再会

            

     紀行文      

                    国際情報専攻 4期生 長谷川 昌昭

     

 はじめに

大好きな言葉「旅は人を若くする」Hans Christian Andersen。

 今年は、イラク開戦やSARSなどの影響によって、海外旅行者は38%ものマイナスと報ぜられている。そのような情勢下において、今年は奇しくも春 3月11日〜25日と秋 10月3日〜15日の1ケ月余の日数で米国の各地の旅を経験した。

 愛娘Stephane Schartelと世界的に著名なPaul Dashman,PH.D教授やSeptember11,2001際に、全世界から寄せられた義捐金にNYを代表して感謝状の執筆者のNYPDの Treasurerである Victor. Cipllo氏と再会することができ、現在、船便でNYから10月9日に送った米国で購入した書籍等との再会を心待ちにしながら、修論と後期リポートと電マガに、社業をこなしつつ取り組む毎日です。書き終わらない内に到着の再会の情景を付しました。

 これらの情景を紹介させていただく「再会」とします。

 これも偏に再々就職先の株式会社ジャックスに勤めているお陰と直属上司の川崎常務のご指導とご理解の賜物と感謝しており、社風はHPで公開開示しているごとく、再雇用やパートの社員が相当数在籍しているにも拘らず、社員さんの事務効率は素晴らしくそして風通しの良い執務姿勢を堅持しており、当然ながら収益の拡大は企業の永続性への蓄える他は株主と社員に還元し、知る限りでは社会貢献も日本盲導犬協会に寄付するなどの他、不祥事の無いクリーンな会社です。帰国後のやや長期休暇明けの出社日には、他の社員さん方々の出張時のお土産が、私の机上に積んであったのには、私の帰国土産は少量てとても恥ずかしい思いをする程に気配りのある雰囲気の勤め先です。

 我が旅、特に海外旅行については個人旅行オンリーです。団体旅行には無縁でしたが、今回は秋の旅行日程の54%はボランテイアの親善訪問団で団体旅行を初体験しました。

 緊張感の持続とNegotiationsの少ない団体旅行を初体験し、以降の旅程にやや余裕を持てたことは確かでそれなりのメリットは享受しました。

 その所為か、ミネソタの地では、事前のアポイントメントに20分も道に迷って遅刻し、肝心要のNWAのCEOとは、再会を果たせなかったデメリットもあったことなどを記した紀行文です。どうか、ご叱正とご指導に加えて院生各位の豊富なご経験をご教示下さることを冒頭にお願いします。

2  我が愛娘Stephane Schartel との再会

前号は、嫁いだ長女とのスキー紀行でした。今回は米国に住む愛娘のことです。平成15(2003)105()イ市東村山市姉妹提携都市締結25周年記念晩餐会でドレスアップの我が愛娘Stephane Schartel 


 

(1) Home Stayの受入

  我が国の都市と世界の都市との姉妹提携の始まりは、1955年米ミネソタ州のセントポール市と長崎県の長崎市が嚆矢である。都道府県別の提携状況では大阪の28市区が世界の54都市との提携がトップで、北海道の26市区が世界の53都市と続いています。

 それぞれ姉妹提携都市で交流を通じて国際親善を継続している。

 我が東村山市は、1978年に米ミズーリ州のインデペンデンスと姉妹提携都市を締結し、毎夏には20名の交歓学生受け入れや5年毎の節目には、市長他40名のボランテイア親善団を派遣し、相互に交歓している。

 インデペンデンス市は米中西部に位置し、カンサスシイティの東方にある人口約12万人の郊外都市です。西部開拓時代には、三本の主要街道のサンタフェ・カリフォルニア・オレゴン各街道の基点として栄え、産業は小麦、トウモロコシを主とした農業が中心で、近くには世界的なハレー・ダヴィットソン工場もある。また第33代大統領ハリー・トルーマンが少年時代から生涯を閉じるまで過ごした土地としても有名で、先頃38代Gerald Rudolph Ford大統領がトルーマン平和賞を受賞したのもこの地にあるトルーマン博物館で行われ、TVニュースでご覧の方々もあると思います。

 私共は、一昨年イ市からの交歓学生を受入れました。その名はStephane Schartelです。以降彼女は、手紙やMailでは私どもをJapanease Perentsと呼び続けています。 

 当時16歳のトルーマン高校の一年の女子高校生は、高校代表のバンドのクラリネット奏者で、デイベト大会では州高校生大会でトップの成績の素晴らしい女子高校生を幸運にも、21日間我が家の長女が嫁いで空いた部屋に滞在した。

