「東武練馬まるとし物語 第二部」  

 

    

                                                                    

                                 国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

                                                                                      

 

 

 

 

 

その一 「継続の美学」

 

 東京都練馬区にあるとんかつ屋「まるとし」は、日々いろいろな事が起こる。お客様に喜ばれること、感動されることもあれば、叱られることもある。その度に笑ったり、驚いたり、困惑したりした。僕は、今店主である。

 

 「すべての答えは、お客様が決める。」

 

 お客様の嗜好は、千差万別、十人十色。それも、その時々の世界情勢、社会環境によっても、一瞬にして大きく変わっていく。難しい時代だけれど、やりがいはある。だからこそ、ピンチをチャンスに。先のことは何一つ分らない中で、今できることを一つ一つ大事にしていき、前向きに行こう。

 

 この物語は、この夏電子ブックとして、7回にわたり連載されたものが、一つにまとまったものである。内容はともかく、仕事と研究に連載、どれも息の抜けない生活から、ようやく、仕事以外は、肩の荷が下りた。

 

 ただ、それぞれを長く続けていたことは、ある意味自分の個性であり、生活の一部であった。「継続」というキーワードは重要であろう。

 

また、継続の美学では、それにまつわる楽しいことも数々起こってくる。

 

 研究科の電子マガジンでの連載文は、今まで僕の友人たちが毎回とても楽しみにしてくれていた。ゼミ仲間には、発行されたら真っ先に僕の文を読んで下さる方もいる。「もうやめてしまうの?残念だ、ぜひ継続を」というアンコールの言葉もあった。

 

 それならばと、今回その続きを書いてみようと、気持ちを新たに話を書き出すことにした。といって、今まで同様に、日々の生活を書き連ねていくだけなのであるけれど。

 

 夏から秋、そして冬へ。東武東上線「東武練馬駅」南口程近くにある「まるとし」では、その季節の移り変わりと同じように、さまざまなことが起こっていた。

 

 827日、天候にも恵まれ、第47回高円寺阿波踊りが開催された。

 

「きたまちじゃじゃ馬連」が出場するので、定休日だった僕も子供たち3人に付き添い参加した。連は、ここ数年連続で出場しているが、僕や子供たちにとって高円寺の阿波踊りは、初めてだ。

 

 夕方、商店街の町会会館前に、髪を結わえ、しっかりと衣装に着替えた子供たちを連れ集合。貸切りバスに乗り、会場に向かった。

 

高円寺阿波踊りは、歴史も長く、規模も大きく、踊り手も観客も多く、このひと月前に行われた地元のきたまち阿波踊りに比べ、何から何まで、桁違いの迫力を感じた。阿波踊りの品評会の場でもあるため、技術に対しての厳しさや、その華やかさの中にも、緊張や張りつめた空気があった。

 

夕やみが迫る本番間際、沿道には見物の人々があふれるばかりになり、出番を待つ色とりどりの衣装を着た踊り手も加わって、町はとても鮮やかな光景となった。

 

子供たちはというと、その場の雰囲気に圧倒されていたものの、約3時間、連の踊りについていくことができる時もあれば、そうもいかない時もあった。連長は、「参加することが何より。夏休みのいい思い出になればいいからね。」という温かい声をかけて下さった。

 

後日、今回の高円寺阿波踊りで、「きたまちじゃじゃ馬連」は、朝日さわやか賞を受賞した。子供たちが、ベテランの鳴り物や踊り手の方々の足手まといになったのではと気にかかっていたので、入賞できたと知ったときは、うれしかった。

 

阿波踊りに関して、1019日に行われた第26回練馬まつりにも、参加した。

 

このまつりは、「すずしろの故郷(ふるさと)にふれあいを求めて」がテーマである。カーニバルや鳴子踊りなどのパレードあり、また練馬総合運動場をメイン会場とした新鮮な物産品や生活用品を販売する露店も多く並ぶ、盛りだくさんの内容だ。

 

子供たちは、踊り終わった後、ふれあい広場での折り紙教室、物産展も面白かったようだ。

 

店には、いろいろなお客様がいらっしゃる。その中でも、最近特に個人的に親しくさせていただいているのは、シンガーソングライターのMORIさん、そしてユニットも組んでいるようこさんのお二人だ。

 

