中国陝西省の西北大学事件の考察

                                       

                        国際情報専攻 4期生 長井 壽満

 

 

 

 

10月31日に「中国学生1000人抗議 日本人学生の寸劇に反発 西安」の記事が新聞にながれた。この記事を読んで、反射的に数年前「フリーズ」の意味が理解できないで日本人留学生がアメリカで射殺された事件を思い出した。 海外には「違う考え方」の人が住んでいる。当たり前の事実を忘れている。アメリカだけでなく、インドでは牛は聖なる動物である。イスラムでは豚は卑しい動物である。それぞれの地域には歴史から受け継いだ文化というものがある。日本が明治維新、開国し海外の文化に始めて触れ、海外の文化をひたすら勉強して出した結論が『脱亜入欧』であった。明治維新の人々の感性は今の中国人の感性に繋がるものがある。海外の優れていると思われている文化・モノはすべて取り入れてみようという意気込みである。鹿鳴館も認める感覚が今の中国にある。文化的にはミュージカルCat’sを上海で公演した。現在上海近郊にサーキットを建設中であり、数年後にはF1レースが中国から世界中に放映されることになる。リニアモーターカーも世界初の実用化に向けて最終調整中である。世界を目指して勉強している学生の前でレベルの低い出し物は、やはり相手を馬鹿にしていると思われてもしょうがない。もちろん、中国も国内に色々な問題はかかえている。しかし、国内に問題を抱えているのは各国お互いさまである。

 ただ今回西安で起きた事件の根っこはもっと深いところにあるのではないか、日本と中国の問題で捉えると本質から目をそらすことになりかねない。もちろん中国側の国情、文化・社会的背景もあるが、それを知らない「日本からの留学生」がバカだっただけである。ハーバード大学で裸踊りをしたらどうなるか?中国だったら許されるのか? あまりにも想像力が欠けていた。海外に出てなにか学ぼうという姿勢が残念ながら多くの日本人留学生に見受けられない。遊びに行くのなら、遊びと割り切って遊ぶ事である。遊べない、学べない、日本人留学生の『知』の退化が西安事件で表面化しただけである。将来も同じような事が中国以外の地でも起きるであろう。ただ、メディアにニュースとして流れないだけである。

 歴史を振り返ると、文明の争いは残酷な結果で終わる。その例として下記引用で締めくくりたい。

1532年南米インカ帝国8万の軍がスペイン軍167名と対峙したインカ軍はほんの数分で恐怖に凍りつき無秩序な群集と化しスペイン兵に惨殺されはじめた。インカ軍は、敵の兵士が神であることと確信してしまったのだ。馬を知らなかったかれらにとって、馬とその上に乗った人間は双頭の神に見えたし、銃がさらに恐怖を煽り立てた。---

 この人たちは神に違いない。雷をおもうがままに操れるのは、神だけだ。総崩れとなったインカ軍の戦死者は8千人に達した。スペイン人司令官のフランシスコ・ピサロはインカ皇帝に対して『我々ヨーロッパ人は、われらを苦しめる重い病気を治すためこの 地にやってきた。特効薬はひとつしかない。黄金だ!』それは、ピサロの残酷な  ジョークだった[i]」。そしてインカ文化・文明は滅亡し破壊された。

 他者・他文化を学ぶ「知」がいまほど日本に必要な時はないだろう。最初に学ばなければならないのはアメリカ文化・文明ではないだろうか・・・・。そして自分の文化 ・文明、日本。

以上


[i] アーネスト・ヴォルクマン『戦争の科学』茂木健訳、神浦元彰監修、主婦の友社、2003910日、162-164頁。