不思議の国のアリスまたは哀しいキャリア

 

                             人間科学専攻 2期生・修了 笹沼 正典
                    
現在、シニアSOHOメタキャリア・ラボ代表

    

   


 
ルイス・キャロルが語るアリスのお話は、アリスがお姉さんの膝のうえで見た夢のなかのファンタジーです。ですから、お話が終わる頃には、夢が覚め、ファンタジーは融けてアッと言うまに現実に反転します。不思議の国のアリスは、不思議の国にいることによって、ここでお話するもう一人の少女のメタファーとなりえていますけれども、こちらのお話はけっして覚めて融けてしまうお話ではありません。こちらとは、現代の日本です。

 それにしても、金子國義が描くウサギは、短めのフロックコートにベスト、立ち襟のカラー、手に扇子、小脇に傘、といういでたち。アリスは“めずらしさにかられて”ウサギの後をついていったとしても、何の不思議もありません。こちらの少女だって、時々見かける大人たちの世界に興味津々、つい誰かの後をついていきたくなったりします。ウサギ紳士が、幸せで平和な日々の裏側にひそむ、少女の知らない別な世界へ少女を引き摺りこむお使いであることも知らないで!アリスがウサギの穴に入り込んだとき、こちらの少女も未知の大人の世の中に飛び込みます。

 アリスはウサギ穴から落ちます。“ぐん、ぐん、ぐうん、落ちること、落ちること”なんという失墜感でしょうか。底なし。たぶん、こちらの少女にとっても、少女から大人になるときは底なしの失墜感を味わうのでしょう。

 で、アリスは、きれいなお庭が覗ける広間に辿りつきました。早くきれいなお庭に行きたい。でも、そこへ行くには、“かわいらしい小びん”に入った“wonder”を飲まなければなりません。小びんには“ワタシヲオノミ”というラベルがついています。アリスは“あっというまに飲み干してしまい”体が縮んでいきます。かと思うと、今度は“ワタシヲオタベ”と書いてあるガラス箱のなかのケーキを食べて、体がのびてしまいます。“なによ、泣いたってどうにもなりませんよ、きっと泣き止みなさいって!”とアリスは自分にぴしゃり言いきかせたのです。こちらの少女も、綺麗に見える大人の世界に落ちていくとき、たくさん美味しいものを食べ、幾度か変身し、走っていきます。ときに、自分のことをしかり、泣きながら。

 しかも、アリスはたった独りです。そうです、ここから、アリスの独りきりでけな気な旅が始まります。そのとき、アリスは、“いったいぜんたい、あたしは誰なのかってことよ” と叫びます。こちらの少女だって、最初の問いを自らにかけます。私は誰なの?、と。
すると、アリスは再び叫びます“あたしってのは、あたしなんだから、すると、あーあ、ややこしいたらありゃしない!” そうです、自同律の不快という感情です。

 こちらの少女は、いまから、大人のオトコの世界のなかで、仕事とかかわりながら、少女から娘に、娘から妻に、妻から母に、母から嫁に、という恐ろしくもそこ以外には行き場のない独りぼっちの道行をはじめるところなんです。しかも、道行のはじめのところに、このややこしい自同律の不快感があるというわけです。

 “チェシャ州のおネコさま、あのう、わたくし、ここからどの道を行けばいいか、教えていただきたいんですけど”アリスは自分では何処に行ったらよいのか分らず、ネコさまに訊きます。実は、悲惨なことに、こちらの少女もまた、この世のなかで自分の行き先を自分で決めることができません。それどころか、肝心の少女自身が自分の行き先を自分で決めてはいけない、あるいは決められない、と思い込んでいる節があるらしいのです。なんということでしょう!

 ネコさまの答え“そりゃ、あんたがどこに行きたいか、によるわな”そうなんです、“どの道を行けばいいか”は、“どこに行きたいか”が決めるのです。けれども、アリスまたはこちらの少女は、“どこに行きたいか”が分りません。どうしてかっていうと、やはり“あたしってのは、あたしなんだから”としか言えなかったからです。

 “どこだっていいですけど・・・どこかへ行きつけさえすればね”と言い放ったアリスとは、この辺りでこちらの少女はお別れしなければなりません。

 サヨウナラ、アリス! 私は、独りで哀しいけれど、自分らしさを発揮できそうな道を自分で決めて、大人のオトコの世界のなかを一歩一歩、歩いていきます。        
                                  (未完)


(注)使用テキストは、矢川澄子訳『不思議な国のアリス』、新潮文庫、H62