北京便り(8)

 

                                 国際情報専攻 4期生  諏訪一幸

   

 

 日々変化を続け、国際社会に対する影響力を拡大しつつある中国ですが、そのような中国の「民主化」について語られることが最近増えてきています。今回の「便り」は、昨年12月に北京市で行われた人民代表選挙の見学後記です。

今回行われたのは、北京市管轄下にある各区及び県の人民代表大会代表(わが国で言えば、区議会議員のイメージ)を選出するための選挙です。これは5年に1度行われるもので、12月10日を最大の山場として、6日から15日にかけて実施されました。6,748名の候補者から4,403名の代表が選出されたので、平均競争倍率は1.53倍ということになります。これとは別に、95.3%という数字も紹介されました。何と投票率です。驚異的な高投票率は、中国の選挙に見られる大きな特徴の一つです。

今回は、見学などを通じて確認できた、中国の選挙に見られる制度的特徴を中心にまとめることに主眼を置いていますが、その前に、「候補者の名称」問題に触れておきたいと思います。 

中国の選挙では、選挙に至るプロセスの前段階と後段階とで、候補者名称が異なっています。候補者は当初、「初歩的代表候補者」と呼ばれるのが一般的なのですが、今回の選挙では4万人余りの初歩的代表候補者が「推薦」されました。市の関連規定によると、初歩的代表候補者は「政党や人民団体の連名或いは単独の推薦によるか、或いは、10名以上の有権者の推薦による」となっています。この初歩的代表候補者の中から選出されるのが、選挙の洗礼を実際に受ける「正式代表候補者」です。彼らは、「各選挙区の正式代表候補者数は選出すべき代表数の1.33倍から2倍」という規定に則り、「各選挙区有権者による民主的協議」と「多くの有権者の意見」を基に確定されることになっています。

投票に至る過程で確認できた特徴としては、次のようなものがあります。

選出されるべき代表の構成比率に一定の「目安」が事前に設けられている点が第一の特徴です。今回の選挙では、「共産党籍を有する代表は代表者総数の65%を超えない」、「女性代表は28%より低くない」、「35歳以下の代表は8%より幾分多めにする」、「短大(大専)卒以上の高学歴者代表は84%より多くする」、「政党や人民団体の連名或いは単独の推薦による代表は20%を超えない」などの基準が設けられていました。私は、上述の「民主的協議」が誰の主導によって、どのように進められるのかに強い関心を抱いています。その実態は残念ながら明らかにされていませんが、ここであげたいくつかの目安に基づいて、このような協議が行われていることだけは確かだと思います。

第二に、「自由な立候補」が実は認められていないことに関連する問題があります。わが国の各報道機関は、「今回の選挙では独立候補者が現れた」と、お手盛りだった中国の選挙にも自由化の波が押し寄せていることをとりあげ、これを強調していました。この「独立候補者」とは、共産党組織などの「他薦」によるのでなく、専ら自らの意思で立候補を表明し、10名以上の有権者の支持を獲得した「自薦による初歩的代表候補者」のことです。

中国の報道機関によると、23名(一説では24名)の独立候補者が初歩的代表候補者として立候補しましたが、文言上はほぼ自由な(初歩的代表候補者としての)立候補も、実際にはそれほど自由ではないようです。根拠は次の2点です。第一に、独立候補者の一人が私に語った裏話があります。彼によると、「初歩的代表候補者として立候補するためには、有権者10名の推薦があればいいということになっている。しかし、自分の所属する選挙区の管理委員会は、『10名とは、有権者であれば誰でもよいというわけではなく、立候補希望者と同じ有権者グループに属する10名でなければならない』と、いちゃもんをつけてきた」というのです。第二に、私が見学した2つの選挙区での実践方法です。それぞれの選挙区では、「有権者代表者会議を2回開催し、有権者グループ代表10名の連名により」、或いは、「有権者による民主的協議、選挙区工作組長・副組長会議、招集人会議、有権者小組会議等を開催し、有権者10名以上の連名により」、初歩的代表候補者が選出されていました。

23名のうち果たして何名が「民主的協議」などのハードルをクリアし、正式選挙に臨むことができたかは、実は明らかになっていません。ただ、中国側の報道によると、最終的には2名(或いは3名)の独立候補者が晴れて代表に当選したようです。彼らが今後、どのような「独立」した活動を行うのかに注目していきたいと思います。

第三に、「一票の格差」に関連する問題です。私が見学した2つの選挙区を比較すると、有権者2,814名の選挙区から3名の代表が選出されたのに対し、有権者4,064名の選挙区の定員はわずか1名だったのです。中国(少なくとも北京市)においては「1票の格差」はあまり重視・問題視されていないようです。

次に、投票現場を見学して感じたことを記したいと思います。私は、当選させたいと思っている候補者をほぼ予定通り当選させることのできる共産党の選挙システムの実態を目の当たりにし、大いに驚き、そして興奮しました。

投票所に到着すると、その入り口近くで、ある音楽に合わせて踊る20名ほどの老婦人グループの姿が目に飛び込んできました。その音楽とは、中国の人なら誰でも知っている「共産党がなければ新中国もない」でした。たあいもない光景ですが、当局の意図するところがはっきりうかがえるものでした。

第二に、候補者紹介の仕方です。私が見学した選挙区は2名の候補者から1名を選出する小選挙区でしたが、投票所入り口脇に掲示された2名の略歴の内容及びスタイルからも、当局の意図を読み取ることができました。候補者A氏は、選挙区が所属する地区にある共産党組織、従って選挙作業を指導する立場にある組織のトップ(党委員会書記)でした。そのA氏に関する紹介は、「A同志は云々」と、権威ある第三者がA氏を推薦する文体で書いてあったのです。これに対し、非共産党員とおぼしき候補者B氏についてはそのような主語もなく、また、A氏に比べて若いという要素を差し引いても、その紹介内容は驚くほど簡単なものでした。

