プロローグ
生あるものは、必ず死す。 形あるものは、必ず滅す。 パソコンは、必ず壊れる。 ……そう、パソコンは、壊れるのだ。
第1章 前兆
「いつか来るとは思っていたが、今日来るとは知らなかった」というのは、確か映画「地震列島」(1)のコピーだったと思う。
実のところ、盗難か落下事故のようなことにでもならない限り、いまどきのパソコンが前触れなしに全く使用不能になることはそうそうあるものではないと思っていた。 私自身が最悪の事態に直面したのは過去に一度だけである。1991年、生まれて初めて、それも交換留学先で使っていたパソコンのハードディスクが、いきなり読めなくなってしまったのだ。まだバックアップの何たるかもろくに知らなかったころで、書きかけの卒論が読み出し不能になってしまい、目の前が真っ暗になったものである。結局ハードディスクを日本から取り寄せて交換したが論文の方は打ち直しとなった。ちなみに復旧後に慰めのメールを送ってくれたのは、交換留学担当で、後に国際課に就職した私の上司にもなった、現在の大学院事務課長殿であった。思えばあの瞬間に今の私の人生が定まった……のかどうかは定かではない、が、先が長いのでこの話はまた機会があればにしよう。
今回も、前触れはないわけではなかった。前に使っていたノートパソコンが、ディスプレイのヒンジ部分に亀裂が入ったり、ハードディスクから異音が聞こえたりもしはじめたので、昨年暮れに思い切って、かなり贅沢なクラス最上級モデル(IBMThinkPad X31(2))に乗り換えたのだ。ところが新機の方も乗り換え当初から通信関係の調子が悪く、どうしてもすぐネット接続が切れてしまう。いろいろ調整してみたが、どうしても原因がわからなかった。今にして思えばあれも前兆の一つだったに違いない。 大地震の後になって調べてみると、地震雲が出ていたとか動物が奇怪な動きをしていたのが報告されるというのと同じで、前兆は確かにあったのだが、実際に災厄が発生するまでは、なかなか気づかないものなのである。
第2章 突然の破局
1月末のある日、パソコンを使用中にいきなり電源が落ちてしまった。 とりあえず再起動すると、しばらくは動いていたが、また落ちてしまう。
起動時に呼び出せる自己診断プログラムでテストしても、その場は問題なしとの結果が出たので、これ以上面倒なことにならないうちに最新データのバックアップも取るべく、再起動しようとする。ところがまとまったことができないうちにまた落ちてしまい……次にはついに、Windows
XP が起動画面の途中で止まるようになって、どうにも立ち行かなくなってしまった。 Windows
のシステム起動部分のファイル構造が傷ついてしまったらしい。 こういう場合、Windows 9x 系 OS(Windows 95, 98,
Me まで)だと、復旧作業は比較的簡単である。ただし、復旧作業が簡単なだけでなくデータが復旧不可能なまでに壊れるのも比較的簡単だから、業務用では
NT 系(2000, XP)が好まれるのである。ちなみに市販のユーティリティの類では、これら Windows NT 系列の OS
が使うデータ形式(NTFS と呼ばれる)のディスクのエラー復旧はできないのが普通である。
こういう場合、運がよければ、Windows XP の CD の「回復コンソール」(3)という機能で復旧させることができる場合もある。だが最近のパソコンは、復旧の手間を省くために「リカバリーCD」とか「リストアCD」と呼ばれるものが付いていて、Windows
XP だけでなく付属ソフトなども含めて工場出荷時の状態に一気に復旧する方式が最近では一般的だ。ThinkPad
について言えば、ハードディスクの一部に(通常の Windows 使用時には見えない)区画を作ってそこにリストア用のデータを格納しているため、その
CD
すら付属していない。 いずれにせよ、この機能を使ってリストアすると、それまでに導入したソフトウェアも自分で保存したデータも、跡形もなく吹っ飛んでしまうので、それでは困る。 とりあえず
Windows XP のパッケージを買ってきて(税込み 35,000
円弱)、回復コンソールを試してみる。これでハードディスクが読めてくれれば、回復の望みは十分にある。 ……が、今度もハードディスクの読み込み途中で止まってしまう。
第3章 復活と暗転
ここで、全く読めない、というのであれば、素直にあきらめていたかもしれない。だがとにかく途中までは読み取れたために、こちらも意地になって次の手を探った。既に死にかけていた一つ前のパソコンを再度引っ張り出し、ネットでほとんど一昼夜検索して回った結果、NTFSDOS Professional(Winternal 社)(4)という、プロ仕様の復旧作業用ソフトがあることを知る。これは、一昔前の
MS-DOS と組み合わせることで、普通なら DOS からではアクセスできない NTFS
のドライブへのアクセスを可能にするという代物である。 ところが更に情報を追いかけていくと、なんとこの NTFSDOS
Pro、故障発生の直前、1月26日に日本では販売が終了していたのだった!
