この冬、私はイタリアで新年を迎えた。ただの観光旅行ではない。イタリアのクレモナ
でヴァイオリン合奏をしてきた。「イタリアでヴァイオリン合奏」の顛末を中心にして、
イタリア・クレモナ紀行をご紹介させていただこう。
この旅は、私のヴァイオリンの師匠「ゆり先生(仮名)」の夢のようなプランから実現
した旅で、ゆりヴァイオリン教室(仮名)の10周年を彩る記念すべき合宿にしようと企画
されたものであった。
ゆり先生は、ここ数年、ゆりヴァイオリン教室の恒例行事となってきていたヴァイオリ
ン合宿をイタリアで開催した。ゆり先生の社会人の門下生の中にツアーコンダクターがい
たこと、我々門下生のヴァイオリンの調整をよくしていただいているK楽器のコーディネ
ート、イタリアに詳しくイタリア語にも精通していたM氏のご尽力により、この計画はす
ぐに具体化され、ヴァイオリン合奏、オペラ観劇、ヴァイオリン工房見学、が盛り込まれ
たツアーとして、13人でのイタリア・ヴァイオリン合宿が実現した。
「イタリア・クレモナの公式行事への参加によるヴァイオリン合奏」
イタリアで合宿を企画した理由の一つに、ヴァイオリンの故郷、イタリア・クレモナの
空気の中で演奏をしてみたいという素朴な願望が、ゆり先生や我々にあった。それは、た
とえば、公園の片隅でもかまわなかったのである。日本の感覚で考えれば、そういうこと
は勝手にやってしまえばいいと考えるだろう。しかし、諸外国では例えば公園で勝手に演
奏をしたなら、すぐに警察に捕まってしまう。しかも、演奏する曲によっては著作権が発
生し、著作権料を規定に従って払う必要がある。
このため、ゆり先生はツアーの取りまとめをしてくださった旅行会社の方々と智恵をめ
ぐらせ各方面への問い合わせと依頼を繰り返した。その結果、クレモナ市の商工会議所と
クレモナ中央商店街が主催するクリスマスウィークの一つの催し物として商工会議所が著
作権料を全て負担し(数万円かかった模様。感謝。)公共の場での演奏許可を取ってくれ
ることになり、イタリアの空の下での演奏が実現したのだ。
1.クレモナ市チェントロ(中心街)4月25日記念ガレリアにて「音楽の食前酒」
1月1日の夜18時、クレモナ市の中心に位置するアーケード街の小さな広場で、イタリア
・オペラの有名な曲をメドレーにした曲でプログラムを構成し、30分ばかりのミニ演奏会
を開催した。事前にチラシも配られ、それなりに聴衆が集まっていた。
演奏していて楽しかったのは、聴衆の反応である。好きな曲、知っている曲なら、一緒
にハミングして体を揺らし、ニコニコと聞いてくれるのだ。商工会議所の方々は新聞社に
も声をかけてくれていて、新聞記事として小さく掲載された(下)。お正月なので、着物
を着て演奏をした女性もいて、とおりすがりの現地の方々は始めて着物をみるのか目を丸
くし、「セニョーラ(女性への敬称、呼び方)、美しいねぇ(目がハート)」と好評だっ
た。
記事:La Provincia
(cremona版)より転載。(見出し)“ゆりヴァイオリンスクール東京の
「音楽の食前酒」4日に再演、昨日ガレリアにて日本人演奏家ら”○は筆者。
私の立ち位置である後ろ側は一段高くなっていたため、聴衆の様子がよく見渡せた。
記事の内容は、曲名とその演奏会の様子を紹介したものであった。一つ、大げさな表現
として、「このスクールは、10年前に創立され、美しい音楽の名のものと世界で演奏して
います。」というのがあった。つまり、英語でいえば”around the world”という表現が使わ
れていたのだ。確かに、日本とイタリアでは演奏しているものの、それを「世界で」と表
現するのが適切なのか?
