます。そうした対応によって、中高年者の最大の特性である内的キャリアの累積した厚みを、無形の人的資源として多面的に活用することができるのではないか、と提言いたします。(完)