ゴルバチョフ氏の民主主義観

                ──ゴルバチョフ氏の名誉学位贈呈式の記念講演を聴講して――

 

 

                               国際情報専攻 4期生 佐藤勝矢      

 

 

 

 

 

 去る1113日、日本大学会館で開催された、ゴルバチョフ旧ソビエト連邦大統領の名誉学位贈呈式の記念講演で、私も同氏の生の声に触れる貴重な機会を与えて頂きました。そこで彼の声の一端を拙文で紹介するとともに、若干の私の意見を述べさせて頂きます。

 

 我々の前に現れたゴルバチョフ氏は終始気さくなにこやかな表情で、私の印象にある重々しいゴルバチョフ像と全く違うものでした。私の中にあるゴルバチョフ像とは、どこか翳のあるものでした。それはソ連が冷戦時代、わが国にとっての脅威であったことと、その国内における共産党独裁という歴史が念頭にあるのに加え、共産党独裁と冷戦を終結させて世界中から好感を持たれたゴルバチョフ氏も、北方領土返還というわが国民の期待に応えることがなかったためです。

 

ソ連邦末期、クレムリンを代わる代わる訪ねる日本の政治家たちは、無為無策のままただ口々に北方領土の返還を求めるだけに思えましたが、それにしても彼らに対するゴルバチョフ大統領の反応に、私は冷たいものを感じざるを得ませんでした。

 ゴルバチョフ氏は講演で、自らが敢行したペレストロイカとグラスノスチを、ロシアが20世紀に経験した2度目の総体的な体制変革の試みであったと位置づけ、ソ連の共産党独裁の放棄と、これをきっかけとした中東欧諸国の共産主義の終焉によって冷戦を終結に導き、世界平和に貢献したことを彼は誇らかに語りました。

 

 彼は、ソ連の変革は全ての人々への教訓となったと言います。それは、リーダーが国の将来の見通しを誤ってはいけないという、緻密さが求められるリーダーシップの教訓のことです。これにはロシア連邦の初代大統領のエリツィン氏に対する、今も収まらない彼の憤りの根深さを多くの聴衆が感じたことでしょう。

 

 ゴルバチョフ氏は、民主主義制度を新たに根付かせるには長い年月がかかると考えていたのに対し、エリツィン氏が急激な変革に走ったためにペレストロイカは中途で途絶え、完結できなかったと強調します。エリツィン氏がロシア人の民族的特性や現実を無視して拙速に民主主義や市場経済を進めたため、以後ロシアの国民は10年間にわたって危機的な状態に陥り、経済的にも大打撃を受け、国としての体制が崩壊したといいます。

 

 プーチン政権になってようやくロシア国内は安定し、崩壊プロセスに歯止めがかかったものの、今がロシアにとってペレストロイカの初めの頃に匹敵する重大な時期であるといいます。燃料供給国であったがためになんとか生き延びたが、ロシアはこのままでは世界の僻地となるとして、国内市場の安定や賃金の上昇など、経済発展することがロシアの発展の鍵を握るという考えを示しました。

 

 一方で、プーチン大統領の政策にも苦言を呈しています。軍事ドクトリンで、核の先制攻撃もあり得るとしたことについてです。ゴルバチョフ氏は自らを現実主義者だといいます。核の使用が絶対に許されないことは言うまでもありませんが、経済弱者に転落してしまった現代のロシアが、西側先進国に比較して通常兵器で大きな格差をつけられてしまっていることは明らかです。核使用も辞さないドクトリンの採用は、通常兵器の劣勢を補うためのプーチン大統領なりの現実的な政策ということもできます。その意味で彼もまた、ゴルバチョフ氏と同じ現実主義者であるとみなすことができると思います。

 

 また、ゴルバチョフ氏が自由や民主主義を口にする時、私はそこに常に米国に対する対抗意識を感じました。彼によれば、民主主義は全てを救う万能薬ではない、世界で至上の政治システムではないという声が世界で広がっているといいます。それは、民主主義が西側先進国の都合のいいように世界を動かすための手段なのではないかという声でもあり、民主主義の生みの親で冷戦後に残った唯一の超大国である米国に対する批判のにおいが濃厚に感じられます。それは同時に、イラク戦争後の米国によるイラクの占領統治に対する批判でもあります。

 

イラク人が自分たちの国のことを自分たちで決められないのは屈辱であり、イラクには米国のシステムや価値観を強要しないことが大事だ、イラクは国連の委任の下に統治されるべきで、占領には国連が多国籍軍を形成し、アラブ諸国の考えを反映させるべきである、そして暫定憲法を作ったらできるだけ早く米国は占領をやめるべきであるという考えを彼は示しました。

 

ゴルバチョフ氏は、ロシアが共産主義から民主主義に移行して、ペレストロイカは中途で挫折したが、ロシアなりの民主主義は今現在築き上げている最中であるといいます。それはロシアの民族性や歴史を背景としたものであり、米国のものとは当然に毛色の異なる民主主義です。彼のこの主張には、民主主義には価値を認めながらも、各民族の特性 を無視してまで米国の価値観に統一し、米国流の民主主義をグローバル化することは容認できないという強い意志を感じます。

 

翻って日本人はどうでしょう。私は別に反米ではありませんが、民主主義や自由をより促進しようとする日本人の主張に抵抗感を覚えることが少なくありません。それは、日本のことについて「米国では」とその違いを何かと否定的に挙げつらい、日本はまだまだ民主主義が成熟していないというような主張がなされる時です。日本には日本人特有の国民性や民族性、そしてこれまでの長い歴史の歩みがあるのです。日本人の価値観をいま一度再認識し、日本人には日本人の誇るべき歴史を背景とした独自の民主主義があると、もっと自信を持って主張していいのではないでしょうか。

 

かつて超大国であった祖国は国力が著しく凋落したものの、ゴルバチョフ氏が自信にあふれた表情で、ロシア人はロシア人なりの民主主義を育てていると主張しているのを目のあたりにして、日本人にももっとこのような心がけが必要ではないかと感じました。