「東武練馬まるとし物語 第二部」  

 

    

                                                                    

                                 国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

                                                                                      

 

 

 

 

 

その二 「新しい書斎」

 

 家は、毎日の生活で、誰にとって最も基本となる場所である。

 

 10月におやじさんの家を増改築する工事が着工、12月中旬には完成した。店のお客様で気心も通じている会社に工事を依頼したので、建築にあたっての心配は何もなかった。

 

 部屋のデザインやレイアウトは妻にまかせた。唯一、僕が注文したことは僕の書斎を作ることと、今まで研究した書物を収納する、壁に備え付けの本棚を設けることだけである。

 

 築15年ほど経っている家なので、2階部分を改築する他にも、壁の吹き付けやお風呂など、この機会に直すことになった。

 

 お風呂は、使い心地がよいものになるよう、義母や妻が建築士の方と、ショールームも見学して、いろいろと話し合ったようだ。そして、限られたスペースにもかかわらず、従来の物と比べて、使いやすく、明るく広々とした印象の‘バスルーム’になった。

 

 バリヤフリーや手すりを付けたり、浴槽はベンチ付きのものにして、半年ほど前に手術をした義母は、立ったり座ったりがかなり楽になり、とても喜んでいる。

 

 収納スペースや部屋のレイアウトで、いろいろ迷いはしたものの、1階に洋間、おやじさんのスペースである書斎も作った。実際に住んでみると、家にそれぞれの居場所があるのは、とても大切でよかったと思う。

 

 子供も、自分たちの部屋の壁紙を、赤毛のアン風に花模様に選んだりして、とても気に入っているようだ。

 

 本当は、いくら仲良く店でおやじさんと仕事をしているとはいえ、同居して一緒に住むことは、気が進まないものである。しかし、自分のことはさておき、店や家族にとって大きな意味があると考えていたことから実現させた。

 

「景気のなかなか上向かない昨今、経営する店の売上に左右されないような体制、店の変革だけでなく、家計も見直すことが必要であろう。」

 

 今まで住んでいたマンションの家賃は、これから増えるであろう子供たちの教育費や習い事にかかる費用に振り分ける。家で事務の仕事に専念するようになった義母に代わり、おかみさんとなった妻が、子供の心配をせずに、安心して店で働けるようにするためにも。

 

 近年新聞やテレビのニュースなどでは、思いもよらぬ凶悪事件が立て続けに起こり、治安の悪化には僕も心を痛めている。時に少年犯罪も珍しいものでなく、他人事ではない。もちろん、一日のほとんどの時間を店で過ごす僕にできることは限られている。だからこそ、出来るだけたくさんの家族の目が子供たちに向けられる家庭こそ、安心していられる。

 

 さらには、おやじさん夫婦にとっても、若い人たちと生活を共にすることは、よい意味で日々の張りが出たらいいなぁと思う。

 

 完成した家の2階に僕たち家族、そして、1階におやじさん夫婦が住むことになった。子供部屋には、妻が使っていた机を長女、僕の実の兄が使っていた机を次女、そして今回同居するにあたって、幼稚園児である三女にも義妹の使っていた机と、三つの机が並んだのは壮観である。

 

僕の書斎は、その子供部屋や二段ベッドを置いた子供たちの寝室に追いやられ、前より狭くなったのは、仕方がない。これからこの家の主役は、子供たちになるのだから。

 

 そういえば、家について振返ってみると、僕が妻と結婚して初めて住んだのは、店から程近い、練馬区にある6畳2間とキッチンのアパートの2階。そこで、長女、次女と子供に恵まれた。

 

 そのアパートは見た目きれいだったけれど、壁が薄く、歩くだけでも、みしみしと音がした。特に長女が、はいはいからよちよち歩き、そして自由に動けるようになり、うれしいのか、やたらジャンプをした。

 

その都度、1階に住む人にその音が直撃、これは迷惑だろうこと、そして、家族4人での生活もこのスペースでは手狭となり始めたこともあり、近くのマンションに引越をした。今から7年程前のことである。

 

そのマンションでは、初めて僕のスペースである書斎が持てた。がっしりとした建物の1階、部屋数も増え、隣がマンションの集会所ということもあり、近所のことを気にすることはなくなった。そして、三女も生まれ、子供たちも順調にのびのびと育っていった。

 