 その時期の私の前職は、証券準大手の総務・人事兼務担当部長であって、新任部店長・課長研修の講師や株主総会の超繁忙期で平日は一日休暇を取得したのみで、その受入は家内が全面的に担当し、平日は家内の運転する車で市側の行事に参加のための朝食後の送り、夕方には迎えて我が家での夕食、土・日曜日は一日のフリーディと称して受け入れ側のホスト・ファミリーと交歓学生の事前協議の日程にしたがって、東京近郷の日本の代表的なところと本人が大人になってからの思い出と将来役立つ場所として主に次の場所を選定して案内した。

 新幹線で新横浜へ、そこから三渓園や21世紀地区のポートタワー、横浜港。皇居、迎賓館、警視庁見学後同音楽隊訪問、帝国ホテルで昼食、六本木ハードロックカフェでお茶、渋谷、新宿、銀座、吉祥寺で買い物、横田基地のミニゴルフ、夜は青梅に蛍狩り、等等。一番大切な食生活については、年齢を考慮して日本食には重点を指向しないで、飽くまでも本人の嗜好を中心とする食事を供すことに徹しました。ホストフアミリーの中には、カルチュア・ショックとして納豆、カレーライス、たこ焼きを重点の食事もあったようです。私どもは、事前に麻布の国際スーパーや青山の紀伊国屋から米国バージョンの調味料や食料・飲み物を求めて、異国で食事で困らないような本当の母親の気持ちで食事を供しました。

 当然のことながら当方の受け入れ態勢と自己紹介を10数回の国際郵便速達手紙で情報交換の上で、納得していただいた。先月私共が伺った際に、彼女の母親は当時交換した手紙を丁寧に保存していたのに出逢い感激すると同時に、特に、私どもの米国旅行暦を知った段階で、娘をお願いしても安心との感触を得たと聞いて、娘を思う親心は万国共通だと家内は、感心し納得し受け入れ当時の苦労と接遇計画が母親にも満足されたことに、当時、交歓学生の両親から、何度も何度も大変丁重なお礼とstayのお誘いを受けましたことが理解できました。

 しかしながら、当方としては、公式に市の友好協会のお手伝いの一端を担わせていただいたものを私的に利用してはとの考えから、その後、三回訪米いましたが、折角の御好意を受けずに断り続けています。

 私共は、一昨年の彼女の帰国直後には、フロリダからミネソタ経由での帰国日程で、結果的にミズリ−の上空を通過することとなり、旅行計画に止宿先ホテルを記載して送付したところ、ホテルに懇書が届いていたりし、お陰様で交流は継続中です。

 交歓学生が帰国時に、日本の東村山の土産にと制作した日本人形をご両親と滞在中に「メイン州の祖父母」を話題にしてましたので、併せて祖父母へも贈ったところ、その後もXmasや誕生日と母の日や父の日には必ず便りがあり、「日本の両親」との交流が交歓学生の両親の理解もあって継続しています。

 さらに過日祖母の死を知らせる弔辞までをも親戚扱いの通知を受け、日程的に切迫し出席は不可能でしたので、早速弔意を届けたところ、葬儀後には、丁重なる返書を受けたりしています。

 受入時の市側のご注意で全額ホストファミリイー負担の原則を示され、やや過負担かと当初は思っていましたが、最後にお別れの挨拶を交歓学生代表で当方の交歓学生が行ったり、帰国後に開ける約束でのパソコンに残した感謝の気持等と将来「米国の女性リ−ダ−を目指す」との明確な目標を堅持した16歳の学生との21日間の交流は、実質22万円余の出費は、費用対効果から十二分に姉妹都市提携の趣旨を実践できたものと思っていますし、国際交流は相互礼譲ですので、何時の日か東村山の将来を担う若者達への反映を祈念しています。

(2) Well-manneredな娘

 平成15(2003)10月3日(金)〜8日(水)インデペンデンス市親善訪問団派遣。

 東村山市は、米国ミズーリィ州インデペンデンス市と姉妹提携都市締結25周年を記念して、細渕市長他35名の親善訪問団を派遣した。

 10年程前から、地域活動の一端として英会話教室の支援や米国からの交歓学生の受入れボランテイアとして、参画、一昨年は21日間16歳の女子高校生のホームステイを受け入れた経緯もあり、本年は節目の訪問団に参加し、奇しくも一昨年受け入れの女子高校生宅にステイした。(Gail Metecalf Schartel,Ed.S Certification Manager UMKC)

 日本の25倍の地の米国は、その邸宅と敷地は、我が青葉町地区の24軒分の敷地とほぼ同じと当時、交歓学生は散歩がてらに語っていたことが実証された。

 ステイ先は高級住宅地の一角に車が三台入る扉付の車庫と浴室3、寝室6、食堂、居間、ダイニングキッチン、書斎の地下には、50坪程のワーキング・ルームがあり、庭には栗鼠が飛び交い敷地は2000坪程、3軒となりが売りに出ていて邦貨換算で約 2,000万円でした。

