人間科学専攻  元木 芳子

 

         会心の友たちを得て

       

   

何故だろう。最初は、それから始まった。日常生活の中でふと感じた疑問。周りを見回してみると、やはり同じようなことをしている人が多い。何故だろう。片端から関連すると思われる書籍を読み漁った。どこにも見つからない。探し方がいけないのだろうか、それとも誰も検証していないのだろうか。それなら、自分で確かめてみようかな。そんなことがきっかけで、日本大学大学院総合社会情報研究科を受験することにした。

そうして始まった修士課程生活。家庭と仕事の両立の上に、さらに研究生活が加わった。ただでさえ時間がない中、心理学の基礎的知識がない私は、レポートを書くための勉強をしながら、自分の研究テーマのための勉強、さらにそれらの土台となる心理学の勉強と、時間がいくらあっても足りない。足りないながらも足掻きながら5つの実験をし、まとめに入るというその最後の大詰めに来たところで大変なことになった。

修論をまとめ始めた12月中旬、母が癌と診断されすぐに入院。できるだけ早く手術が必要とのことで、12月25日、クリスマスの日に手術となった。本当は、年末・年始の休みの間に、集中的に修論をまとめようと考えていたのだが、それどころではなくなった。

当日の朝9:30に手術室に入った母の手術終了は、午後3時半をまわっていた。その間、父と私は二人で病院の椅子にかけたまま、手術の成功を祈るばかりであった。母が癌と診断されたこと、手術終了後の経過、がっくり肩を落とし心配し続ける父。心配ばかりが先立つ中で、自分自身の修論は間に合うだろうか、書けないのではないか、そんな思いが交錯し頭の中をぐるぐる回っていた。

 手術終了後、予想以上に癌が進行していたという執刀医からの説明を聞き、これは長期戦になるなと覚悟を決め、どうやって修論を書くための時間を確保するか考えていた。病院へは毎日通い、夜には修論のまとめ。それまでは、集中しようとすれば、かなり集中できると思っていたが、このときばかりはコンピュータに向かっても、なかなか考えがまとまらない。ちっとも書き進められないまま、気持ちばかりが焦り、時だけが過ぎていく。病院で父と母の顔をみれば、「そろそろ帰る」とは言えなくなり、ただそばにいるだけでしかないのに、病院で過ごす時間が長くなる。家に戻ると、簡単には気持ちを切り替えられずに、ただコンピュータを立ち上げる。

そんなとき、ゼミの真邉先生をはじめ、仲間たちからの温かい励ましがあった。たまたまサイバーゼミがあり無断欠席というわけにもいかず、簡単に欠席理由を書き込んだ。たったそれだけしか知らせなかったのに、何人もの仲間たちがMLで温かい言葉をおくってくれた。みんな私自身の健康を気遣いながら、「元木ならきっと大丈夫」と励ましてくれていた。母の癌に対して、冷静に対応しようとがんばっていた私にとって、この仲間たちからの心遣いが、本当にありがたかった。みんな忙しい中、ともに研究にがんばってきた仲間たちが、温かい手を差し伸べて元気づけてくれている、本当にいい仲間たちに恵まれたと心から感謝した。

先輩方からも「修論は早めに用意した方がいい」、何度そう聞いたことか。そのつもりで、それなりの準備をしていたのだが、最後の段階で思いもかけないことになり、さらに時間が足りなくなってしまった。せっかく時間がとれても、今度は頭が働かない。そんな泣き言を言ってみても、修論に言い訳を書けるわけでもない、とにかく、何とかまとめなければ。

修論は、締め切りには間に合うように提出できた。しかし、最終的にまとめようと再読したとき、母の手術前後に書いていた部分は支離滅裂であることに気づいた。何故こんなところで、こんな統計解析をしたんだろう、ここではいったい何がいいたかったんだろう、等々。結局、その章は締め切りギリギリで、全面的に書き直すことになった。冷静になっているつもりでも、やっぱりあわてていて思考がまとまらなかったんだ、ということに後で気づいた。

今回、何とか修論を提出する事ができたのは、本当に先生や仲間たちの励ましのおかげと思う。また家族が、修論を書く時間がとれるように、全面的に協力してくれたことがありがたかった。確かにこの2年間、研究するために自分自身ができる限りの努力をしてがんばってきた。修論は私にとって、2年間の集大成である。けれども、同時に自分一人では書けなかったものでもある。

 励まし合い、支え合い、助け合ってきた私の周りのたくさんの人たちのおかげで、ここまでこられたことに心から感謝したい。