……繰り返すが、こうなってくるともう意地だけである。「おたく」と呼ばれる人種の人間がこの状態に陥ったときに、その行動に論理的な整合性を求める行為は全く意味がないので、やめた方がよい。
という訳で、店頭在庫を求めて翌日は一日かけて秋葉原を探し回り、ついに件のソフトを入手する。税込みで5万円強であった……って、この間買った
XP
と合わせたら、安物のデスクトップなら1台買えてしまうじゃないの……という良心の声も一応は聞こえたが、毒も食らわば皿まで、ついでに載ってるテーブルまでかじり倒す勢いで買って帰る。
部屋のガラクタの中から
PC-DOS 2000(IBM 製の、2000年問題に対応した
DOS)を探し出し(このガサ入れにまた1日を費やす)、フロッピーディスクを挿入してパソコンを立ち上げ、NTFSDOS
を読み込んでやると、見事アクセスが可能になった! こんな感動は、初めて壊したハードディスクを交換してパソコンを再起動して以来かもしれない。
添付の
NTFS ディスク修復ソフトでチェックして異常を発見、修正して再起動。 今度は見事に Windows XP
が立ち上がった……が、とりあえず前回バックアップ後に更新されたデータを回収するところまでは成功したものの、数時間するとまた挙動がおかしくなり、まぁとりあえず目的は達成したので、しょうがない、きれいさっぱりリストアしてソフトを入れなおすところから始めるか、と、一度 Windows を終了した。
そして再起動……
……しない。
……おやすみなさい。
第4章 更なる悲劇
翌日、というか、前日は明け方まで作業していたので、昼前におもむろに起きだしてくる。おかげさまで、この一件ではすっかり「引きこもり」モードになってしまった。
再び電源を入れると……今度は
Windows の起動画面どころか、その手前の段階で起動プロセスが止まって画面が真っ暗になっている。
あー、こりゃ今度こそ「入院」か? と思いつつも、「ダメもと」でごそごそと原因追求を再開する。 今にして思えば、ここでさっさとあきらめて修理に出した方が時間のムダは少なくて済んだのだが、被害が拡大するときというのは、そういうものである。
精密ドライバで裏ぶたを開き、取り付けられている増設メモリ(512MB=メガバイト×2枚)を取り付け取り外し、逆のソケットに差し替えて、そのつど再起動を試み、起動画面からアクセス可能なメモリテストを行う、という作業を繰り返し、メモリ2枚のうちの1枚が死んでいることを確認する。
メモリが死んでしまったのは残念だが、ユーザーが交換可能な部品の故障であれば、IBM
の場合、保障期間中なら修理センターに連絡して交換部品を送ってもらい、自分で交換する、というサービスがあるので申し込む。フル装備では合計 1GB
のメモリを載せている訳だが、半分の 512MB
でも日常の使用には処理が遅くなるくらいの問題しかないので、「入院」させずに済んだとほっとする。
自前のサイト内に倫敦漱石記念館(5)のコンテンツを引き取って管理し、またJAFSA(6)のネットワーク管理(メーリングリスト管理と
Webmaster)も担当する私のアドレスには、毎日1,000通単位でメールが着信しているが、折悪しく MIMAIL だの MYDOOM
だのといった PC ウイルス(7)の流行期ともかち合ってしまったため(ゆえに動作がおかしくなった当初は私自身もウイルス感染を疑った)、通信途絶の数日の間に、あっという間に着信メールが数千通を超えてしまった。既に契約したプロバイダのメールボックスのひとつ(通信ルートを確保するため2社と契約している)が溢れるほどのメールの山(大半はダイレクトメールの類)ができあがっていたため、通常の管理業務への復帰を急いだのが、思えば仇になった。
交換部品は、幸いパーツセンターに部品が残っていたため、週末をはさんだがまぁ我慢できる程度の日数で届いた。
実はこの間にも、この後の悲劇の予兆はあった。最近の高解像度のパソコンには、表示をスピードアップするため、「グラフィック・アクセラレータ」(ディスプレイ・アダプタ)と呼ばれる部品が積まれているが、どうもそれが機能したりしなかったりするようで、起動するたびに設定が変わってしまう。まぁ、完全に故障であればそもそも
Windows 側で検出自体ができなくなるはずなので、交換部品が届いたら Windows
を入れ直せば決着するものと……そのときは思っていた。
もちろんその判断は、甘かったのである。
配達されてきた交換用メモリをスロットに刺して再起動。自己診断テストもクリア。Windows 起動。ネット接続もOK、さて、Windows
を早いところ入れなおして、このゴミメールの山を何とかせにゃ、と、ごそごそ作業を始めたところで……。
……再び、電源が落ちた。