 日曜日は教会礼拝に参加、近くの湖水の散歩時には、塵を拾う躾の善い家庭で、スーパーへの買い物は車で往復20分などとユッタリト歓迎され五泊六日のAmerican lifeを満喫し、愛娘Stephane Schartelとの再会を喜び合った。

 

平成15(2003)105() 教会への前、朝の散歩Stephaneの袋は、途中で拾った塵を持ち帰る、ステイ宅(Gail Metecalf Schartel,Ed.S Certification Manager UMKC)

  

 我が家に滞在中には、毎日我が家のPCから両親や友人などと思われる方々にMailで 就寝間際に送信していた。初めての海外旅行なのに笑顔を絶やさずに日程をこなし、家内の 不得手な英会話にも丁寧に対応し、そのお陰で家内は、彼女が帰国後に40年振りに英会話 を始める動機にもなる好影響を与えてくれ、食事時には「超オイシイ」や「デリィシャス」「Yes!Yes! Yes!」を連発し家内を喜ばせてくれた。翌日の日程を私が伝えると下手な英会話でも納得し、翌日私は先に出勤していても、家内の話では、必ず出発予定時刻の45分前に起床して、身支度を整えるとても躾の良い娘でした。

 現在はサウスウエストミズリィ州立大学の奇宿舎に入り勉学中なのに、休暇をとって、五泊六日の生活を共にした。

(3) 子を見て親を察せよと良く言われますので、子供の教育躾にはどの家庭も腐心するものです。その点では、愛娘Stephane Schartelの母親Gail Metcalf Schartelは、時折いただくMailには、

.  Gail
  Trying to be respectful, responsive and resourceful
  Gail Metcalf Schartel,Ed.S.
  UMKC School of Education

 と必ず記載があるが如くに、当方で想像していた以上respectful, responsive and resourcefulな母親でした。

平成15(2003)107日(日)妹さん()で近くに住むTracey L. Metcalfは、米陸軍車両管理本部の監督者、中西部風のレストランでの団欒の晩餐。

 カンサスシティ大学の要職をこなしつつ、娘と息子の教育躾には、将に良妻賢母の手本のように優しく、時には厳しくそして、地域の教会活動には、子供たちを参画させており、遠い日本からの我が娘を世話した夫妻の訪問に対する接遇に休暇をとっての歓待で、妹さんで近くに住むTracey L. Metcalfは、米陸軍車両管理本部の監督者として、勤務しているとのことで、双方の自宅から中間の中西部風のレストランでの夕食時には、紹介されましたが、この方も自分の仕事に誇りと自信を堅持した、襟度を保った態度で接してくれて当方の拙い英会話もタイミング良く初対面の束の間でしたが、楽しく愉快にカントリーサイドなカルチュアに接することが出来て感謝しています。   

 帰国後には先月の21日には当時の夕食風景に自分は入らずに撮影した写真と私どもにはThoughtfulで、自分はお陰でGratefulな気持ちになったととても謙虚で思いやりのある姉妹と受け止めていますが。いまだ筆不精で返事は、船便で送った妹Tracey L. Metcalfさんからの贈り物の米陸軍の傑作Jeepの原典を読んでからと思っています。

 思っていたら、11月22日に着いてしまい早速Xmas Card一緒に思っています。今回のstay先は、事務局のご理解もあり、一昨年イ市からの交歓学生を受入れた家庭を予定していただき、とても気楽にまた、玄関ホールには、この二年間に贈りつづけた当方からのギフトを飾り歓迎の意を表するなど、米国人気質の一端の琴線に触れ感激するとともに、今後、受け入れの参考になると思います。

 ホストファミリィーからは、訪米前に希望は?という趣旨で「私共は、娘から貴方方の娘に対する訪日滞在中の受入対応を聞いて、他と比べて大変にその接遇に満足し、是非ご恩返 ししたい。」旨の懇書が届いたものの、受け入れ側の御負担を軽減する趣旨から 、平素の米国生活の体験を希望することで十分なことを伝えました。

 その結果、日曜日は、教会への礼拝には、家族としの接遇を享受し、2 300名程の信者に「二年前私の娘が大変お世話になった夫妻で、娘の日本の父は、警察署長を歴任し、現在は、大手企業の企業統治顧問で、母は木目込人形教授で、教室を継続中である。」ことなどを紹介され、満場の拍手で歓迎されて面映い思いとshow me statesの州民の心意気を感じさせる得難い体験をもし、日常のスーパーやミニチュア人形博物館の案内等と気配りと当方の趣味と希望の実態に添った配慮での対応を享受しました。