ご愛嬌、ご愛嬌。クレモナの方からいただいたお年玉のようなものでしょう。
2.コムネ宮殿にて「音楽の朝」
クレモナ商工会議所には、再度の演奏機会を設定していただいた。我々は、そのため、
宿泊先のホテルで朝は合奏、夜は自主練習を行い合宿での練習に熱が入った。
1月4日の演奏会は、市庁舎として一部使われているドォウモ広場前のコムネ宮(博物
館 兼 市庁舎)で開催された。この演奏会は11時半から行われたため、イタリアでい
うならば「朝」時間だった。そのため、新聞記事は「音楽の朝となっている」(下、記事
を参照)。
聴衆には、後にご紹介するヴァイオリン製作のマエストロとそのお子さんたち、数日前
にレストランで雑談をしたときに「1月4日は聞きにいくよ」と約束してくれたお爺さん
(お孫さんを可愛がる、本当にいい人だった。グラッツェ、セニョーレ!)、もおり、暖
かく見守られた中での演奏となった。この時には、イタリア・オペラの楽曲に加え、日本の童謡やフォークソングも演奏した。聞きなれない曲でも真剣に聞いてくれている様子が伝わり、演奏していて感動した。ここは、建物の中なので、ヴァイオリンの調子も安定していて演奏しやすく、響きがものすごく良かった。
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←左の新聞記事:La Provincia (cremona版)より転載。
(見出し)“ゆりヴァイオリンスクール東京の演奏会
コムネ宮殿で音楽の朝”
↓下写真:左の新聞記事、下部の写真と同様の位置から撮影。筆者は右。左はスタンドパートナーのヒロナちゃん。後ろの旗は市の旗。王様が君臨していた時代のもの。
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ボローニャでのオペラ観劇 「シンデレラ」
写真:ボローニャ歌劇場で。 |
私はオペラを日本で見たことがなかったので、オペラ観劇デビューはイタリア・ボローニャになった。なんと思い出に残ることであろうか。
ボローニャ歌劇場は、ローマ教皇庁とボローニャ議会の財政援助を受けて1763年に開場した由緒ある劇場で、劇場内部はロココ調の装飾がなされ、天井から壁、床の細部に至るまで優雅な雰囲気をかもし出していた。
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ボローニャ歌劇場はイタリアの歌劇場の標準的形式である「ボックス」から舞台を見る
形式であった。一つのボックスには4つの椅子があった。しかし、前の柵に接している席
は3つ。1人は後ろに座る、あるいは、立つことでしか舞台を見ることはできない。困っ
た我々は考えたあげく3つの椅子に4人で座った。試した結果、3人がけの幅で4人が座れた
のだ。イタリア人なら、絶対に無理だろう。たぶん、向かい側のボックスの人々が我々を
指差していたのは、3人がけの幅に4つの顔が並んでいたのが不思議だったのだろう。
演目はシンデレラで全2幕。オペラのシンデレラは、ロッシーニが作曲したもので、筋
立ても我々が知っているのとは少々違う。ちょっとドタバタしたコミカルで楽しいオペ
ラである
オペラはまず序曲で始まる。我々の気持ちはオペラへの期待で盛り上がる。オーケスト
ラボックスをのぞくと、歌劇場に行く間に見かけたヴァイオリンケースを抱えて急ぎ足で
歩いていたロングの黒髪の女性がヴァイオリンを演奏していた。つまり、開演の30分前に
外を歩いていた女性がそこで演奏していたのだ。日本では考えられない。ノンビリ、結果
オーライなのだろう。
さて、いよいよオペラ歌手が出てきて歌いはじめて困ってしまった。始まる前までは、
上の写真、向かって左側の舞台の上に大きな電光掲示板があったので、英語の字幕が表示
されるに違いないと安心していたのに、電光掲示板にはイタリア語が掲示され、しかも舞
台は設定や役柄が現代に置き換えられていたのだった。音楽の雰囲気、オペラ歌手の演技、
表情、電光掲示されるイタリア語からの想像(時々、想像のつく言葉が表示される)、ど
う設定が置き換えられているかを一所懸命想像するしかなかった。それでも、オペラはす
ごい。だいたい筋立てがわかり、十分楽しめたのである。
幕間には、劇場内を歩き回り、歴代の作曲家の銅像やらの装飾を見たり、イタリア人の
音楽的な音のする会話を隣で何気なく聞いてみたり、イタリア人のファッションを観察し
てみたり、街中を歩くのとはまた違った楽しい時間を過ごせた。