再起動……しない。 ……。
第5章 死闘
とりあえずひと寝入りして、再びパソコンに向かう。
もちろん、人間様と違って、パソコンは自然治癒はしてくれないので、起動しない状況は変わらない。
またまた、メモリを抜いて、刺して、入れ替えて、テストしてみる。
事ここに至って、ようやく事態の全容が明らかになった。 メモリが単独で故障したのではなく、メモリを差し込む本体のソケット側に問題があり、それが原因でメモリが死んでしまったのだろう。
本体側は完全に故障した訳ではなく「接触不良」状態だったため、故障してしまったメモリさえ外せば起動した、というのが真相であったようである。
保証期間中なので、電話申し込みによるクーリエサービス(宅配便で無料引取り、修理センターで作業完了後無料で配達)という方法もあるのだが、最低でも往復各1日ずつ余分に必要になることを考えるともうこれ以上ロスタイムを出す訳にもいかず、翌朝一番で、IBM
の修理センター(芝浦ふ頭)に直接持ち込む(ちなみに筆者は横浜市民である)。
「修理にはどのくらいかかりますか?」 「とりあえず標準で10日ないし二週間ほどお預かりすることになります。交換部品があればもっと早くなる場合もありますが……」
「なんですって!?」
窓口の女性の返事がマニュアルに則ったものであることを承知で、日本人の感覚ではマンガチックに思えるほど大げさにやり返す私は、かなり嫌な客であるが、こちらも背に腹は代えられない。
「まったく、Apple だってやってるのに、何で IBM にはクイックガレージ(8)がないんですかっ! せめて修理に何日かかるかだけでも分かりませんか!
本当に10日もかかるなら、こっちは代わりのパソコンをどこかで調達してこなければ、仕事にならないんだから!」
ちなみにこんな調子でねじ込む私は、きっとこうなるだろうと思ったのでスーツを着こんできており、いかにもやり手のビジネスマン風……に見えたかどうかは定かではない。
とりあえずその場はその程度で切り上げ、芝浦まで来たついでにお台場まで足を伸ばして用事をすませ、昼食の後再び押しかける。
「お台場で一仕事してきた帰りなんだが、どうなりました?」 「うるさい客モード」全開で現れた私の殺気立った様子に、カウンターの後ろの方で人の流れがあわただしくなる。
このやり方は、イギリス留学中に何度かやる羽目になったため身についてしまったたものだ。すなわち、「別に君のせいにするつもりはないが、でも納得できる答えを聞くまでは、私はここを動かんぞ」というオーラを立ち上らせてねじ込むのである。 顧客を平然と待たせ、スーパーでレジに行列ができても応援が来ることなど絶対にない(!)イギリスでは、ここまでやっても取り付く島もないケースの方が多い位なのだが、日本でこれをやられては、妙齢の受付嬢ぐらいではひとたまりもない。
やがて、 「症状は確認できたのですが、必要な部品をいまパーツセンターから取り寄せ中でして……」
「で、修理にはどのくらいかかるんですか?」
「部品が午前中に届いて、大至急の扱いでやれば、その日の夕方にはお返しできるのではないかと」
その場に部品がないのでは、これ以上居座っても仕方がない。
「では、そうしてください。とりあえずまた明日電話します。修理完了後は、配送ではなく直接受け取りに来ます。時間がもったいない」
翌朝、朝一番でセンターに電話。
「クレーマー」一歩手前(そのもの?)であるが、とにかくまともに動くマシンがないのでは、こちとら商売あがったりなのは嘘でも何でもない。JAFSA
のネットワーク管理もさることながら、出す予定だった原稿一本、このトラブルのおかげであきらめたのだ。金をもらう仕事でも、単位が絡むレポートでもなかったのは、唯一不幸中の幸いだった。
矢のような催促の甲斐があったかどうかは定かではないが、電話したこの時点で「本日午前中にパーツ到着予定」との確認が取れ(このあたり、IBM
の流通管理はさすがである)、午後には「修理完了」の連絡があり(どうやら本当に他の修理をすっとばして超特急で仕上げたらしい)、窓口時間の終了間際に引き取って帰ってきた。考えられる限り最短コースではあった。
第6章 復活の日
再び動作試験。今度こそ一発で Windows
が起動し、おかしかったディスプレイアダプタも完全動作が確認された。インターネット接続の不具合も解消されたように見える。
ただ、やはり何度も「落ちた」ときにシステムが傷ついたようで、エラーメッセージが折々に出て気持ち悪いので、結局 Windows
を入れなおす。
丸ごとフォーマットするのではなく、「In-Place
Upgrade」(いわゆる「上書きインストール」)を敢行。 ハードディスク内にある Windows
