国際情報専攻    真藤 正俊

    「 総合雑誌は全世界の窓口である」

     

 現代社会においてゼネラリスト的な人間の評価が正当にされなくなるなかで、果たして「総合雑誌」なるものは必要あるのかと疑問が今、起きている。

 事実われわれの社会ではスペシャリスト的な知識が重要視される。世界中の重要問題に対し「より合理的・科学的な専門知識」こそが解決の手段であると信じられているからだ。

 しかしながら、その一方で“総合的にバランスの取れた知識人”が新しい時代の先駆者になるのではないか、リーダーになるのではないかと期待されている。それは社会が高度化する中で「人々の要求もまた高度化していく」ため、小さな範囲の専門知識では「社会のニーズ」の応えることができないのだ。

 現代人は“常にアンテナを高く張りめぐらせる必要がある”のではないだろうか。このような意見に対しては“自称・専門家たち”は「そんなことはない。自分の得意な分野だけ研究すればよい。それのどこがいけないんだ」と言う。

 この意見に対し、私はこう思う。一知識人として社会で貢献する権利があるのに、自分のことしか考えず、「他者のことを全く考えないのは人間として無慈悲である」、と。

 総合雑誌は社会を「より広く観るための手段である」といえる
のではないか。

 “自分さえ良ければ他人など切り捨ててもかまわない”と考える多くの現代人にとって総合雑誌から発信される多くの「人間の問題」を真剣に受けとめることこそが、現代人に「人間力」をつけることになっていくのではないだろうか。