「ヴァイオリン工房見学:Stefano
Trabucchi 氏の工房を訪ねて」
写真:ヴァイオリン製作の説明
をするトラブッキ氏 |
クレモナは、かのアントニオ・ストラディバリが工房を構えていた土地として知られている。街中には、ストラディバリ広場があり、街のいたるところにヴァイオリンのディスプレイが見られ、街のみやげ物屋にもヴァイオリンの模型がたくさん飾られている。かつて、クレモナの領主がヴァイオリン製作者を手厚く保護したことから、工房が増えたといわれている。
現在でもクレモナには多くの工房があり、ヴァイオリンをはじめとした弦楽器の製作が続けられている。ヴァイオリン製作者育成のための国立学校もある。クレモナの多くの工房が、ストラディバリの制作したヴァイオリンをモデルに製作しており、ヴァイオリンの歴史を紹介する市中のストラディバリ博物館(他の博物館と併設)では、ストラディバリが使用していた道具も見ることができる。博物館に展示されている楽器の多くが演奏できる状態で保管されており、定期的に演奏されているのも、他の博物館には無い特色である。
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我々は、K楽器のご配慮により、現地でヴァイオリン製作をしているトラブッキ氏の工
房の見学をすることができた。トラブッキ氏によると、ヴァイオリン製作で難しいのは糸
巻きの部分の渦巻きを掘る時で、ここを綺麗に仕上げれば、見た目も音も良くなるとのこ
とだった。300年以上もモデルチェンジ
をしていないヴァイオリンは、全ての構造に無駄
がなく意味があることを知った。
トラブッキ氏は、日本で開催されるヴァイオリンフェスティバルにも隔年でいらっしゃ
るとのこと。興味をもたれた方は、トラブッキさんのホームページをご覧ください。
小さい楽しかったことの連続だった旅
他にも、この旅は色々な楽しかったこと、思い出に残ったことが満載であった。
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ゆりヴァイオリン合奏団のマエストロ(主席演奏者、女性)は、自分の楽器の製作者
に現地で連絡を取ったら、製作者の方がかけつけてくれて話をすることができた。
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イタリアのレストランで、ハウスワインをカラフェで頼むと、全てが赤の微発泡ワインであり、これが、ピザやパスタの脂っこさと絶妙なバランスをかもし出していて、我々はそのワインのとりこになった。このワインを私はとても気に入り、日本に帰ってからは通信販売で同じようなワインを手にいれて時折楽しんでいる。
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隣のパルマ市の生ハムが多く出回っており、本当に美味しかった。
○
赤オレンジのジュースはトビキリの美味さであった。
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エスプレッソをはじめとしたコーヒーは、どこにいっても美味しかった。
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チーズは、トビキリのウマさであり、軽いものから重いタイプのものまで、飽きなか
った。
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ピザもパスタもウマかったが、イタリア北部に位置するクレモナはリゾットが絶品で
あった。
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イタリアの人たちは、表情豊かで何を伝えたいのかがわかることが多々あり、我々は
イタリア語がほとんどわからないにもかかわらず、旅の終わりには仲間で“勝手”同
時通訳をして楽しんだ。
旅は、ほとんど滞在場所を移動しない一ヶ所滞在タイプと、様々な土地をどんどん移動
する周遊タイプがあるように思う。私の場合には、今回の旅を体験したことによって、長
めに一ヶ所に滞在して、その土地をとことん楽しむことが合っていることがわかった。
もし、また、ゆりヴァイオリンスクールの“世界をまわっての演奏会”があれば、また
参加したいと思う。
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