人間科学専攻 守重信郎

 

        浮き草のごとく

 

   


 この2月、私なりになんとか修論をまとめ、未熟ながらも提出することができました。しかし今この2年間を振り返ってみると、テーマの出戻り、論文構成の組み直し、締め切り直前の調査の開始など、まさに紆余曲折の連続でした。あたかも浮き草のごとくふらふらと漂った2年間と言えるかも知れません。指導教官の北野先生のご指導が無ければ、とても提出はできなかったことと思います。私の修士論文奮戦記はそのような意味で、一種の反省記として読んで頂ければ幸いです。

 

「テーマの出戻り」

最初の一年間は履修教科のリポート提出に追われ、修論にはほとんど手をつけることができませんでした。12月のゼミで、北野先生より論文テーマをもっと絞るように指導されました。当初のテーマは、多数の分野にまたがるために論点がはっきりしないものでした。しかしこの時、自分の構想の甘さを反省する余り、思い余って根本的に他のテーマに変えようと考えてしまいました。その結果考えたテーマは、この大学院で学んでいる内容から離れたもので、さらに焦点のぼやけたものになってしまいました。次のゼミで先生より、「テーマを変えるのはかまわないが、今までの学習を生かした方が良い」と指導され、ゼミ仲間からの助言もあり、結局また元の題目に戻り、その論点をさらに絞るように努めました。

 

「論文構成の組み直し」

2年次が始まった頃、ようやく題目が決まりました。しかしいざ内容に取り掛かるとなると、基本的な論文構成の理解が不十分で、何度も目次の組み直しが必要でした。1年次から、論文に不可欠な項目について先生よりゼミごとにご指導を受けてきましたが、それを復習し、繰り返し全体の構成を組み直しました。結局この作業は提出間際まで続きました。今あらためて一回一回のゼミの大切さを痛感します。この時点では、まだやっと全体の構成が見えてきた段階で、内容の執筆は手付かずの状態でした。

 

「初めての国会図書館」

 2年次の5月、これではダメだと思い、先行研究の調査に国立国会図書館に行きました。恥ずかしながら初めての国会図書館でした。なるべく多くコピーをしようと意気込んで来館しましたが、1日の閲覧件数とコピー件数に制約があるのを知らずに、結局何度も足を運ぶ羽目になりました。平日に休みを取って、一日中、国会図書館で費やす日が何度かありましたが、今思えばこの作業から私の修論の作成が始まったようなものです。8月まではこのコピーを読む毎日が続きました。

 

「足で稼げ」

 北野先生のこのお言葉は私の座右の銘です。私は大学博物館に関する研究を行ったのですが、最終提出まであと半年と迫った2年次の8月の合宿で、調査の対象が少なすぎることを指摘されました。「論文は頭を使うか、足で稼ぐかのどちらか」・・・であるなら、私は足で稼ぐしかないなと思いました。それからは休日ごとに、都内の大学博物館を訪れ、調査を始めました。調査といっても博物館見学ですから、楽しいひと時でもありました。時には職員の好意にも触れました。東京海洋大学の資料館では、休館中にもかかわらず丁寧な案内を受け、改めて実際に行動しなければ受けられない経験があると実感しました。東京大学や早稲田大学、明治大学のキャンパスに入るのも初めてで、校地内の学生を見るのも楽しみでした。

 

「最後が大変」

 10月の修論中間発表では、要旨をまとめる難しさを体験し、自分の文章力の無さを痛感させられました。この中間発表で先生方から頂いたアドバイスを元に、論文にいくつかの追加項目を設定し、やっとできたと思ったのが新年開けの頃です。しかしそれからが大変でした。読み直せば直すほど、誤字脱字、意味不明の個所が発見され、何度も書き直しが必要でした。書いている時は良いと思っても、翌日読むと恥ずかしくなるような文章だったということも頻繁でした。やはり早い時期に文章を書き終え、ゆっくりと推敲する時間を確保すべきなのだと実感しました。

 このような経過でも、何とか修論を提出できたのは、なによりも先生のご指導のおかげです。先生には感謝しきれません。また適切なアドバイスをしてくれたゼミの仲間への感謝も忘れられません。今思えば、大変でしたが、有意義で楽しく、人生で何度も味わうことのできない貴重な時間を過ごせたと思います。