紀行             「我が海外旅行の源点と最近の動向」

            

     

                    国際情報専攻 4期生 長谷川 昌昭

     
1我が海外渡航源点と現点
 

 初渡航は、それは1981623日〜同26に韓国の国境警備活動の警察活動上の教訓を得るために、その五年前に韓国警察からの留学生であった。当時の孫警衛を訪ねての渡航でした。

 

 その後も1991320日〜10日間湾岸戦争の直後に、それは警大教授の時に、『米国警察の幹部警察官の教養並びに治安実態の調査視察』のためにアメリカ合衆国に出張を命ずとの公用渡航でした。

 

 公用渡航は多目的であり、―海外旅行企図者への指導上の一考察―と私が教授であった警大の学生が、事後に部下の海外旅行に接した時に、必要な指導が可能な方策をもと指示もあっての出発でした。

 

 その旅は、米国の主に東部六州八都市への十八回の離着陸(18,000哩飛行距離)、大陸横断鉄道(2,000キので函館〜博多)、大陸横断バス(320キロで大宮〜山形)の旅で、NYでは、ニューヨーク市警察の副総監Anthony   M.Voelker組織犯罪捜査統括部局長への表敬訪問やボストンでは、Roache公安委員長表敬と非公式訪問先としては在日米軍憲兵司令官のシロヤマ大佐の紹介で米国空軍士官学校という広大な教育訓練施設(一辺が二四キロ一万九千エーカー東京の山手線がスッポリ入る)も視察できたのは、横田基地の憲兵隊渉外部長の市川孝弘さんのお陰と現在でもご恩は忘れていない。

 

 
   
平成3(‘91)3月23日米ニューヨーク市
    海外渡航の源点
NYPD A M,Voelker副総監表敬

 

  NY市警のヴォルガ―副総監は、彼が人事部長ご在任当時の昭和六十二年(1987)に警視 庁を調査団長として訪れた際に、私は、広報課管理官の職にあり、総監の渉外表敬担当として接遇していた奇遇に恵まれ、再会ということで、破格の夜間視察の機会を得て、折り良く視察中に銃撃事件現場へ私共を表敬担当官が、警察官の現場からの応援要請事案に臨む際に、支給銃の他にも銃を携行している実態と目前の事象対処最優先で、私共が乗車する車両を容疑車両逃走防止のために自らの車両を衝突させ、降車しての職質時は拳銃を抜いて構えての動作を直視し「銃社会」の一端を垣間見るなど、貴重な実戦を体験させていただいた。通常は、外国からの賓客を乗車させては、緊急事態の現場へは急行しないのが、国際礼譲でもあるが、そこが合理的で現場対処優先の米国の思想と理解している。

 

  現在では、考えられるものの当時は、警察の職にあっても、想像もし得ぬ程の乖離があった。

 

  NYの警察学校視察では拳銃担当教官は、拳銃射撃級位は生命保険掛金とスライドするので、自己防衛と家計防衛の観点から誰しも拳銃射撃訓練は熱心で、生命保険会社が訓練弾や標的等の提供もするし、射撃訓練は、活発だとのエピソードの紹介があり、銃社会を痛感した強烈な印象が未だにあります。

 

  拳銃技術級位の低級位者は生命保険掛金が高額で、上級にランクが上がるにつれて減額され、トップとワーストでは、1/4の開きがあり、犯人に上級位者は撃たれる前に、犯人を撃ち取るとの説明には、納得したし、女性警察官の方が相手は抵抗しないとの説明に、レディファストの国かと思ったら女性警察官の数は少ないが、射撃技術レベルは上位だとの説明に、映画「ブルーフォルダー」を思い出した。

 

 それ以降は、何回かの渡航はあった。

 

 昨年五月の大学院祭で個人発表の栄に浴させていただき、その節に過去の渡航暦を調べたところ、昨年10月の米国渡航を含めて、通算17回程で、公用は1回、そして総て自己計画の旅でした。(昨年の10月は往路は団体でしたが)

 

2 最近の傾向

 