 私共が先方の娘さんを受入れ、滞在中は大変にマナーが善い娘であったので、日米両文での表彰状を作成して渡したものが、「宝物」として大事にされていたのには驚きを感じまた、今後の対応上に参考となると思います。

3  Paul Dashman,PH.D.との再会

 

平成15(2003)3月13日アナハイムのマリオットで(SCIP2003 世界大会)
 SCIP会長夫人(中央右)Mrs Paul Dishman SCIP会長(右端)Dr P Dishman

(1) 米国AnaheimでのSCIP(Society of Competitive Intelligence Pr0fessional)Annual International Conference & Exhibitでの出逢い 春の北米へ3月11日〜25日の旅は、SCIPのAnnual International Conference & ExhibitへのSCIP JAPANのRepresentativeとしての参加がメーインでした。

 帰途マウイ島によって、慣れない国際会議の英語攻めを癒していたところ、3月19日のイラク開戦の報に接し、島間の航空機便でさえも厳戒態勢の貴重な危機管理状況を現地の臨戦態勢で直に体験した。

 SCIP JAPANとは(日本競争情報専門家協会)の略称で、平成13年4月に前田健治元警視総監を理事長として設立、平成14年4月NPO法人の認証を受けたもので、SCIPは1986年米バージニア州において、FBI,CIA等の専門家によって設立され、現在64ケ国、会員数7,000余の大規模非営利団体です。目的は熾烈化する企業間の競争に打つ勝つための情報CI(Competitive Intelligence=競争情報)に秀でるためにCI専門家の知識、技能の向上、相互交流・CI活動の普及、促進。CI専門家のプロフェッショナリズム確立に寄与することで、現下の規制緩和や国際基準導入等の厳しい経済情勢を巡る国際競争に打ち勝つための企業に求められるCI情報に強くなることを究極の目的としているものです。

 

平成15(2003)113() Paul Dishmanご夫妻と銀座4丁目和光前背景は三愛ビル

         

 4()記念講演の前夜祭 日大大学院グローバルビジネス研究科菅澤教授を中心に左にProf.Craig S. Fleisher,Ph.DProf. Paul Dashman,PH.D and Mrs Dashman、右に松平和也()プライト代表取締役、筆者夫妻

 初の国際会議代表であるところから、日程と乗機は余裕を持って、3月11日にビジネス・クラスで出国し、同日の朝ロスから入国して翌日の前夜祭と13日の開会に備えました。

 その13日夕方5時30分からのアナハイムマリオットの#1917のプリジゼンタル・スウートでのSCIP President のPaul Dishman主催のSpecial welcome For Pacific Rim representativeでの出会いが最初で、家内制作の木目込み人形を贈呈し、友好を確認した経緯がありました。 

 この現会長がPaul Dashman,PH.Dで、11月5日の市ケ谷の日大大学本部での第七回オープンリサーチセミナーのメーイン・ゲスト・スピーカてす。

 

(2) SCIP President のPaul Dishmanご夫妻と再会と接遇

 私はSCIPの会員であり、Paul Dishmanの来日記念講演はSCIP JAPANからのご一報で知りましたし、グローウバル・ビジネス研究科の菅澤教授からも同氏の来日を早い段階でお知らせいただき、密かに再会を念じておりました。再会を果し、接遇の任をも果たせと思います。

 その後に菅澤先生からの要請とご指示より、記念講演前々日のに止宿先の都ホテルで再会(11:00)を期して、接遇後に夕方(17:30)、再度私学会館へお送りしました。

 以下、今後の海外からの受入時に参考になると思いやや詳細に記述しました。

 私どもは113日都ホテルから私学会館に宿泊先を変更の手続きなどの支援案内のために 白金の都ホテルには、10:35に到着し、待ち受けました。10:45にチェック・アウトのため、大型スウーツケースと小型バックの各二個を重そうにして階下に表れたDrと逢いました。矢張り礼儀としても約束時間前に余裕を持っての到着とすべきと思います。

 三月にアナハイムの国際会議で何度か会ってましたので、一見してDrと判明し、チェツク・アウト手続き中をやや離れて見守りながら、菅沢先生からのご指示もあって、私は自家用車を止めてましたので、バン型タクシーを依頼し、待機中に奥様か当方を目ざとく見つけ、目礼するとDrに耳打ちしている様子が窺えました。そして感激の再会を果たして、双方の夫婦同士で再び元気で逢えたことを喜びました。車を待つ間に当方の接遇計画とDrご夫妻の希望が一致し以下の行動となりました。