一生懸命に頑張っているお客様は応援したい、と僕は常日頃考えている。MORIさんから、「まるとし」でも機会があれば、ぜひライブをしてみたい、という話もあり、ちょうど830日に、大学院の先生とゼミ仲間とが集まっての修了パーティを僕の店で開催する予定もあったので、その機会にお願いすることに決まった。

 

当日は、小松憲治先生ならびに、同期ゼミ修了仲間総勢6名、遠くは広島から堀内さんが、初めて来店下さった。大事な会なので、店はお客様が落ち着く、2時から5時までの時間帯を貸切とした。

 3人の子供たちが浴衣を着て、皆さんをお出迎え。挨拶をそこそこに、料理を振舞、子供たちは、争うように、料理と飲み物を運ぶ、和やかな雰囲気の会となった。

 1時間くらいたった頃、MORIさん・ようこさんユニットによる、お祝いのライブをやっていただいた。よう子さんの透き通る声とMORIさんのギター、ボーカル、ハーモニカ。そして、弾き語りの演奏も加わり、楽しい時を過ごせた。

 

翌月の927日の修了式後、先生やゼミ仲間と山梨県石和温泉に出かけた。

 

今回の旅行は、先生はもちろん、同期の仲間もそれぞれ皆忙しい中で、何とか集まることが出来た。それは、僕たちゼミ修了生が、今まで数々ご指導をいただき、大変お世話になった先生をご招待する形で、少しでものご恩返しにという想いから実現したものであった。

 

僕は当日、朝の仕込みを終え、営業開始前のぎりぎりの時間まで店にいた。後のことは、妻や義父であるおやじさんに頼み、子供たち3人を連れて出発した。

 

妻を抜きにした子供たちとの旅行は、初めてで、長女が妹たちの面倒(お風呂での浴衣の着せ替え等)をみなくてはとかなり心配していた。やはり僕がついているとはいえ、大人ばかりの旅行に対して、妹として気楽な次女や三女とは違い、長女の不安さが痛いほどわかった。

 

その後、旅先の関口さんから子供たち宛に綺麗な魚の絵葉書が届いた。それをきっかけに、長女の心配も、少しずつ楽しみに変わっていった様子だった。


 現地のホテルに夕方着き、部屋に荷物を置き、湯につかった。お風呂では、その関口さんや井澤さんがやさしく気を配ってくれた。

 

「あわびの踊り焼き」などの料理を、翌日には、幹事唐牛さんのご学友深沢さんに現地での案内もしていただいた。深沢さんのご実家でのぶどう狩り、時期は終わっていたにも関わらず、わざわざ僕たちのために残してくださった最高級の巨峰を堪能した。

 ハプニングもあった。帰りの電車が、中央線の配線トラブルのため、お昼過ぎに運休されるとの情報が入り、植物園の入口近くにいたにも、入らず急遽駅に行って状況を確認する事に。

 九州佐世保から来ていた西郷さんは、帰りの飛行機の時間もあり、普通電車は途中まで走っていたので、先に戻った。結局、1時間くらい待った結果、予定通りの電車が復旧、乗車できた。このことは、翌日の新聞の一面に大きな記事となった。

 

子供たちの視点は、大人とは別なこともある。旅行では、ホテルのフロントの前で綺麗な鯉が泳いでいたことが一番のお気に入りであった。

 

僕のゼミの同期は、研究において苦楽を共にした仲間であり、修了してからも結束が固い。通信制の大学院であったからこそ、通学制よりも限られた時間を貴重に使い、ゼミでは、それぞれの問題意識に対しての本音が飛び交い充実した日々であったと思える。今回の修了旅行は、それまでの関係の一つの区切りとなる。それでも仲間として、友人としての関係は、今後も継続していきたいし、大事にしたい。

 

修了旅行の翌週の9月30日、事前にお誘いがあり、近藤ゼミ主催のサイバーゼミに参加した。店の忙しい時間が一段落する夜の9時からが開始時間だったこともあり、その時間に合わせて帰宅をし、自宅のパソコンの前に座った。

 

テーマは、近藤大博先生による「アメリカ報告」。近藤先生は、817日から、アメリカ最古の歴史と伝統を誇る州立大学であり、日本研究で有名なミシガン大学の客員教授として招聘され渡航された。

 