 渡航は、英語圏のみで、家内からは、欧州やアフリカへと所望されていますが、未だに実現していません。

 

 報ぜられているところによりますと、外務省は2003年の旅券統計速報で、昨年は一般旅券発行が、272万冊前年比27%減で2001年の前年比26%を上回ったこととなり、イラク開戦やSARSの影響で海外旅行を手控えたことが影響したが、昨年末の有効旅券数は3,325万冊で、前年比1%増で、過去最高だった。

 

 昨年は、世界の航空機事故が最小を記録した年でもあった。国際的なフライト・インタナショナル誌は、1950年以降の統計上では、27(-33%)死者702(-31%)であった。

 

 これは、航空機の警報システムの向上により、航法ミスが原因の地上に激突の事故の減少によるものであり、イラク開戦やSARSとは無関係と指摘している。

 

 航空機内の秩序維持が、世界的傾向で強化され遅まきながら、我が国も新立法で対処し始めており、今後は「俺は客だ」と言った暴虐な客は減少するであろうことは想像に難くない。固定された空間での、自由は相互尊重と安全第一が優先する時代の到来であると思うものである。

 

 機内食のナイフ。フォークもSeptember11,2001の後遺症からは、脱出して、ご覧のような金属製に復活した(ビジネンクラスのみ)、依然として手荷物検査の厳しさは、以前の空港警備会社のガードマンから、連邦政府職員による検問体制を敷いての徹底策が各国に伝播し、丁寧で不審点は相互に補完し合って、搭乗客の納得も得ての完璧を期そういう意気込みが感じられ、快適性と安全性は一段と向上したと昨年二回の渡米と今回で感じた。

 

 NWAのミネアポリスから成田のビジネスのディナーの一例でも、金属製食
  器は復活しつつあった。
(昨年10
)

 

 各航空会社は、収益性の高いビジネスクラスには、企業の英知を絞っての競争しており、「夢のビジネスとか憧れのビジネスクラス」のキヤッチフレーズで、宣伝しているものの相応の価値と安全・快適は以降の思考過程に好影響と健康管理上から欠かせない、出費とする時代であり、ビジネスクラスはビジネスチャンスと多彩な出逢いのチャンスにも恵まれる費用対効果の観点からも、利用増が価格帯の引き下げに寄与するものと思われる。

 

源点と現点の脈絡

 

 NYPDとは、その後もNY訪問の都度訪ねたり、Christmas CardNHK海外カレンダーや警視庁機動隊カレンダーを送付しての友好関係を継続し、昨10月の居住地東村山市のインデベンデンス市との姉妹都市提携25周年記念親善訪問の帰途に、現下の治安問題の逼迫性と重要性を認識した当市細渕市長の希望もあって、「草の根外交」でのNYPD公安委員会委員長の表敬訪問を実現へと結実させて、日大大学院の国際情報専攻院生として、また、警察出身者として、市長より公式の席上で、昨年と今年二度も市民に紹介されるなど体感治安の向上に些かなりとも寄与したものと思います。

 

 

   平成15(’03)108日米インデペンデンス市

  Gail  Metcalf  Schartel宅の45日のHS

 

          

                    平成15(‘03)109日米ニューヨーク市

                   NYPD Joyce A. Stephen 市警地域部長へ東村山市
                    の表敬訪問アレンジ

 

 何も警察だけではなく、ご承知の方々も多かろうと思いますが、September11,2001で、多数の殉職者を出したFDNYJohn, D.Filaの名をご記憶の方もいると思います。彼は当日久々の休日に自宅で、緊急事態を知り参集して、翌日まで文字通り不眠不休の活動で、一旦解除命令で、帰署した彼は、自分以外の分署員全員が殉職したことを知った悲劇の主で、世界的な写真家集団のマグナムが当時奇しくもNYにて集会中で、その写真展が日本橋三越で2002年に開催された際に、彼は写真の説明で来日した。その際に彼に逢って$119を個人的に寄付した際に、彼は懐から、仲間の殉職消防士の写真を感謝と友情の証として、折れたものをくれた。その彼に今度NY行って再会したい。必ず探し出す。