 Drの希望もあって大変重い荷物と四人は、私学会館へ向かい、私がフロントと交渉し、チェックイン以前の荷物の預措置を済ませて、以下の接遇となりました。

 都ホテルから市ケ谷への沿道を説明するなかでは、東宮御所と迎賓館は下車したい旨のご希望で、降車しての写真撮影となりました。

 市ケ谷から有楽町線で銀座一丁目へ(11:40)、Drは、以前ソニービルとワーナー・ブラザーは体験済みとのことでしたので、越後屋呉服店、御木本真珠店、鳩居堂などに立寄り、銀ブラ後に(12:40〜13:40)「天国」でお好み天ぷら定食にしたところ家内の注文した、かき揚げ丼などに興味を示されたり、立田野であんみつや白玉にところてんをデザートに賞味され、特に黒蜜を好まれていました。

 小雨降る中をタクシーで、 (13:50〜15:30)恩賜公園浜離宮に訪れ、植物や庭園構造に大変に興味と関心を示されて、中でも米国第18代大統領グラント将軍が同園を訪れたことや樹齢300年の松にことのほか興味を示され、WonderfulやGreatを連発し、雨で気遣いましたが、お気に召された様子でした。

 都営地下鉄汐留から(15:50〜17:10)大江戸線で六本木ヒルズ53階展望階へ。前日にDrご夫妻で訪ねておられた広尾の教会が見えるとDrは奥様に盛んに説明してました。やや曇っており、視界は不十分でしたが、展望デッキにも出られて、とてもユックリご覧になられておりました。

 恩賜公園浜離宮と六本木ヒルズ53階展望階は、前週に日経では都内の外国人案内でのベスト10に選ばれていました。

 六本木からはタクシーで私学会館へ戻り、荷物を受領し、部屋まで届け、翌日講演前の前夜の懇親会での再開を約して別れましたが、この際にDrの米BRIGHHAM YOUNG UNIVERSITY大学の特製ココアとボールペンを固辞しましたが、贈られました。

 事前検討では東京一伝統の吉原の土手の伊勢屋は、前日菅澤先生のDrへの接遇先が浅草であったことと家内が、古くて伝統があっても清潔感に欠けると反対され、上記銀座の天国となりましたが、正解でした。

 翌日夕方からの懇親会では、Drご夫妻はモルモン教徒なので、コーヒー、紅茶、日本茶も含めて刺激物は一切避けて飲み物は水以外召し上がらなかったのは、前日同様でした。

 会は菅澤先生の主宰で終始明るく楽しく、話題では私とDrは趣味嗜好が次の点で一致しました。ハンバーグは食べない。甘味とスキーが大好きで一致し、私どもが前日のプレゼントのお礼に甘いものとした「金太郎飴」を差し上げたところ、金太郎の顔が切っても、切っても出てくることと、寿は一字でCongratulationsは17文字で同一意味などと大変に不思議がられていた。私が米国のスキー場で唯一経験したコロラド州のVailスキー場は奥様が以前に働いていた思いでの場所であるなどの話題や私の三月の名刺と現在の名刺が「DO:President of the Society for Discuss Current Events」のことなどで、共通の場が出来て楽しい一時を過ごせて、前日夫婦で接遇したことから、菅澤先生に二人での参加のお声を掛けていただき、光栄でした。歓談の中でDrの奥様にVailの発音は「BではなくてVですょ」とご指摘されたり、打ち解けた中にも学ぶ点が多い、世界の超一流の学会のDr方々との有意義な会でした。

 私共は、前日の接遇にご満足いただければとの思いでしたので、前日の別れ際にプレゼントをいただいていたので、御木本真珠から真珠入りの写真立てを求めて日本土産に去る三月にアナハイムで、ご一緒に収まった写真を入れてお贈りし、同じものにサインをしていただいたものが、この項の冒頭の写真で、お互いにIt my treasureと再再会を期しました。

 翌日は、 カナダからのCraig S. Fleisher,Ph.D.とのお二方に講演会場で質問をさせていただき、ご示唆にちたご見解をお示しいただきました。感激でした。

 4 NYPD Victor. Cipllo Treasurerとの再会

 (1) ・1湾岸戦争直後の公用出張からSeptember11,2001そして東村山市長のNYPD表敬訪問の実現

  平成15(2003)109()NYPD警察本部公安委員会委員長表敬訪問

東村山市長は、イ市との姉妹都市提携25周年親善訪問の帰途NYで議長共々、現在の治安情勢を重視、市民の安全を優先、NY観光を犠牲にし、体感治安向上へのブリ−フィングをNYPDで享受。

Joyce A. StephenDeputy Chief Commanding Officerを中心に応接室の市警察徽章前Stephenの右細渕 一男東村山市長、渡辺 尚東村山市議会議長、韮澤彩子国際女性課員の長谷川 裕美(団員)、長谷川 昌昭(団員)

