国際情報専攻  菊池 通夫

 

     「修論はあなたの自己表現の場です。遠慮はいりません。」

   

 

「若い時の苦労は買ってでもしなさい。」という言葉があります。この大学院での2年間は、当初考えていた以上に厳しいものを自分に与えてくれました。しかし苦労から得たものは想像以上に大きく、そして貴重なものです。真剣に考え、悩んだことは、本人が気付かないうちに新たな可能性を生み出し、貴重な財産を与えてくれます。これは決して若いわけではない30代後半の私が大学院で得た最大の教訓です。今は、迷いや疑問の中にこそ進歩の意味があるのだと確信しています。

 皆さんも多くの方が、職場では責任あるポストに就いて忙しい仕事を抱え、家に帰れば愛すべき家族がいることでしょう。そうではなくてもきっと多くの大事なことを抱えて生きていらっしゃると思います。でも、そこにあえて大学院で研究するというひとつの試練を選択されました。その決断を最後まで尊重し、誇りに思ってください。まずそれが修士論文完成への出発点になります。簡単なことではないかもしれませんが、決して不可能なことではありません。

 

入学の動機

 決して安くはない授業料を納めるわけですからそれなりの入学動機は必要です。私の場合、大学院で学びたいと考えたのはおそらく2つ理由があったからではないかと考えています。今となっては3年以上も前のことになりますので、正確に思い出すことは多少の困難を伴いますが。それでもやはり研究に行き詰まった時は、初心を思い出すことが効果的です。

その理由のひとつは、会社での人事異動により、かなり忙しかった部署から多少時間に余裕のある部署に移ったことにあります。時間的余裕ができると日々の生活が手持ち無沙汰になってくるものです。当然余計なことも考えます。自分を見つめ直したりもします。元来それほど趣味を持たない私は、これまでやり残してきたことをもう一度やってみようと考えるようになりました。大学時代に中途半端に学んでいたことをここで再び真剣に取り組もうと本気で思うようになったのでしょう。それと同時に、現在自分が身を置いているビジネスの世界を学術的見地から探ってみたいとも考えるようにもなりました。これは自分にとって素朴で純粋な探究心であったと思います。

もうひとつの理由は年齢に関係しています。30代も前半を終え、後半に突入しようとしていた私は、ふと「40歳は人生の分岐点である。」 という言葉が頭をよぎりました。何かの本で村上春樹が語っていた言葉だったと思います。人間には、あるひとつの分岐点を超えるまでに必ずやっておかなければならないことがあり、そのポイントを超えてしまうと決して後戻りしてもう一度やり直すというわけにはいかないという内容のものでした。ちょうどその頃、自分も今やらなければならないものが確かにあると感じていました。それで私がみつけた答えが大学院で経営学を学ぶということであったわけです。村上春樹の場合は「ノルウエーの森」の執筆でした。しかしその2つには非常に大きな違いが存在していますが。

 

修士論文を書くということ

 修士論文を完成させるために必要なことはただひとつです。それほど難しいことではありません。自分自身が修論のテーマとして選定した課題が抱えている真の問題点を明確にすることです。これをごく単純な言葉で表現できればそれに越したことはありません。ある業界の研究をしていた私が探し当てたのは「高コスト体質の改善」という言葉でした。これがみつかれば、ほぼ間違いなく修士論文を書きあげることができます。私の場合、最初の一年は選択科目の提出以外はこの作業に費やしました。問題意識を常に持っていれば必ず手に入るものです。

そのためにはまず、研究テーマに関する本を数多く探し、読み込むことです。何も一冊一冊すべてを最初のページから最後ページまでを読む必要はありません。自分が気を引いたところだけを拾い読みしていくだけでよいのです。また専門誌や雑誌類にも目を通しましたし、新聞の切抜きを集めファイリングもしました。そこで気付いたことを自分なりに書き留めていきます。文章の形態にはとらわれずどんどん書いていきます。書くことにより自分の頭が整理され、問題点が明確になっていくことがわかります。読むことと書くことを時間の許す限り行ってください。その書いたものをストックしていってください。この積み重ねが重要になっていきます。そしてある程度できてきたならば、次にこれを他人に伝えるためには(あるいは説明するためには)どの道具をどのような方法で使っていくことが効果的であるのかを考えてください。2年の初めまでにこの段階までくれば、かなり順調であるといえます。

 あとは担当教授の指導をこまめに受けることが肝心です。今思えば、私の場合そのことが少なかった様に感じます。自分自身で考えすぎる傾向があったような気がします。無駄な回り道をしないためにも、時には勇気をもって、またある時は恥を忍んで指導教授にぶつかっていくことです。遠慮をすることはありません。なぜならここは学校であり、あなたは学生だからです。JRの学生割引をも使える立場にあるのです。ここはひとつ置かれた状況を楽しみましょう。かつての若かりし頃を思い出しながら。

 

マスターを取得するということ

 この2年間は間違いなくあっという間に過ぎていきます。でもどんなに調子が悪くても立ち止まらないことが大切です。気分がのらなければパソコンの電源をいれて大学院のホームぺージを立ち上げるだけでもよいと思います。マスターの資格を取るということは実に体力をつかいます。時として知力よりも体力が欲しいと思うはずです。またスポーツと同じでいつも好調を維持するほうが困難です。あのイチローですらシーズン中にスランプがあります。わたしの場合、長いスランプのなかに多少調子のよい時期が見え隠れするという表現の方が適当であったといえるでしょう。時には気軽に取り組むということも必要です。中国のことわざに「人生一炊の夢のごとし」というものがあります。わたしの座右の銘であるこの言葉は、平穏な心持ちを与えてくれるのと同時に研究意欲を高めてくれたりもします。

 

以上とりとめもないことを書いてきたのでとても皆さんの参考になったとは思えませんが、最後に確実に言えることは修士論文正本提出のあとには心地よい疲労感と開放感が待っているということです。それを糧にそれぞれの研究に邁進してください。そしてわたしには3歳になるかわいい息子と存分に遊べるという至福の時間がそこにはありました。

皆さんのご健闘をお祈りします。

以上