世界のゆくえ−人々の進むべき道とその方向について−
国際情報専攻 5期生 真藤正俊
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「アメリカの大儀こそ、全人類の大儀である」。このフランクリン・ベンジャミンの論じる言葉にアメリカの精神性を見ることができる。アメリカとヨーロッパの世界観、そして今後の人類の進むべき道について分析をしてみたい。
わずか21日間で終結したイラク戦争。世界中がアメリカとイラクを見守る中、多くの論者の「戦争は長期化する」「アメリカといえど、侵略は成功しない」という予測を反して、アメリカは「イラク戦争」に勝利した。そして現在の「占領政策」に至っている。毎日流れるテレビのニュースには、イラク国内の「テロの犠牲者」が報じられている。まるでイラク国内のテロが永遠に続くかに思える不安感が、世界中に拡がっていく。
「占領政策」。アメリカがイラクに「民主化」と「安全保障」を実現するために始めたプロセスである。人権や経済発展を高めるため「所有権」に関する法律などの保障のため制度改革が重要となっている。例えば女性の権利を先進国同様に「男女平等」を法的に保障する必要がある。資産運用を効率的に進めるには所有権をはっきりさせる必要がある。他にも教育改革を進め、国民の識字率向上を実現しなくてはならない。
「われわれは敵国を完全に打ち負かし、降伏させた。そして、つぎに復興し、民主化し、国際社会に復帰するのを支援した。これができるのはアメリカだけだ。」(注[1]) ハリー・トルーマン
キッシンジャーは晩年のトルーマン元大統領に「自分の偉業として残るようなもっとも強く希望している点は何か」と質問した。その時の返事がこれであった。アメリカが軍事力(ハード・パワー)と復興支援に絶大な自信があることが分かる。(注[2])
しかしながら、ヨーロッパはアメリカほど強大な軍事力はない。軍事力が弱いからこそ、経済や貿易などのソフト・パワーがアメリカよりも長けている。逆説的に言うならば、ヨーロッパの規模の小さい軍事力があまり関係ない分野に、「ヨーロッパの知性」を「特化」している。経済や貿易などのソフト・パワーに今まで蓄積してきた知性を具現化したのである。
ヨーロッパのみならず、日本もまた軍事力が弱い。軍事力においてはアメリカに適わない。ヨーロッパや日本などの軍事力の弱い国家は多くの場合、経済や貿易などに力をいれることが多い。その反面軍事力の強い国家のほとんどは政治や経済などのソフト・パワーに尽力をすることが少ないという。これは各国が自分の「強み」に集中して国際社会を生き延びてきたことを示唆しているのではないだろうか。
トマス・ホッブズの描いた『リバイアサン』の中に出てくる「万人に対する万人の戦い」をどこまでも貫くアメリカに対して、ヨーロッパはイマヌエル・カントの『恒久平和論』の世界を実現しようとしている。
「ネオコン」、もはや流行語にもなっている。「アメリカ新保守主義」であるが、そのネオコンによれば、かつてほど「国民国家」は意味あるものでもなく、強大な権力を持つ国家主義こそが、新たな時代の主流であると宣言する。つまり、「国民一人一人の権利よりも、国家の権利即ち軍事力の方が優れている」というものである。さらに、それを証拠とするものこそが、今回の「イラク戦争」であった。「われわれアメリカは『フセイン政権』に勝利したではないか」と。
この「国家主義の台頭や軍事力というハード・パワーが多くの人類に平和をもたらすのではないか」というネオコンの理論に対して、私は「ハード・パワーのみで平和は実現出来ない」と答える。
その理由は現在もイラク国民の生活がきちんと保障されていないからである。例えば制度改革についてだが、法案一つ成立させるのに先進国であっても2年はかかる。ましてや、戦争に敗北し、経済力を失ったイラクに対して、民主化を押し付けて「国民国家」を建設し、軌道に乗せるなら(ただでさえ経済力がないのだから)最低10年以上は必要とする。(注[3])
アメリカ人は今まで、自国の富と平和を最優先に追求してきたのである。そのようなアメリカナイゼーションがイラクで通用するとは思えないのである。イラク国民はアメリカ人のようになる必要もなく、占領政策を押し付けられる義務もないのである。
ロバート・ケーガンはアメリカの姿について次のように語る。
アメリカはどこまでも自由で進歩的な社会であり、軍事力が重要だと考えるときも、自由な文明と自由な世界秩序を広める手段でなければならないと信じている。
また、軍事力でなく法に基づく世界秩序を求めるヨーロッパの理想に賛同すらする。ヨーロッパが権力政治の法則を称賛していた時代に、アメリカはすでにそうした理想を目指していたのだから。(注[4])
絶えず大きな変化が起きるグローバル社会で、アメリカは大きな転換を迫られているといっても過言ではないだろう。
キッシンジャーは2001年9月11日のテロをきっかけに、アメリカは大きな転換を迎えたと言った。「経済の時代から再び政治の時代への移行である」と。21世紀初頭の今を生きる人類は、かつてない複雑で予測不可能な時代を体験するのではないだろうか。「常に変化が起きる」われわれの社会で未来を予測できるものは、ほとんどおらず賢者や聖人であっても、その時代に起きる困難や大転換を避けることは不可能である。今、われわれは岐路に起たされている。従来の政治や経済の道を歩むか、新しい時代に適応するために政治や経済、文化や宗教など全てが複雑に絡み合った「第三の道」を歩むかである。
こうした激しい変化を目の前に、われわれが耳を傾けるべき詩がある。
筆をとって予言をする 筆者や評者、きたれ そして目を大きく開くがよい 好機は二度とこない だが、口を開くのを急ぐな なぜなら、輪廻はまだ続く そして時勢も変化する
ボッブ・ディラン
孔子は一言しゃべるのに、九回考えたと伝えられている。変化の激しいこの時代を生き、多くの人類を正しい方向に導くのは、「慧眼」「勇気」「行動」「謙虚さ」そして「忍耐」と「労苦」を必要とするかもしれない。
参考文献 ヘンリー・キッシンジャー『外交』岡崎久彦監訳、日本経済新聞社、1996年。 ロバート・ケーガン『ネオコンの論理―アメリカ新保守主義の世界戦略―』山本洋一訳、光文社、2003年。 榊原英資『新しい国家をつくるために』中央公論新社、2001年。 |
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