Stephenへ市長記念品贈呈、議長記念品贈呈、裕美制作の木目込み人形を贈呈
Stephen氏は、NY市警察官36,888(他に技術職員等約20,000)の地域警察部門の約18,000名のNo2の要職の方。後方の三ツ星は地位の象徴。トップの総監は四つ星

 平成15年(・3)10月9日(水)細渕東村山市長・市議会議長 NYPD表敬訪問。

 東村山市は去る10月3日〜10日の間、米国インデペンデンス市との姉妹提携都市締結25周年親善訪問団(団長細渕一男市長他35名)を派遣した。私は10年程前から、ボランティアで市の英会話教室のお手伝いや交歓学生の受入をしていたので、派遣団に夫婦で参加しました。

 日程の帰途はNY観光となっていました。そこで、私は、・1の湾岸戦直後に警察庁から治安実態視察の公用渡航の途上にNYPDのヴオルガ−副総監を公式表敬し、往時厚遇を享受した経緯から、September11.2001で多数の殉職者が発生した際は、義捐金$1,000を贈り感謝状を受け、昨年は謝意表明に同市警を訪れ、友好関係を継続している経緯がありました。

 現下の厳しい治安情勢下で体感治安の向上に警察出身者として寄与すべく、市長にNYPD幹部との表敬を打診したところ、『観光より、治安体制総点検を竹花副知事から指示があった矢先で好機だ。』と賛意を示され、義捐金のNYPDの感謝状名のVictor財務官を窓口に8月15日以降、国際郵便2回、国際電話6回、国際Fax8回、Mail24回の計40回の折衝で同行の渡辺市議会議長共々NYPD公安委員会公安委員長表敬を「草の根外交」で実現した。竹花副知事には10月1日と21日に計画段階と実施状況の報告に参上した。

 東村山市長は、イ市との姉妹都市提携25周年親善訪問団(36名)派遣(10.3〜8)中に途上のNYで、市議会議長と共に現在の治安情勢下での市民の安全を優先に観光を犠牲にし、市民と警察・行政の関係のブリ−フィングをNYPDで享受された。東村山署は、杉山署長からのピーポー人形を市長に託し、NYPDへ贈呈した。

 なお、親善団公式訪問先のイ市では、同市警察署長を親善訪問団が表敬訪問した際、市長と共に団員の中で唯一、元警察署長と紹介され市警の記念品を贈呈され、面映い思いと軍・警察経験者を敬う国民性の一端を垣間見ました。

 ご承知の通りにNYPDは今年の8月にカナダ・米北東部・NYを含む大停電事案に対してイラクとの臨戦態勢下にも拘わらず、従来発生していた強奪・暴動への事態を迅速果敢な事前の分厚い警備体制で未然防止されたことで、世界各国からの視察要望が相次ぎ、通常のルートでは、市側から主管官庁を経て外務省経由の在外公館を通じての表敬・視察訪問は手続きの煩雑さと人手による事務手続きが膨大であり、「草の根外交」が将に効を奏したことは、情勢的にも手続的にも友好関係の継続が国際間では、如何に大事であるかを実証できた一例です。

 心からNYPD Treasurer Victor. Ciplloの心遣いと秘書のSamとSgt Walder他のスタッフに深甚なる感謝と近い将来訪問し、必ずや東京都竹花副知事の評価と謝意などを直接伝えることを誓います。

 東村山細渕市長は「長谷川ご夫妻のお陰で得た貴重な体験は、今後、市民の安全に警察と行政の関係の素晴らしい経験をした。」評され、些ながら寄与し得たものと思います。

  (2)  Victor. Cipllo Treasurerとの再会

平成15(2003)1010()NYPD警察本部財務官表敬訪問

NYPD公安委員会委員長表敬訪問の窓口となってくれ、また、September11,2001の際には、全世界からのNYPDへの義捐金に対する謝意表明の代表名義人のPolice Dept.City of New YorkTreasurer  Victor R. Cipullo

 NYPD公安委員会委員長表敬訪問の窓口となってくれ、また、September11,2001の際には、全世界からのNYPDへの義捐金に対する謝意表明の代表名義人のPolice Dept.City of New YorkのTreasurer  Victor R. Cipullo

 表敬の翌日訪れ、英文「警視庁」に裕美制作の「木目込み人形」と警大機関誌「致遠」を贈呈し、深甚なる謝意を表明した。

 親善訪問団から離れ、翌日訪ねたところ、大歓迎され秘蔵の記念品を贈られた。秘書のSamは、男性と思いMailを交信していたところ、妙齢の綺麗な秘書嬢であった。

 米国暦は翌日から三連休で成田直行便は満席で、帰国はミネソタ経由のビジネスでヤット無事帰国した。

 このNYPD公安委員会表敬訪問には、ホテルから警察本部そして、親善訪問団との合流には、必然的に

 「足」が必要である午前8時ホテル発、10時表敬訪問2団と合流6時間5人乗りのミニバンをチャター代が$514,24でした。1991年当時の公式表敬訪問の際には、当時の株式会社バンビの佐藤NY駐在所長には大変足の便宜供与を受けたことがいまさらなから、忘れられないことをを付記したい。