 

3 渡航の多目的化時代の到来と安全第一とオンタイムの要請

 

 JTBがHISの手法を無視出来ない程に、薄利多売とコスト削減の要請から、旅行会社は、電子チケット化による合理化と販売コスト管理の締め付けで、様変わりする時代となり、欧州では、格安航空会社の勃興が大手のグループ化を促進し、我が国も競争力強化には、聖域は無くなりつつあり、今後の展開が予断を許さない厳しい時代となる。

 

 確実に言えることは、笑顔無き企業組織は、集客能力に欠けという販売戦略上のセオリーを意識することも必要な、付加価値の要請される時代である。

 

 安全第一とオンタイムは決して矛盾するものでないことを実証している航空会社は、全米では、米航空運輸局のオンタイム表彰に現れている。そして、企業組織構成員の個々人の接客技術とその実態をCEOが如何に把握しているが、また顧客情報の取扱いの良否が、ビジネスチャンスに繋がるものでもある。

 

 一旅行者の反応にCEOが応えたNWAは私を生涯贔屓にすると誓わせた。

 

 昨10月にNWAの新ビジネスクラスの発表会に臨んで、たった一言話しただけの
Vice PresidentFrederic Deschampsと有楽町の東京フォーラムで、ディーズニ映画の「ブラーザーベア」の試写会の入り口付近で偶然に逢ったところ、お子様と奥様の同伴の全くのブライベートにも拘わらず、覚えていて気軽にお声をかけてくれ、Enjoy !
と奥様は初対面なのに、この企業家精神には感服させられ、国民性なのか社の指針か、否 人格の所以と信じて試写会を楽しんだことがあり、大変に勉強になった。

 

  
  
 平成15(’03)1027日六本木グランドハイアット

  NWA新ビジネスクラス発表CEOレセプションで
    右
Vice President International Frderic  Deschamps

 

4 直近の体験から

 

 223日〜同27日の45日のシンガポールへの渡航での体験紀行。

 

 シンガポールは、14世紀のシンガプーラのその発祥から、1965年の独立国としたの発足以降は、リー・クアン前首相の下に、英国型でありながら、一院制、地方議会無し、大統領元首の共和制で、保守的なマレーシア人やインド人が多く、肌を露出した女性は少なく、リゾートよりもビジネスタウンとの感覚でした。1960年代の投資や貿易拡大や敵視していたインドネシアに政変が起こり、親シンガポール政権の誕生や日本から貿易や企業進出が同国の繁栄発展を齎したと見られており、日本車がとても多く親日的印象と治安の良さを感じた。

 

 シンガポールは、正式国名はThe Republic of Singaporeと呼ばれ、距離的には、日本の南西約6,648Kmの赤道直下の人口400万余の東京23(617Ku)とほぼ同一面積(682,7Ku)の大統領を元首とする共和国で、公用語は、マレー語、英語、中国語(北京語)、タミール語のモザイク国家である。

 

 気候的には、熱帯モンスーン気候であり、10月〜3月は雨季で、傘は常時持参したが、幸いにも雨には降られなかった。

 

 連日32度〜34度で、高温多湿を感じる程ではないが、ハワイと比べれば蒸し暑く、2月は日本より二倍の降雨量とのことであったが、左程でもなく、Tシャツ一枚のショートパンツで過ごせた。

 


平成16(’04)224日シンガポール河口のマーライオン

 

 今回はTrapcsの海外ツアーを家内が、新聞で探して、格安との触れ込みでしたので、安かろう悪かろうと相当の悪条件を覚悟の上での旅でしたが、相応の金額で、将にリーズイナブルなものでした。

 

