「人間」を育てる教育とは

 

                                                                国際情報専攻 5期生 真藤正俊

 
   

 

「世界に通用する一流の人材を育てるにはどうしたら良いか?」こうした質問は教育者や各分野の指導者を悩ませるかもしれない。しかしながら、この難問に対する答えの一つを紹介しよう。

 一流高校から、一流大学を出て、一流会社に入って周囲からちやほやされて研究費もふんだんに使って研究しても、世界的な一流の結果が出せるとは限らない。

 成功体験ばかりしていると、1パーセントの成功の可能性に挑戦するといった強靭(きょうじん)な精神力が育たないのだ。マイナスをプラスにドラスティックに転換していくには、失敗を恐れない強靭な精神力がどうしても必要なのである。(注[1]
                                                                  
                                                                                                          中村修二

 中村修二(注[2])は青色発行ダイオード(LED)の発明で世界的に有名になった人物である。その中村は、「常識」と言われる方法を自らの研究に取り入れなかった。その理由は誰もがやっていることを、自分が人真似をしても同じ結果にたどり着くことを知っていたからだ。彼はリスクを恐れずに直感を頼りにして、20世紀中は不可能と言われた青色発行ダイオードを完成させたのだ。

 作家である池波正太郎は自身の著作『鬼平犯科帳』で、主人公の鬼平が「勘ばたらき」を頼りに活躍をしている様子を書いたそうであるが、中村は勘こそが、発明には大切であると信じている。(注[3]

 とはいうものの管理型社会では勘を頼りに仕事や勉強をやることは「非常識」と信じられている。当然である。勘の働かせ方など学校教育で教えようがないからである。中村は99パーセントのリスクがあっても1パーセントの成功率があれば、自身の勘を頼りに研究をすべきだと主張する。

 人は社会の中で行動する時、「リスクの大きさ」について考える。大金持ちや頭の良い人であれば、リスクを避けたいのはなおさらである。失敗などするわけにはいかない。しかし、発明の目的の一つは「人間を幸福にすること」である。リスクを恐れては、幸福は実現できないのではないか。われわれも同じである。リスクを恐れてばかりいられない。現代の競争社会で生きること自体が、人間にとって大きなリスクであるからだ。

 さて、大きなリスクを恐れずに行動する人材を育てるには一流の教育が必要だ。恐らく並みの情熱を持った教師では成功する人材を育てることはできないだろう。謙虚で大きな情熱的を持つ教師の存在が不可欠となる。教育において最も大切なのは校舎や図書館などの設備ではなく、教育者の存在である。その教育についてのエピソードだが、経営学の泰斗ピーター・ドラッカー(注[4])は195013日に自分の父のアドルフと共に、高名な経済学者であるジョセフ・シュンペーター(注[5])に会いにいった時のことである。シュンペーターが語った真の教育については今でも忘れることが出来ないとドラッカーはいう。

 アドルフは去年の12月の終わりに75歳になったばかり、盟友のシュンペーターは当時66歳、ハーバード大学で教鞭を執る傍(かたわ)ら、アメリカ経済学会会長として活動をしていた。父アドルフとシュンペーターは思い出話をしながら楽しい時間を過ごしていた。そんなアドルフは突然驚くような質問をした。「ジョセフ、自分が何によって知られたいか、今でも考えることがあるかね」、と。いたずらっぽい微笑を絶やさないままのアドルフは親友がどんな返事がするか内心興味があった。

 若い時のシュンペーターは「ヨーロッパ一の美人を愛人にし、ヨーロッパ一の馬術家として、そしておそらくは、世界一の経済学者として知られたい」と言って有名になった。アドルフの質問に大笑いをしたシュンペーターはこう答えた。

 「その質問は今でも、私には大切だ。でも、むかしとは考えが変わった。今は一人でも多く優秀な学生を一流の経済学者に育てた教師として知られたいと思っている」と。そして間髪いれずにシュンペーターはこう答える。「アドルフ、私も本や理論で名を残すだけでは満足できない歳になった。人を変えることができなかったら、何も変えたことにはならないから」。その瞬間アドルフとピーター・ドラッカーは自分の胸を光の矢で射抜かれたような感じを覚えた。(注[6])真の教育とは自分の出合った人に希望を与え、変えていくことなのだと知った。

 この「人が人に会う。そして自分も相手も変えていく」という人間の哲学、すなわち魂の触発こそが教育に最も重要であるというのだ。これがドラッカーの経営哲学に大きな影響を与えた。ドラッカーは、この体験から人間の成長に必要な三つの方程式を導き出したのである。第一に人間は、どのような行動をして世の中の人々に知られたいかと自問すること。つまり何のために行動するか。何をしたことによって人々に覚えられたいか。第二にその問いの答えが歳をとるにつれて変わることが大事だという。これは原点に戻ることは大切だが、成長した自分が常にいなければいけないということであろう。第三に本当に知られるに値することは、世界中の人々から信頼を勝ち取るということは、目の前の「一人」をどこまでも励まし、見守り、信じることにより、出合った人を素晴らしい人間に変えていくことが大切であるとする。これをやるには勇気が必要である。失敗を恐れてはならない。(注[7]

 一流の人材、成功する人材を教育によって成長させるならば、一人の人間が多くの人に出会うという魂の触発なくしては実現できないのではないか。失敗やリスクに負けない人材を育てるには、しっかりした哲学を持った教師が必要ではないだろうか。一流の教師とは自分が生きているあいだに出来るだけ多くの人々に自分から会いに行く「行動の人」でなくてはならない。そうでなくては真の教育者ではない。

 今の社会に「真の教育者」はどれくらいいるのだろうか。21世紀という時代はいま、「真の教育者」「本当の哲学を持った教育者」を心から待ち望んでいる。真の教育者とは、教室の中にいるだけの教育者ではなく、世界中の全ての人々から求められる人格を持つ教育者のことをいうのかもしれない。真の教育者は教育者である前に、第一に人間であることが大切である。


 

[1] 中村修二『考える力、やりぬく力、私の方法』三笠書房、2001年、181頁。

[2] 中村修二(1954〜) カルフォルニア大学サンタバーバラ校教授、工学博士。93年に20世紀中には不可能と言われた高輝度青色発行ダイオード(LED)の開発に成功。その後も数々の業績をあげる。仁科記念賞、大河内記念賞、朝日賞をはじめ、国内外の名誉ある科学賞を多数受賞する。「ノーベル賞に一番近い人」と評価される。

[3] 同上、194頁。中村によれば、「勘」には二種類あるという。一つはニュートンやアインシュタインなどの天才が、自身の研究の過程で「自らのひらめき」を信じられる「天才的な勘」である。もう一つは漆職人などが毎日の作業の中で、熟練していくうちに自分の腕が芸術的な作品を実現できると自然にわかる「職人的な勘」の二種類がある。

[4] ピーター・ドラッカー(1909〜) 米国クレアモント大学大学院大学教授。経営学の泰斗。著書に『断絶の時代』『明日を支配するもの』『ネクストソサエティ』がある。

[5] ジョセフ・シュンペーター(18831950) オーストリアの経済学者。20世紀を代表する経済学者として知られるジョン・メイナード・ケインズと比肩されるほど。今日で使われる「創造的破壊(イノベーション)」の言葉の生み親。「イノベーションは経済発展の源泉である」という有名な言葉を残した。

[6] ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか―』上田敦生訳、ダイヤモンド社、2000年。107頁。

[7] ピーター・ドラッカー『プロフェッショナルの条件―いかに成果をあげ、成長するか―』上田敦生訳、ダイヤモンド社、2000年。107頁〜108頁。