のバックアップファイルを使い、セットアップをやり直す。これならば丸ごとフォーマットするわけではなく、既にインストールされたソフトや設定は生き残るので、多少は手間が省ける。ただし、再インストールした時点で、「セキュリティアップデート」の類は全部無効になってしまうので、「Windows
Update」は全部やり直し。放っておけば、メールを受信せずともインターネットにつないでいるだけで感染する、悪名高い Blaster
などのウイルスにあっという間に感染してしまうので、このステップは飛ばせない(9)。
このあたりの作業にも相当時間を取られ、またメールソフトの自動振り分け設定のファイルが傷んでしまったらしく、「入院」の間にメールボックスに着信していたメール数千通が全部受信箱に入ってしまって振り分けが効かなくなったため、設定の復旧や「ゴミ処理」でまた時間を無駄にした。 「ゴミ」の大半は英文のダイレクトメールなのだが、ホームページや
Web の管理人、それも JAFSA
のような海外も相手にする組織や、在ロンドンの漱石記念館のネットワーク担当をしている以上、たまには英文で業務関係のメールがくることもあるので、「見ないで捨てる」という訳にもいかないのだ。
第7章 戦い済んで日が暮れて、夜も明けて
以上が今回の大騒動の顛末である。以下、上記から得られた教訓と対策について、併せて報告しておきたい。まったく、こんなことが博士論文の追い込み中にもう一度起こったら、えらいことである。
データのバックアップは取っていた。だが、バックアップ専用のソフトを使用してデータを保存し、いざというときに復旧する、というのは、復旧する先のマシンがあってこそ意味がある。今回のように、復旧しようにもマシンがない、というのでは、即時の復旧は望めない。
これがデスクトップのパソコンであると、Windows
や各種ソフトウエアが入っているハードディスクとは別の場所(一つのハードディスクを複数のドライブに分けるのではなく、最初から別のハードディスク、の意)にデータを保存して、本体が壊れたらデータのハードディスクだけ繋ぎ換える、という手もある。
また、職場でパソコンを使っている場合には、「RAID」と呼ばれるシステムを導入して、データを保存するときに同時に二つのハードディスクに記録するようにし(ミラーリングという)、メインのドライブが壊れてもサブに切り替えられるようにしている事業所も多いだろう。 だが通信制大学院から貸与されるものも含めて、ノートパソコンには通常ハードディスクは一つしか付いていない。
対策としては、まず、データの保存方式を切り替えた。 これまでバックアップ用には、本体と同じサイズ(現在は
80GB=ギガバイト)のポケットサイズ(持ち歩き可能タイプ)のハードディスクを買ってきて、バックアップ専用のソフトでハードディスクの内容を丸ごと保存する、というやり方を採ってきた。この種のソフトは通常データを独自の形式に変換して保存先に転送する、という方法で、バックアップの高速化を図っている。
だが、マシン本体が故障してしまった場合には、別のパソコンにバックアップを丸ごと復旧しようとすると、さまざまな不具合が生じることになり、うまくいかない。そもそも復旧先にも同じバックアップソフトを入れてやらないと、データを取り出すどころか中身を確認することすらできない。
そこでこの一件以後、データのバックアップには「MediaKeeper」(株式会社コム)(10)というソフトを使用している。 このソフトの場合、ファイルの形式やディレクトリの構造をそのままコピーし、また、「ミラーリングバックアップ」が可能なので、元のデータが変更されたときには、バックアップ先の該当ファイルにも反映される。また、コピー元で削除されたデータはコピー先でも自動的に削除される。
このような方法で、使っているパソコンの
C:\Documents and Settings\*****
(***** は Windows
にログインするときのユーザー名)
を、外部のハードディスクに保存しておけば、極端な話、本体が盗難や全損事故で跡形もなくなっても、まったく別のマシンを調達してバックアップディスクを繋ぎ、そこからデータを直接読み出してやることで、とりあえずの作業はできる(データ編集に必要なソフトを追加でインストールする必要はあるかもしれない)。おそらく、仮復旧までのロスタイムは、この方法が一番小さいだろう。
併せて、「ファイルと設定の転送ウィザード」(11)で、インターネットの接続設定などもコピーしておき、必要に応じて書き戻せるようにしておけば、より確実である。
ただ、これでもバックアップとバックアップの間には谷間が生じるので、その時間を極力小さくするためには、擬似 RAID