5  NWAのCEOとの再会とCEO Reception

 

平成15(2003)1013()NWA CEO Richard Anderson,表敬訪問
 

米ミネソタ州のNWA CEO表敬訪問、道に迷い20分程遅れ、Stephen Mahon(Specialist Airport Programs)の丁重な出迎えを受け、木目の豪華なCEO室へ案内された。当方が遅れ会見は実現せず、CEOへお人形の贈呈をお願いし、再来を約し辞去した。

 

(1) 再度のミネソタ・ナイス

  NWA CEO Richard  Anderson表敬訪問(10月13日)

 米国ミネソタ州のNWAへ表敬訪問、三度目の訪問で気を許したのと始めての団体旅行で緊張感を欠いて、肝心要のアポイントメントに途中道に迷い10分程遅れて、従業員用の裏口にたどり着き、広い社屋の中から正面玄関へ案内され、Stephen Mahon(Specialist Airport Programs)の丁重な出迎えを受けたのは、約束定刻の20分後でした。

 木目の豪華なCEO室へ案内されたが、当方が遅れ会見は実現せず、彼にCEOへの家内制作の木目込人形の贈呈をお願いし、再来を約し辞去した。

 その後社内の枢要な箇所を保安担当者Frederick C. Krueger(Manager, Security)から、簡潔に安全のブリ−フィングを享受し、Safe and one-time travelで米航空当局からの全米No1の栄誉に輝く企業の中枢と、説明と社員の動きにGun撲滅のポスタ−などから感じ取ったミネソタ・ナイスな一時であった。

 当日は、止宿先のミネアポリスの中心街にあるマリオット・シティ・センター・ホテルから36Wのフリウェーを494Eへ入りと地図上で読み取ぃていたのが、途中のICで勘違いをして、二度も道を聞く羽目になったものの、ミネソタを愛する人々のミネソタを訪れる方々に示されるミネソタ・ナイスに助けられた。地図上にマジックで丁寧に書き込み、行く方向と地図を合わせて、トイレは大丈夫かとも尋ねられ、発進すると必ず見送る姿がバックミラーに映っているのには、感心しました。

 帰国後に、CEO Richard  Andersonが27日に来日し、六本木のグランドハイアット東京おいてCEOレセプションで、新「ワールド・ビジネスクラス」の紹介・披露が開催され再会が可能となった

平成15(2003)1027()NWA CEO Reception六本木のグランドハイアット東京 右から目代日本統括社長、Executive Vice President Philip C. Haan左側筆者夫妻

(2) CEO Reception

 先の約束の定刻に遅刻した例があり、この度は万難を排して、相当の時間的余裕と米国でないから、よもや遅れまいと万全の態勢で当日を待っていました。

 今度は先方のご都合で急遽Executive Vice President Philip C. Haanに替わりましたが、流石、世界トップの企業組織のCEO Receptionだけの価値と優れた諸点があり、勿論、先日当方が遅刻したにも拘わらず、CEOの謝意はViceから伝えられました。開始30分前に会場に到着しましたが、目代 純日本統括社長以下は出迎えのレシイビングラインを整え、お客様はまだ、疎らでしたが、社長は先に発見されて、小走りで寄ってこられて丁寧なご挨拶を頂戴したのには恐縮しました。

 

 ◎ その後、暫く入り口でのクローク手続きや受付を見ていると、必ず、社長以下の方々が、小走りに出迎えている様子が窺えました。将にクイック・アプローチでした。

 ◎ 受付は、名前を聞かずに、先に「いらっしやいませ ○○さま」と確実に来客の実態を把握した上で、笑顔での対応に終始していた。通常はどちら様ですか。が一般的です。

 ◎ 立食パテーでは、それぞれのテーブルに各担当者が配置され、ここまではどこも同じですが、以下が違っていた。主催者側同士の会話や腕組みとか腕を後ろに組んでの姿勢は見受けられず、招待者には、均等公平に接遇しており、主催者側は一切飲食や喫煙はせず、専ら接遇に専念する徹底した奉仕の姿勢であった。

 勿論、超一流の企業のCEO Receptionであるところから、素晴らしい多彩で豪華な料理であり、顧客には、「ご存知でしょうが、これは○○の逸品です。」と決して「飲んで下さい。」や「食べて下さい。」という顧客の面子と沽券にかかわる様な薦め方は無く、大変品格のある接遇に徹し、顧客と主催者側の雰囲気が良かった。