最も驚いたのは、投票結果を誘導する上で、「代書処」係員なる人物が決定的役割を果たしていたことです。投票所に入った有権者は、投票用紙を受け取ると、「代書処」で用紙に記入するよう指導されていました。「代書処」と書かれた場所を目にした時、私は、「首都北京でも代書係をおかなければならないほど、中国の教育水準は低いのか」とショックを受けたのですが、実はこの代書処係員、その役割は、文盲者の手助けをすることにあるのではなかったのです。彼には3つの役割がありました。第一の役割は、有権者に投票方法を説明することです。その説明とは、党書記であるA氏の名前を指しつつ、「代表として適当と思う候補者の名前の上には○を」、B氏の名前を指しつつ、「適当でないと思う候補者の名前の上には×を」というものでした。実際、私が観察している間に投票したすべての有権者は、係員のこうした説明を何ら抵抗なく受け入れ、候補者A氏に○をつけていました。第二の役割は、有権者にA氏を推薦することです。投票所にやってきた有権者の多くが候補者の名前すら聞いたことがない、といった様子の人々だったのですが、くだんの係員氏は、「A候補は有権者のために仕事をする人物だ」などと、同候補を盛んに推薦していました。第三の役目とは、有権者に代わってA候補に○を付けることです。少なからぬ有権者は、2人のいずれが当選しようと全く関心がないといったように見受けられました。そのような時、係員氏はエイやと自らペンを取りあげ、A候補に○を付けるのでした。

勿論、A候補が当選しました。同選挙区選挙管理委員会関係者によると、彼の得票率は何と98%にも達したそうです。

第四に、「代理投票」の実態です。代理投票制度は高得票率を確保するための手段と考えられますが、投票所内に貼られた説明書によると、何らかの理由で投票にいけない有権者の便宜を図るため、その親族などは、委託書とともに、最大3名までの代理投票を行うことができるとされていました。しかし、選挙当日、委託書を持参した有権者は見あたりませんでしたし、ある老人は、「家族全員の分」と称して、一人で5票も投票していました。老人が代書処係員の指導に従い、A候補の名前の上に5つの○を付けたのは言うまでもありません。

第五に、有権者は候補者を良く知らないままに投票するという実態です。投票所で配布された資料によると、12月8日までに「対面式」(有権者代表を前に候補者が自己アピールするという、「中国的立会演説会」)を行った選挙区は、北京市全選挙区の僅か3分の1に止まっていたというのです。このことから、多くの有権者が候補者の人となりを知ることなく投票を行ったであろうことが想像されます。代書処係員の指導に有権者が従順に従う背景には、政治への無関心以外に、このような制度的要因も存在するように思われます。

最後に、当局は秘密投票制度を推進しようとしていますが、実際の投票が極めて「オープン」だった点です。その背景については、二つの考えかたが可能かと思います。第一に、「中国の基層レベルでは秘密投票を当然視する意識が未だ育っていない」とする見方です。私が訪れた投票所には、他人の目を遮ることのできる「秘密写票処」が設けられていましたが(ただし、一ヵ所)、利用者は一人もいませんでした。また、秘密投票場所の設置場所を訪ねる有権者もいませんでした。第二に、「オープンにせざるを得ない理由があるのではないか」との考えかたです。一般的に言って、都市部の住民は人民代表選挙などに余り関心がありません。そのような人々の投票結果を当局にとって望ましいと思われる方向に誘導するためには、代書係制度の導入などによってオープンにせざるを得ない、と考えることはできないでしょうか。

私は、今回の人民代表大会代表選出選挙で、共産党は強い指導力を発揮し、選挙という制度を通じて、党としての意思を国家意思に転換することに成功したと考えています。投票結果は、事前に設定された代表構成比率の目安を概ね満足させるものでした(「女性28%以上」の結果は32.5%、「35歳以下8%以上」は11.5%、「高学歴者84%以上」は79%、「政党・団体推薦20%以下」は16.8%。「共産党員65%以下」については不明)。ただ、詳細に観察すると、党のコントロールが効いていない部分や、中国の人々が決して「政治第一人間」ではない点も確認できました。最後に2つのエピソードをご紹介したいと思います。

エピソード1。報道によると、2,336選挙区中の34選挙区で、第一回目の投票において規定数の代表を選出することができなかった(つまり、有効投票数の過半数を獲得した候補者が定員数を満たさなかった)ため、再選挙が行われたそうです。実際、私は、2名の候補者から1名の代表を選出する某選挙区において、「いずれの候補者も投票総数の過半数の賛成票を獲得できなかったので、12日に再投票を行う」と書かれた通知が掲示されているのを確認しています。

エピソード2。私は、市内のある投票所で、次のようなやりとりを耳にしました。

係 員:(投票所の前を素通りしようとした知人を見つけて、)「投票しない 
     の?」。有権者:「しない。適当に書いといて」。

係 員:「OK」。

政治に対する無関心さ、選挙管理の杜撰さを物語るこの光景、このやりとりに、私は思わず吹き出してしまいました。

変わる中国、変わらぬ中国。深刻な問題を数多く抱えながらも、結果オーライ路線をバク進する中国。何でもありの中国は、秩序と混乱で織り成された一大世界でした。

                  
          写真1                                                       写真2

(写真1が「秘密投票箱」、写真2の中央男性が「代書処」係員です。2枚の写真は駒見一善氏からご提供頂きました。なお、2月12日、私は3年半近くに及んだ北京生活を終え、帰国しました。「北京便り」も、これが最後となります。長らくのお付き合い、ありがとうございました)。