というか、常時稼動するミラーリングが有効である。そのためのソフトとしては、ディレクトリミラーリングソフトウェア「御鏡」(おかぞ〜)(12)を導入してみた。 このソフトを
Windows NT
系のパソコンに導入し、設定してやれば、指定したハードディスクに書き込まれたデータを、外付けハードディスクにも自動的にかつほぼ同時にミラーリングしてくれるので、ノートパソコンで使用した場合でも、家なり職場なりを出る最後の瞬間までのデータのコピーが別ドライブにも残る。これならかなり安心感が増すし、何より「そろそろバックアップしないとまずいよなぁ」という脅迫観念から開放されるのがありがたい。
ノートパソコンで使用する場合は、外付けディスクを付けたり外したりになるので、たまには(寝ている間にでも)MediaKeeper
でまとめてミラーリングしてやると、コピー不完全なデータがあれば自動的に修正されるし、それでも失敗した場合にはエラーメッセージが残るので、後で原因を確認できるので、更に確実かもしれない。
ただし、上記の手法は手元にすぐにドライブを接続できる予備機がないと意味がない。そこで、既に半死半生だった乗り換え前のパソコンを、予備機として確保するため修理に出している(既に保証が切れているので数万円取られそうだが……)。
また、手元に一台も
Windows が動いているパソコンがなくなってしまった間に(禁断症状が出たという説もあり)、いつかは勉強しようと思ってできずにいた linux
を、更に昔に使っていて、今も動くが XP
で使うにはパワー不足なマシンを引っ張り出してきて導入してみた。とりあえずインターネットに繋いでメール位はできるようになっている。こちらも一段落するまでにかなり悪戦苦闘したが、それを書き出すとここまでと同じくらいかそれ以上の長さの文章を追加しなければならなくなるので、もう少し勉強してから、また別の機会があればお話させていただこうと思う。
エピローグ
以上が今回の「奇跡の生還」の顛末である。最初のクラッシュから現在まで、悪夢のような1ヶ月弱だった。 取り返しのつかない論文関係のデータの欠損こそ回避したが、今も期間中にできなかった作業のしわ寄せに悩まされている。もう1週間故障発生が早かったら後期のレポートが吹っ飛んでいたかも知れないし、もう1週間遅ければ、この原稿が掲載されることはなかったろう(!?) そう考えれば、まだ運がよかった。
だが、運が悪いときでも最悪の事態だけは回避しないと、通信制大学院生としてはみっともないどころか、事によっては学位取得を棒に振りかねない。いい勉強にはなった……二度と経験したいとは思わないが。
関連 Web サイト
筆者のプロフィール http://y7.net/okamura/ (1)
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD19146/index.html(goo 映画) (2)
http://www-6.ibm.com/jp/pc/thinkpad/tpx313b/tpx313ba.shtml (3)
http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=kb;ja;229716 (4)
http://www.agtech.co.jp/products/winternals/index.html http://www.winternals.com/ (5)
http://www.soseki.org/ (6)
http://www.jafsa.org/ (7)
PCウイルス@Yahoo! ニュース http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/computer/internet_viruses/ (8)
Apple が比較的新しい Powerbook
を対象に、全国6箇所で行う対面修理サービス。 持ち込まれたノートパソコンを、客の目の前で修理する「活け造り」型。
http://www.apple.co.jp/support/ftof/ (9)
パソコンを守るための3つの手順 http://www.microsoft.com/japan/security/protect/default.asp (10)
http://www.valley.ne.jp/~com/mek/ (11)
http://support.microsoft.com/default.aspx?scid=%2Fdirectory%2Fworldwide%2Fja%2Fkblight%2FT007%2F7%2F07.asp (12)
http://okazoh.net/
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