以前に比べ、さらに店からはやや離れたももの、地下鉄の駅に近く、生活する上では、環境が申し分ないと思われた。でも、どんな家でも悩みは生じるもので、住んで何年か経つと、建物の構造や風通しの問題なのか、あちこちの壁にカビが生えた。

 

僕の書斎は、このマンションに住んでいる時に、研究科に入学し研究を続けたこともあり、ぞくぞくと集めた本や資料で部屋は狭くなった。修了してからは、今まで以上に、店に力を入れていたことから、それはそのままの状態となっていた。今回引越をするにあたって、それを整理するのは大変だった。

 

当初は11月上旬ぐらいには完成予定だった。しかし改築部分を変更,付け加えたりなどもあり、実際に完成したのは、予定より1ヶ月も後の12月半ばであった。それも、直前まで見通しもたたない状態だった。

 

引越の荷造りは、使っていない物から少しずつしていった。それからの1ヶ月はとてもしんどい毎日になった。店が終わって帰宅するのが11時半から12時ぐらいで、それから 晩ご飯をとってから、引越しの荷造りという日課が続いた。

 

2週間に1度の休みを、普段の生活でさえも勉強やたまった雑務に追われてしまって終わってしまう。その上に、引越しの作業が、加わったのだから、今、振返っても、よくなんとかなったと思う。

 

好きでとってある新聞や切抜き、趣味や勉強のための雑誌や本など、雑然と自分の部屋に積み上げてあったものを、地道に片付けていくのである。年末になって、店の方も忙しくなり、家に帰って引越の片付けをするつもりでも、気が付けば眠っていたという状態だった。

 

また逆に、忘れていたような昔の写真や手紙を見つけて、面白くなってしまって、読み続けてしまうこともあった。学生の頃から手帳や手紙、また印象的な新聞なども捨てずに取っておくので、かなりの量のものがある。

 

引越の荷物も運んでみると、目処が立ちそうで、なかなか減らないものである。僕の書斎には、実は今現在もダンボールが4箱ほど、そのまま部屋の隅に置かれている。

 

引越の準備を進めている最中の1129日、研究科の所沢キャンパスで、3期生修了記念植樹式が開催され、僕も参加した。

 

当日は朝からあいにくな雨の中、僕たち3期修了生のための、桜の植樹が順調にとり行われた。

 

植樹式後の懇親会では、2期生の3名を含め20人以上の修了生と、先生方や事務の方々10人余りの方がご出席され、去年に比べても、かなり多い参加者となったそうである。

 

お弁当を食べながらの、自己紹介や近況報告。修了生は、やはり皆いろいろな角度から自分の研究を続けていきたいという積極的な方が多かった。

 

先生方は、自分の研究活動について、ここぞとばかりにアピールをされているのが印象的であった。この場で紹介された公開講座やシンポジウムなどへは、僕も足を運んだ。

 

「今年の春には、1期生、2期生の桜に並んで、3期生記念の満開の桜が咲きますことを、心から願っている。」

 

近年、店の近くに、いくつかのケアサービスの会社が営業を始め、その講習会の折に、まとまった数のお弁当の配達を頼まれた。こういうことからも福祉社会という時代の流れを身近に感じるようになった。

 

12月6日、新座市市民会館で開催された、研究科のサークルである「IT社会創造研究会」と「ケア問題ネットワーク」共催による「福祉社会のこれからを考える」というテーマの公開講座に参加した。

 

昨年の同時期、同じ会場での公開講座の帰りに、先生方や関係者の方々が、僕の店にお越し下さった。今年は、機会があれば、ぜひこの公開講座には参加したいと思っていた。

 

この日は、まず、人間科学の冬期スクーリングでも熱のこもった講義でお世話になったばかりの佐々木健先生の「ケアリングとインフォームド・コンセント―福祉・医療の根本をさぐる―」というテーマの講演が行われた。

 

福祉と医療の根底にある「ケア」・「ケアリング」の本質についての考察、インフォームド・コンセントという概念について、その意味を治療者と患者という関係から福祉・医療(制度)の「原点」を問う視点が特に興味深い講演であった。

 

続いて、五十嵐雅郎先生の「超高齢者社会における介護保険の課題」についての講演では、さらに福祉社会について、老人医療・介護の現状に対しての問題点をより具体例・数字を挙げて指摘、老人福祉、特に公的介護制度の改善策への有意義な提言をされていた。

 