 ◎ 新「ワールド・ビジネスクラス」の紹介・披露は、数人のエアー・アテンダントが顧客を新型のシェルスタイルの椅子に座らせたときは、必ず目線が同一になるように屈んで、すわり心地や新機能の説明を顧客が受け易い体制での説明が終始なされて、顧客の立場になってのキメ細かさと厳しい質問にも笑顔で、「直ぐお調べします。」とクイック・リスポンスであった。

 世界的なCEO Receptionでは、とても平素は味わえない貴重な体験をさせていただき、数日後には、Philip C. Haan副社長を交えての目代社長との記念写真がサイン入で送付されました。 

 前述の◎の諸点は会合などに際にそのまま留意事項としても活用可能と思います。

 

5  Useful informationと旅所感

 

(1) 国際学生証

海外旅行に学生が出かける場合の価値あるものとして、国際学生旅行連盟(ISTC本部アムステルダム)は、写真付きの身分証明書(ID card)です。毎年90ケ国以上で、450万枚発行さているとのことで、\1,430.-と学生証のコピーに写真二枚で即座に作成してくれる。国外は勿論のこと国内でも、例えば、六本木ビルスの入場料は家内は、大人\2,000,-のところ\1,000,-に学割をしてくれ、今年二回行ったので、もうペイした。その他にも、NY, Bostonの博館や交通機関は40%offだったし、ハワイのアウトリガー・アイランダー・ワイキキの前のアイクーリム屋は半額にしてくれた。

(2)旅所感

 今回の旅では、開戦時とその後の臨戦態勢の米国を旅しましたが、次の諸点を感じました。

ア 臨戦下の米国の姿勢

  臨戦態勢下においても、テロに対する平静を装いつつ、テロに影響されない生活態度を保持ししも、警戒心を怠らず、戦線へ派遣中の関係者に対する無事帰還の国民的願望が各地に飾られている黄色いリボンや空港検問体制が連邦レベルのガードマンから連邦公務員で維持されている緊張感と行届いた訓練の結果を感取した。

 

   イ 気配りな米国の人々

 年配者に対する子供や若者の視線と交通機関での席の譲り方が日本と格段の相違で、耳と心に心地よい「Please!」「Thank you so much」「you are welcome」を何度もきく機会に接し、学ぶべき点であると確信した。昔の良き日本を思い浮かべた。

 

   ウ 環境への配慮の都会

 メイシーズやウオルマートまたはエンパイァ・ステイト・ビルなどの人の集まる場所が、以前より整然と環境整備が図られており、不審物件排除とGun不所持のポスターが目に付いた。

   エ 学ぶことへの関心

      米国への初渡航は・1の湾岸戦争直後の視察調査研究の公用出張でした。その際
     には日英両文字で両面印刷の警察大学校教授 警察庁警視の表示で、10日間  
     20,000マイル、6州8都市で、公式に10名、非公式には15名の方々との名刺交換の機 
     会があり、それ以降はやや批判や抵抗もあったが、日英両文字で両面印刷のものを
     使用し続けている。

     現在の勤め先のJACCSにおいても「顧問」ETHICS AND COMPLIANCE ADVISERと表
     示し、私用名刺の英文は、

     LL.B(Bachelor of Laws NIHON UNIV)
     Retire Police Superintendent(MPD)
     Student of Master痴 Program Major in International Political Science and Economies
     DO: President of the Society for Discuss Current Events.
     Memership of SCIP
     Membership of HCIFA

 などとしている関係から、学ぶことと国際情報関係への関心に対する話題に事欠かず、JACCSや日大大学院の名の知悉度が高く、インターネット上のHPはよく関心を抱いていることに、外交辞令としての50%を引いても「学ぶこと」に相当な関心があり、評価も高いことを感じた。

  名刺の起源は149年前に日米修好条約締結事務に携わった幕府の役人が、役職氏名などを記載したものを相手に直接手交するのは、恐れ多いとして刺して差し出したのが、事始のようで、来年の150年記念に日英両面印刷の効果を信望し、是非お奨めします。

 最後まで、御傾注下さり感謝致します。ご参考になればとの思いから経験の一端を紹介させていただきました。ありがとうございます。

6 船便との再会

    冒頭に指摘した郵便小包ここに到着し、再会した。

 

平成15(2003)1122()Sea Mail到着した書籍、資料等です。NYヒルトンから1010日船便ででだしたものが、太平洋を41日間で渡って来た郵便小荷物19,4Kg($65,45)と再会です。トヨタマークUのボンネット上と比較して下さい。制限はこの大きさまでで20Kg未満です。