渡航前の811日には、ホテルニューオータニ東京の桂の間で行われた時事問題を語る会主催、院生有志により、壮途の安全と一層の研究と活躍を祈念しての壮行会が行われた。その時にお会いして以来、注目していた近藤先生のお言葉であった。

 

今回のサイバーゼミでは、冒頭約20分間の先生によるアメリカでの現状報告と、その後の参加者によるアメリカについての討論であった。

 

なかなか難しいテーマであり、個人的には、リアルタイムの、アメリカからの近藤先生の元気そうなお姿を拝見させていただけたことが、何よりも有意義なことであった。

 

サイバーゼミへの参加は、個人的に通算4度目、修了してからは2度目であった。「討論を深める実質的な作業は、メールなり、対面。サイバーゼミはいわば、討論の糸口となれば、または問題把握の契機となれば」と後日先生から言葉をいただいた。定期的に継続される、サイバーゼミを使った、今後の研究科のオンライン教育の行方に、個人的に注視している。

 

季節はスポーツの秋に。10月に入り、長女と次女の小学校の運動会と三女の幼稚園の運動会があり、その後の1013日体育の日、JOC(日本オリンピック委員会)主催、東京駒沢オリンピック公園総合運動場での「オリンピックフェスティバル2003」に出場した。

 

参加種目は、開会式直後の5kmジョギング。長女と次女と一緒に走った。足に豆を作りながらの長女と、1度転んでも起き上がって負けずに走った次女。競技場のトラックから外に出て、公園を2周、特に2周目は、ほとんど歩くようになったが、無事完走。またここでも1つの思い出ができた。

 僕はいつか機会をみて、今まで経験はないけれど、将来フルマラソンにチャレンジしてみたいと考えている。今回走ってみて、小学生にとっての5キロは、長すぎると感じた。これ以上の距離は、僕一人でのチャレンジにしようと思う。ただこれからも、自分の体調と相談しながら、無理のないよう少しずつ、距離を伸ばし、目標に向かって、継続して走り続けていきたい。

 

店についての大きなことも、取り上げよう。

 

まず、店の沿線周辺での無料配布雑誌、スケイルデザインズの月刊「タイル」には、9月号から3ヶ月連続で広告をお願いし掲載した。そのことをきっかけに編集部から、僕に直々にインタビューをしたいという申し出があり、お受けした。

 

「バッティングスタイル」というコーナーで、「裏付けがある中で、お客さんの喜ぶ変革を」という僕の言葉が、10月号で記事となった。

 

生パン粉、アルカリイオン水、オリジナルブレンド油を使用。この記事では、店の原点はお米屋さんであることもお話した。練馬区平和台にまるとし米店があり、親戚のよしみで、品質のいいものを選んでもらって、お米もおいしいとよくいわれること。商店街を大切にしたいと思っていることなど。

 

文化祭に商店街を紹介するとのことで、総合学習の一貫として、地元の3人の中学生が取材に来たこともあった。

 

11月1日の文化の日、早速、店近くの中学校で行われた文化祭を見学に行った。

 

上手に廊下を商店街の通りに見立てて、教室の壁や校舎の窓に、取材をした店舗前の写真を並べ、そこに店のアピールコメントが書かれていた。商店街の飾りとか、時計も再現されていて、立派な商店街が完成していた。

 

1113日には発売されたJTB発行の旅行ガイドブック「るるぶ練馬区」についても取材を受けることになり、店舗の紹介記事として、「まるとし」が掲載された。

 この雑誌について、練馬の経済団体や区、レジャー関連企業でつくる練馬区観光協議会が観光客を期待する目的で、企画をJTBに直接働きかけたところ実現したものである。23区単独では「るるぶ情報版」として、初めて取り上げられた。

 

路地裏散策や練馬にまつわる話、隠れた一品、地元の職人などにスポットを当て、住んでいても意外に知らないような内容を重視した雑誌である。そこに小さいたたずまいながら、店が掲載された。

 

練馬区内の書店では、この雑誌を紹介するのぼりを立て、区をあげて販売に積極的であるようだ。

 なお、冒頭の似顔絵は、同期の友人である落合さんの手作りによるものです。ありがとう!感謝!

 

以下、次号。

 

 http://www006.upp.so-net.ne.jp/k-mori/
    http://www.marutoshi.tokyo.walkerplus.com