 成田18:20離陸深夜到着(午前1:05到着入国同日10:00集合観光へ)の入国と深夜出発(午前3:30ホテル発6:00出国、前日は自由日)を除けば、東京から徳山までの新幹線 (982,7Km×2)の往復交通費は\39,400.-で、その約6倍の6,648Kmの飛行距離とホテル代4泊と三食付き(途中の一日と三食は個人負担のフリーディー)に二日間のフル観光と三食付きで、現地案内は男性の中国系紀さんという大変に良心的なガイドとマレーシア入国観光は、これもまたBoonさん中国系のマレーシア女性ガイドは、巧みな日本語での説明と接遇でした。観光ガイドブックガイドの注意する押し付けがましいシヨッピングも無く、快適で、格安最安値での二月の閑散期の旅行社の目玉商品に遭遇した感じでした。

 

 その後にこの価格帯は、発見できない程に安かった。

 

 往復空路は、シンガポール航空かNW航空の何れかとの条件でしたが、幸運にも贔屓にしていたNW航空でした。

 

 特に感動的でしたのは、Changi空港に深夜1:05到着し、降機する際には、鴫原さんというNWAの通訳さんが、最後の方で降りる私ども日本の団体客に「御搭乗ありがとう御座いました。お降りの際段差があります。足元にお気を付けて下さい。」とひとり一人に声をかけていたし、思い出すとその女性客室乗務員は途中高齢者がやや多い団体には、食後の薬の水や一人の身障者には、トイレへの案内など気配りが素晴らしかった。同行の42名の方々も忙しいのに笑顔で、直ぐ対応してくれ、機内は安いのに気が効いているとの評は、ホテルへの車内でしていたのを耳にし、覚悟を決めてきたのが、緩みかかった。

 

 復路は、成田到着直前にキット天気が良いので、富士山が見えると予感がしていた。暫くすると機長のアナウスで案内があり、多数の乗客は機窓から、真白き霊峰富士の雄姿を機翼越しに写真撮影し、良い土産が出来たと囁き合っていた。この時、家内は幸運にも離席しており、窓側の乗客以外にもギャレー横の窓からの富士山の撮影の案内を欧米人夫妻にしていた、今回の旅は、二度も自分から英語でこえを賭けられたと喜んでいた。

 


 
NWA#012機窓よりの真っ白き富士の峰

 

 私はこの鴫原さんと過去に、絶妙な接遇でNWACEO表彰に輝いた米国ハワイの退役米海兵隊大のNWAの地上顧客案内係のGery Meyersを彷彿とさせられ、キットこの旅はイイ旅となると確信したことが的中した鴫原さんも、もし、そうであれば、私の選択眼もと胸中に期するものがあった楽しい出逢いであした。

 

Putting Customers Firstの精神を実践しているものと当方まで、元気を貰った。

 


 Gart Meyers氏は、米国人では、稀なCalligraphyの
 能筆家として高い教養を積まれた方。

 Calligraphyとはギリシャ語で「美しい書法」の意。

 

 多様なニーズへの対応と安全を企業収益増へのコスト削減という二律背反の航空業界は、個々の企業組織構成員の起居動作が、口コミによる顧客の離合衆参へ繋がる厳しい現実の局面との対決で、生残策としての集客対策をどのように発揮させるかに賭っている。

 

5 旅所感

 

@ 安全対策

 

 空港は、深夜と早朝でしたが、機関銃携帯のドリガー(引き金)に指を添えて伸ばした有事即応の緊張感を持った四人組みの警戒兵が巡回警戒中であったし、米国籍航空機搭乗者は、別にCIQ(Customs税関 Immigration入国管理  Quarantine検疫 通過時に搭乗者名簿と照合し、手書きの名簿を持参した空港警戒警察官の離陸直前の空席確認やマレーイシアからの再入国時は、タバコ等の重加算税品の検査が、厳しく実施されており、封は切っても、吸ってない20本入は、自家消費と見なされずに、厳重に購入先や他の輸入品で無申告は無いかと我が国の国税体制とは異なるものを体験した。

 

 因みに、隣国マレーイシアはGDP1/3で、車で国境を越える時はガソリンタンクは3/4以上に充填してないと罰金で、国境検問所前には世界一大きいスタントが存在していた。標識に白く車の燃料計が描かれており、この意味は3/4を切ったままで、国境出入国管理所へ車を進めると罰金S$500が待っているという「3クオータータンク法」という世界的に珍しいシンガポール政府の発明品でした。