研究科では現在9つの自主的な研究会が修了生と院生で運営されている。僕もIT社会創造・経営・歴史と3つの研究会に所属している。このような公開講座は、それぞれの研究会が独自に主催し開かれるものである。誰にとっても、得るものは多いので、機会があれば、ぜひ多くの方々が参加されることを期待したい。

 

さらに続いて、1211日、下高井戸にある日本大学文理学部百周年記念館で、日本大学総長指定総合研究シンポジウム『グローバル化時代の社会経済危機の諸相』にも参加した。

この日の基調講演は、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授、コーディネーターには日本大学文理学部の青木一能教授、そして、パネリストとして、ご指導いただいた小松憲治先生が参加されていることもあり、僕の他に、ゼミ仲間3人も出席した。

 

エズラ・ヴォーゲル教授は『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者としてアメリカにおける日本およびアジア研究の第一人者としての立場から、小松先生は、国際金融の視点から「21世紀における国際秩序はいかにあるべきか」という観点からの報告を、他にもイスラーム原理主義からの視点・地球情報化の視点で日本大学の松永泰行助教授・岩淵美克複教授を含め、総合的に討論がなされたことは、何より意義のあるシンポジウムであった。

 

このような機会、特に気さくで語り口が柔らかく、言葉を一つ一つ丁寧に話されるエズラ・ヴォーゲル教授と小松先生が親しく言葉のやりとりをされている姿は、ゼミ生として誇らしく、うれしいものであった。

 

今回も店のことについて、取り上げてみたい。

 

店のお客様の中には、商店街や地域の活性化に、大変思い入れのある方がいらっしゃる。

 

2年ほど前から、商店街では、地域の活性化を図り、地域住民の親睦を深めるために尽力されている練馬区在住の落語家・柳家小きんさんが主になって、「北町初!」の地域寄席『北町寄席』が開催されるようになった。

 

この地域寄席は、この『北町寄席』に続いて、隣の商店街でも別に『下練馬寄席』も定期的に開催され、新聞などにも取り上げられるほど話題となり、それぞれの寄席に多くの方々が集まっている。

 

寄席が隔月の土曜日に、商店街でも寄席をやっているとは知っていながら、なかなか足を運ぶ機会はなかった。

 

そんな時に先日、この寄席を始めるきっかけを作られたお客様が、ぜひ僕に小きんさんを会わせたいという話になり、お店に連れて来て下さった。

 

小きんさんは僕と同世代であり、きたまち阿波踊りでも子供たちと同じ連で踊られていたということを後で知った。店にも何度か来て下さっていたようで、お顔をお見かけしたことがあると感じた。

 

「北町に笑いを!」「北町に生の落語を!」小きんさんに「一期一会」と色紙を書いていただいた。

 

僕が店主になって初めてということもあり、店は年末年始、今年は休まず営業してみた。元旦、2日に店を開けたことは、前例がない。おやじさんは例年通り、大晦日は夕方まで、新年は3日から働いてもらうこととし、僕と妻の2人で店をやった。特に独身の常連のお客様に、「助かるなぁ」と、大変喜ばれた。

 

ここ数年、商店街の古くからの店が、色々な事情で、店をたたんでしまう。寂しいと思うのと同時に、自分にも何か出来ることがあるかと考え、年末年始の営業を続けた。それまで頼りなく思えていた妻の頑張りに、おかみさんとして一皮むけたように感じた。

 

1月24日、第十一回「北町寄席」の柳家小きん独演会に、子供たちと一緒に参加した。配られたかわら版には、支援者として店や僕の名前もあった。

 

そのかわら版には、「落語は一人で全てを演じるという、世界でも極めてめずらしい形態の、日本独自の話芸。まさに落語の醍醐味は、客の雰囲気に合わせた、落語家の噺を寄席で聞くことにつきます。」との言葉。さりげなく噺の中に、まるとしという言葉を使う、粋なはからいをして下さり、聴衆の笑いを誘っていた。

 

135人という大勢の熱気にあふれた“新春・初笑い”として、「お楽しみ大抽選大会」も開催された。くじ引きの度にハラハラ、ドキドキ、子供たちも大喜びであった。

 

僕の新しい書斎の本棚にも、落語の本が加わった。やはり落語の世界も奥深いものである。グローバル化、国際化が進めば進むほど、伝統的なところへ気持ちが戻るようなところがあるのだろうか。

 

以下、次号。