国際情報専攻  江口展之

    「蹴られる(?)背中」―論文・レポート奮闘記−

       

   

海外出張14回、国内出張(除く日帰り)48回。 海外出張内訳、中国(含む香港)9回、合衆国2回、欧州1回、中東2回。 海外出張1回あたりの平均日数10日。 国内出張1回あたりの平均日数1.5日。 ∴ 延べ出張日数計212日。 

正味110ヶ月(=2002年4月の入学以降、2004年1月の論文提出まで)の間に、これだけの出張がありました。 

この数字をみられると、恐らく、誰もが「忙しかったんですね〜。よくレポートや論文を書けましたね〜。」と言ってくださることと思います。

たしかに忙しい日々でしたが、逆に忙しいからこそ、なんとか卒業(=学位取得)までこぎつけられたと思います。なにせ、本来はなまけもの、切羽つまらない限り執筆に入らないという性癖(=悪癖?)は、「夏休みの友」を毎年830/31日の2日間で 片付けていた小学生の頃からのもので、おそらく時間がたっぷりあったら、却って書き上げられなかったことでしょう。

 とはいえ、これでは、奮闘記にならないので、以下、実際には、どのような思考法あるいは手順のもとで、この1年10ヶ月の間を過ごし、論文完成まで漕ぎつけたかを順不同で記してみたいと思います。

   中間発表のおり、「合格しないことには話しにならないが、結構忙しく仕事の日程が押してくるので、とにかく合格点をとれる最低ラインのものを書き上げることを目指します」と公言し、(おそらく、諸先生には不評!?)これにより、「とにかく書き上げる。中身の評価は審査の諸先生に預ける。 不合格ならしょうがない。」と自らに暗示をかけ、退路を断った。“より良いものを”などと考え始めたら、“時間がたりない!→締め切り延ばそう”などと安易に流れかねないことを経験則上、自覚していたからである。

  海外出張に際しては、目一杯の論文作成用参考文献をトランクに詰めて出かけた。とにかく手元にない本は読めない! (おかげで、融通のきかない航空会社に は、再三手荷物超過料金をとられた。) もちろん、持っていった文献をすべて読破することなどは、ハナから放棄。 「書籍類は隅から隅まで読む必要はない。必要なところだけ読めばいい。」との近藤先生の教え(?)を墨守し、出張中に費やす必要のない通勤時間相当の1日2時間をまず強制読書時間として、ななめ読み、飛ばし読みにあてた。 もちろん、その他の時間も気分次第で読書にあてた。このその他の時間を確保する ためには、海外出張中の現地での夕食のご招待は社内に関しては滞在中1回のみに限定することとし実行した。(「江口さんは手間がかからない」と駐在員には好評だった模様。)

  国内出張に際しては、各科目のレポート作成のための参考文献を数冊、常時携行。ただし、これもななめ読み、飛ばし読みで、ともかく大づかみに内容を把握することに専念した。(大づかみでも、何冊かに目を通すと、それなりに論点は浮かび上がるものです。)

  専門科目は、いずれの年次にあっても、まず 一番興味を引かれた5科目目一杯を登録。教科書が届いたところで、目次を熟視。 結果、興味が失せた、ないし軽々には手に負えないと自覚した科目については早々にGive Upし、Give Upを即断しかねた科目については、優先順位を設定した。これは、時間が足りなくなったときには、どの順番でGive Upするかということを予め決めておくという、ある意味、リスク・マネージメントの手法の応用である。 結果として一年次は4科目16単位を確保出来た。また、二年次においても同様に、5科目目一杯を登録。結果は2科目をGive Upし、3科目についてレポートを提出した。卒業に必要な科目数は6科目24単位+修士論文6単位の30単位なので、評点はともかくとして、この方法で卒業単位を確保。正確には“確保したはず”である。本稿執筆の現時点においては、レポートの評点は未知である。)

  気をつけていたことは、論文にせよ、レポートにせよ、とにかく思いついたことは、すぐにメモ。(メモらないと、すぐに忘却のかなた!のリスク有り)。メモったことは、数日以内に必ずPC上の「メモ」に打ち直す。(Outlook利用:これは、あとになると量が貯まって整理がつかなくなることもあるが、それよりも生来の悪筆で、時間がたつと、自分で書いていても何をメモったか判読不能になるのです。)

  この作成したメモ・ファイル(Outlookファイル)は必ず、PCoff時にInternet DiskにUpすると共に、CD−RWに も書き込み(含む上書き)、万一のデータ破損に備えた。(これは、先輩諸兄のアドバイスによるものである。) また、海外出張時には大学から貸与されたPCと会社支給のPCの2台を常時携行し、毎晩、会社支給のPCをバックアップ用と位置づけて、Internet Diskの代用とした。(一度だけだが、ファイル破損が上海滞在時に発生した時に実際に役にたった。)

  論文作成にあたっては、前記のとおりメモしていたものを、まずは適当にファイル結合、あるいはコピー機能を多用して、パッチワーク的な論文を一旦作成し、様々な要素(文体、詳細度etc.)で、そのパッチワーク的論文を統一感ないし一気通貫度を基準に整理・推敲するという手法をとりながら、初稿、二稿….最終稿という流れで完成にこぎつけた。このため、入学時の半ば大風呂敷的論文内容予定は、題目提出、中間発表のたびにスリム化し(一応、これらのイベントを自ら仮締め切りと設定して作業していたため )、従い、予定題目も同一レールの線上にはあるものの、二転三転し、結局、最終稿を書き上げたのちに、内容に沿って、題名を再考・訂正することでつじつまを合わせた。

  幸いだったのは私が研究しようと思い立った分野(「法務」と「広報」の協働関係)に関して、もろに該当する先行文献らしい文献がなかったという点である。(それぞれの分野で思索に役立つ文献はないこともなかったが、引用対象となるような文献は見当たらなかった。) すなわち、先行文献がない=引用する先行研究がない=引用文献リストアップないし抜書き作業の省略が出来る、という、本来であれば、多大な時間を費やすであろう作業時間が生じなかったことも、なんとか論文執筆が間に合った大きな要素であることは否めない。(もっとも、先行研究がなかったので、自分で考えてみるしかないか、と思ったのが大学院入学の動機であるが。 )

  以上、これが論文奮闘記と言えるかどうか、われながら疑問であるが、ともあれ、最終提出日の前日に中東より帰国し、最終提出日の午前中にプリントアウトをするなどという、相変わらずの綱渡りを経て、なんとか提出した、というのが実態である。幸いにして、面接審査も合格させて頂き、今は、当初の大構想から、量的に3分の1位になってしまったこの論文をスタートに、これからもこの分野を研究していくことを考えている。(その意味もあって、最終提出日に論文題目を変更し、最後に「序論」という語を付け加えた。 一応、自分に宿題を出したつもりである。)

                                                        以上

あとがき: 偶々、娘がこの原稿を見ていわく、「これ、少し格好良過ぎ。殆どフィクションじゃないの。背中蹴りたいわ, (by 綿矢りさ?) まったく この2年間を象徴するがごとく、最後の最後でこの奮闘記の題名もまた変更を余儀なくされました。(苦笑)」