 

 ガイドは先月ベンツがメーター改造で越境を試み、再入国時に発覚し、車を没収されたのが、話題とのことでした。

 

A 渋滞無しの綺麗な町並み

 

 車両は、超贅沢品として300%の物品税が課税され、ラッシュ時の移動は、都心方向へは、無料の高速道路が車種により料金徴集される法制とのことで、その課金システムが奮っているナンバーは二輪車と言えども前後にあり、料金所が無いから渋滞はしない。しかし、徴収は、車両前面にクレジットカードを全車に義務化されており、車検制度は日本以上に厳しく、前面とナンバーを読み取れない車両は、白バイの好餌になるとタクシーのドライバーは溢していた。

 

 チューインガムが所持と輸入禁止の国なので、とても興味があった。道路に落ちてないものは、塵と吸殻に唾でした。総てS$1,000の罰金とのことで、方々に掲示があり、早朝や深夜の行動もあったが塵作業車には出会わなかったし、工事現場の車もナンバーは綺麗に掃除してあり、汚れたダンプは居なかった。

 

 特に、町並みは緑が多く、Garden Cityと呼ばれる様に、横断歩道にも蔦が絡み付いていた。しかし、車道は車優先の左側通行で、高速入路は米国式のプラスワンレーンで、渋滞の起きようが無いシステムであったのが印象的であつた。交通渋滞は、経済効果をも妨げることが最近特に議論されてもいる。

 

B 往復団体旅行初体験雑感

 

 昨10月の北米への旅は、往路のみ団体で、往復団体は今回のTrapicsが初体験でした。

 

 総勢42名で430名の搭乗乗客の約1割、年齢的には20代〜70代と多彩な割には、旅に慣れた方々が多かったので、気楽に楽しめた。

 

 ただ、出発の朝に3:30ホテル発のところを単独で中高年の男性が15分遅参しての出発でした。理由はチェツクアウト精算にに手間取った模様で、このような時は、Quick Check Out Systemと言う方法があることを知らない方も多い、チェックイン時にクレジットカードか、現金を預けてデポジットし、出発当日の起床時間に精算書をドアーの隙間から差し入れてもらい、異議がなけれは、そのまま出る方法は簡便で、金額を確認出来てユウースフルな方法です。

 

 従って、20分遅れでの出発でしたが、途中渋滞は無くて、空港へは予定の4:005分おくれたのみであった。

 

 米ワシントンDCでの体験ですが、市営の観光乗合バスでワシントン記念堂に降車した際、ガイド兼運転手氏は、降車時間は、30分ですと念をおした。果たせるかな、私どもを含めて他の乗客は定刻に戻った。隣席の米国人親子は、座席にカメラを置いたまま定刻5分経過しても戻らず、10分経過したら、ガイド兼運転手氏は無線で本部と連絡し、定刻13分後には、置き去りにして出発の態勢となったので、私共は、あの親子とは、ベトナム記念碑の辺ですれ違ったとの情報を提供したが、15分経過時には、何事も無かった如くに出発した。

 

 他の乗客も特に気にかけて心配の風情はなかったが、1/3行程の途中は、私どもはとても心配した。最終到着地点のワシントンユニオン駅前で、ガイド兼運転手氏は置き去り品をビニール袋に入れていたので、尋ねると「時々ある」、とあまり心配はしない「約束を破った者の責任だ私は、関係無い」と約束に対する日米欧の違いを学んだことを思い出した。

 

 −親切は社会を結びつける金の鎖である−  ゲーテ

 

 明日から、街で地理に困っている外国人には、従来以上に親切な道案内を続けようと再度誓うこととした。困っている外国人は、勤め先か新宿の三井ビルであるところから、週に二・三人は遭遇する。

 

Have you a nice day ! と別れる Thank you for your time you too.
の快感が何に増しても、海外渡航時の貯金のように思えて、つい声を掛けてしまう生活習慣は1964年以降です。