文化情報専攻  中村 恵

        「最後まであきらめないこと」

   

 

1、混沌とした中からのテーマ決定

 入学当初の4月、修士論文の研究テーマを絞りきることができずに、指導教授の研究室で取り止めのない話をする私に先生は根気よく耳を傾けて下さっていた。C・S・ルイス研究であることだけは決めていたものの、ルイスの何を研究するかは決め手がなかった。その夏、身近な出来事から「永遠」ということばが私のなかでクローズアップされてきた。私はこのことばの意味を本当に知っているのだろうかという疑問が起きた。そして、11月に修士論文のテーマとして「永遠についての考察─C.S.Lewisにおける永遠のヴィジョン」を決定した。混沌の世界から、広大な世界へ飛び込んだわけである。

 しかしながら、さすがに「永遠」の世界は広く、手を広げるには事欠かなかった。現実の枠を超え、時間、空間を超越し、生を超えた死後の世界、天国といった世界まで、果てしなく目に見えない世界がつぎつぎと広がるのである。再び、混沌の世界に迷い込んだ日々が続き、ふと気が付いてみると2年生の秋頃となっていた。修正し続けた修論作成計画は、計画を立てる後からことごとく崩れて行き、12月のゼミに第一稿を提出するという先生やゼミの人達との約束も全く守れず、12月の中旬を絶望的な気持ちで迎えていた。修論のテーマとルイス研究であるということに立ち返り、1月の提出までの時間を考慮しつつ内容の絞り込みをし、本格的に本文作成に取り組んだのはクリスマス近くの頃だった。

 

2、ゼミ発表と資料の収集

 1年次から市ヶ谷でのゼミなどにおいて、最終的には使用しなかったものもあるが、いろいろと参考文献を読んで発表し、それを資料として残していった。資料はA4サイズにWordで入力し、引用文は文献の頁数と行数を必ず入れ、参考文献の記載の方法なども合わせて修論にそのまま利用することを念頭に置いて作成した。また、読んだ文献には、章立てと内容がほとんど決まった段階から、視点・論点となる内容により4色の付箋を色分けして貼っていった。一見してどのような内容が文献のどこに書かれているかがわかるのである。特にテーマ決定からの約一年間、このように溜め込まれた資料は最後の段階で多いに役立った。

 

3、無の境地

 避けたいことではあっても、最後はやはり体力と気力の勝負になるのではないかと予測し、1年のときから朝のジョギングやウォーキングを実践し健康管理に努めてきた。追い込み時には、目のためにブルーベリー濃縮エキスを食し、ストレッチ体操などをして疲労感を緩和した。12月は日頃より仕事も混んでいるが、社会人としての勤めもしっかりと果たして年末年始の休みに入り、ようやく集中できる日々が訪れた。113時間以上机に向かう日々、不安というよりも恐怖心に近い気持ちに囚われないように、とにかく余計なことは一切考えずにひたすら文献とパソコンに向かった。

 正月はほんの形ばかりのお節をひとりで祝い、年末年始の約10日間の缶詰状態を過ごし、修論未完成のまま新年の仕事初めのため出勤した。ほとんど誰とも会話を交わすこともなく修論作成に勤しんでいたため、職場での仕事はリフレッシュ効果があり、同僚との会話も不思議と心を癒してくれた。しかしながら、仕事は新年早々いきなりの残業が続いた。週末になるのを待って最後の完成を目指した。

 

4、威力を発揮したWordの機能

 修論本文の内容もさることながら、最終段階の論文として提出するために、体裁を整えることに多くの労力と時間が必要であることを頭に入れておかなければならない。私の場合、Wordの機能のなかでも「挿入」の「脚注」機能と、「書式」の「アウトライン」で本文を作成し、最後に「挿入」の「検索と目次」によって瞬時に目次を作成するという機能を利用したことが何より功を奏した。その他、引用文献、英文要旨、論文要旨の作成、最後に50頁以上の本文のプリントアウトと副本3部のコピー、パンチでの穴あけとファイリング等々、仕上げの段階での物品の準備などを含め予想以上の労力と時間、そして集中力を要した。技術と物理的な問題が最後に控えていたことを改めて知った。やはり余裕を持って、早めに修論を完成させることを是非ともお勧めしたい。

 

5、結果としての修士論文

 時期が迫ってもなかなか本文を書き始めず、牛歩の歩みを続ける私を叱りもせず、かえって励まし続け、最後の提出ぎりぎりまでご指導下さった竹野先生には何と感謝をお伝えしたらよいのかわからない。また、最後には自分ばかりか、心ならずも周囲を巻き込んでしまうことを痛感し、そのためにも何とか間に合って提出しなくてはと思い、私のどこにそのようなエネルギーが潜んでいたのかと自分でも不思議なほどに追い込み時期をひた走りした。決してひとりで修論を書いたのではない。

 この修論作成を通して学んだことは非常に大きかった。研究内容からの新しい発見も多くあったが、自分の力のなさや弱さを隠さずに、自分自身で受け入れることができた。そして、もちろん完全ではないが、私の現段階の精一杯をひとつの形にすることができた。私の修士論文は、私が書いたものではなく、結果として書かれたものであると言うのが今の実感である。

以上